ナガミツは走った。  その踏み締める地が、無数の紅を夜空に散らしてゆく。  すでにフロワロは、わずか一夜でエデンの全てを飲みこもうとしていた。まき散らされる瘴気は、今のナガミツには耐えられない……耐えきれない。容赦なく身を蝕んで、機能低下した全身に染みわたってゆく。  それでも、先を走るマメシバのおかげで辛うじて走り続けることができた。 「ナガミツ、レオパもスズランも! カザン共和国が、燃えてる!」  先頭を馳せるマメシバの声が、震えていた。  無理もない、この天変地異を人類は数百年ぶりに迎えるのだ。迎えるしかない……嫌が応にも、竜災害はあらゆる生命を貪り喰らい尽くすために現れる。  恐らく、マメシバの血にも古きS級能力者の遺伝子が伝わっているのだろう。  それは同時に、あらゆるハントマンがドラゴンの恐怖を本能に刻まれていることにほかならない。ナガミツが生まれた時代、とても貴重だったS級能力者の血は広まり、長き年月をかけてエデンの民の全てにいきわたった。  だが、それでも竜災害に立ち向かえる人間は多くはないだろう。 「あのっ、ナガミツ! マメシバも、レオパも!」 「どうしたスズラン、って危なっ! 前に出るな、この紅い花は俺が」 「聴こえるんです……この先、大統領府のほうで、恐ろしい声が叫んでいます!」  さすが歌姫、駆け出しながらもパーティのディーヴァだ。  少し遅れて、ナガミツの耳にも身の毛のよだつ絶叫が響いてくる。すぐに脳裏に演算結果が走り、当時と唯一変わらぬ頭脳の明晰さが絶望を伝えてきた。  この先に、帝竜がいる。  帝竜、それは自らのテリトリーとしてダンジョンを広げる竜の中の竜。真竜と呼ばれる神を気取った摂理の執行者だ。帝竜との戦闘は、これはすなわち死を意味する。……S級能力者以外が挑むなら。  ただ、焦りに燻るナガミツの周囲には、頼れる仲間たちが一緒だった。 「まずは、人命救助。とくに、ドリス大統領の救出を最優先に行動しましょう」 「おっけー、レオパ! スズランは援護、ナガミツは遊撃! みんな、しまっていこうぜ!」  マメシバはルシェながらも、この時代では人間とかわらぬ民族の一人として調和していた。レオパもスズランもそうだ。ナガミツが生まれ育った時代、すでに古代種として歴史の陰で生き延び、ともすれば実験動物になっていた頃とは違った。  そして、マメシバの怯えをねじ伏せるような言葉にナガミツは助けられた。  今、間違いなく勝てない竜に向かっていても、信頼できる仲間たちをこのエデンの時代でも得られたと思ったのだ。 「! ……そ、そんな……カザンが、街が、燃え尽きる……このままでは」 「スズラン、目がいいな! ああ、俺にも見えたぜ……うおおお、大統領ぉぉぉぉぉ!」  マメシバがさらなる加速を爆発させた。着込んだ鎧と重装備を忘れたかのような、全身全霊の猛ダッシュ。彼が走り抜けてゆく先に、巨大な竜と対峙する影があった。  その竜は、まさしく帝……竜の皇帝と呼ぶにふさわしい威容だ。  ナガミツは過去のデータを洗い出して、その危険度に警戒心を尖らせる。  あの時となにも変わらない……西暦2020の、人類初の竜災害から変わっていない。無数にフロワロが芽吹く中で、フロワロよりなお紅い帝竜が一人の男と戦っていた。 「うおおおっ! これが竜、すなわちドラゴン! 滅びし旧世紀の文明が遺した文献、そのなかにのみ生きる人類の……いや、あらゆる全ての生命の天敵!」  雄叫びをあげる男の名は、ドリス=アゴート。  ハントマンの聖地たるカザン共和国の大統領にして、ハントマンの中のハントマン……生涯現役の、生ける伝説そのものだった。  そのドリスが、両手で構えた大剣を振るう。  裂帛の気迫が迸り、彼の跳躍が赤い夜に吼える。  その先には、フロワロのように赤い竜が吼え荒んでいた。ナガミツは瞬時に、その姿を見て身を硬くする。過去、多くの犠牲を生んだ暴力の権化、その姿に酷似していた。 「あいつは……ウォークライ! 酷似した亜種か、それともそのものか! ……やるぞ、キリッ! フィー!」  叫んで加速した中で、自分の今と場所を思い出す。  キリコはもういない。最悪の出会いでいがみ合って、互いにそれでも助け合って分かり合えた……互いを斬竜刀と呼べた少女はもういない。そして、この時代にその血を受け継いだ乙女は瀕死の重傷で運ばれていった。  それに、相棒だった少女もいない。  ナガミツの胸の中にしかいないのだ。  だが、代わって今の仲間たちがナガミツを支えてくれていた。 「マメシバの援護を、ナガミツ! 回復は私に任せてください」 「わたしも……歌う。怯えて震えたこの声でも……かならずみんなに歌を届ける」  激闘が幕を上げた。  ドリスを守りに割って入ったマメシバの、その盾が一撃で吹き飛ばされる。赤竜は振るった前肢の爪だけで、その一撃だけでナイトの少年を一蹴した。  それで気圧され、辛うじて踏み止まったマメシバが固まる。  無理もない……竜と対峙する時、人はあまりにも脆弱過ぎた。だが、同時に人類は持っている……その恐懼を克服する、勇気と意思の力を。  マメシバに振り下ろされる、尾の一撃。  それを弾きつつドリスが吼える。 「助かったぜ、ボウズ! 背中は任せた……無理はするなよ?」 「は、はいっ!」  だが、ナガミツたちの奮戦は戦いにすらならなかった。脅威的な身体能力で立ちまわるドリスに対して、どうしてもナガミツたちはついていくことができない。  そして、狡猾なことに巨大な赤竜はそこに付け込んできた。 「くっ、マメシバ! 一度下がって盾を拾え! レオパは俺と毒を試してみてくれ!」 「心得ました! ――ッ、スズラン! 危ない!」  竜の顎門が真っ赤に燃える。放たれた炎からスズランを庇って、スズランごとレオパが燃え上がる。烈火に踊る影となった二人は、どうにか火の粉を振り払いつつも倒れて動かない。  そして、脱落者の列にマメシバも加わる。  まさに獅子奮迅の勢いで剣を振っていた少年も、力尽きて倒れた。その身体をひょいと片手で持ち上げ、ドリスがナガミツを振り返る。 「ここは退け、ハントマンたちよ!」 「けどよ、大統領!」 「ああ、俺様は大統領……ドリス=アゴート! カザンを、ハントマンの聖地を守る男だ! さあ、行け! 今ならまだ仲間たちの命も助かろう」  ナガミツは二重のショックで一瞬躊躇した。昔のような頼れる仲間がいない。新しい仲間をつい、まだまだ頼りないと思ってしまう。だが、どんな仲間でも支えて助け合うのがナガミツの信条だ。それを教えてくれた少女が今も、胸の奥で叫んでいる。  奥歯をギリリと噛み締めつつ、ナガミツは三人の仲間を背負って脱出を試みるのだった。