夜明けを塗り潰す緋の色に今、払暁の空は燃えていた。  それを見上げつつ、ニーナは額の汗をぬぐう。その周囲を、我先にとカザンの民たちが通り抜けていく。彼が防衛している橋は、ミロス連邦へ続く唯一の道。大荷物を積み上げた馬車や荷車も、せわしく走り抜けていった。 「ほい、前列交代ー。おじさんたちは、新しいハントマンを連れてきて。ファイターかローグ、ナイトだと嬉しいなあ」  ニーナ自身も若干の疲労を感じてはいたが、彼は魔法生物ホムンクルス。その身体能力は常人のそれを遥かに凌駕する。  だが、人間は別だ。  いかな屈強なハントマンとはいえ、この橋を守る戦いは苛烈に過ぎた。  すでに負傷し疲労困憊の二人が、左右からニーナを気遣ってくる。 「しかし、お嬢ちゃん……アンタ、さっきから先頭で戦いっぱなしじゃないか」 「そうだ、アンタの方が休んだ方が」 「んー、わたしはもうちょいいけるかな? 見て、避難民の中にハントマンが増えてきた」  そう、同業者たちも傷付き血に濡れながら、だんだんと橋を渡ってミロス連邦へと逃げつつある。恐らく、最後まで市民たちを守って戦っていた者たちだろう。そうしたハントマンが引き上げてくるということは、民の避難が完了しつつある証拠だ。  ニーナは壮年のハントマンたち二人組を下がらせ、自分も水分を補給する。  すぐにノリトが駆け寄ってきて、ニーナに携帯食料を渡してくれた。 「ノリトん、ユイちゃんの容態は?」 「ノ、ノリトん! ……え、いや、それよりも。かなりまずいですね。手は施しましたが」 「まさか、死んでないよね? それ、わりと詰んじゃうからさ」 「どうにか一命は……さすがは羽々宮の血筋、回復力が違います。しかし、意識が全く戻らないのです」  非常にまずい展開だ。  両親とアイテルから得ている情報では、やはり人類の切り札は斬竜刀……そして、大小二振りのその系譜は、希望なのだ。オリハルコンで鍛造されし竜殺剣がなくとも、その二振りは人々を導き、竜を討つ。  その片方が今、実質的に失われようとしていた。 「とりあえず、怪我人も大勢います。引き続き私も治療、に――ッ、う!」  突然、ノリトがよろけて片膝を突いた。  見れば、顔面は蒼白で息も荒い。無理もない……ずっと休まずユイを治療しつつ、カザンの市民やハントマンの怪我も面倒を見ていたのだ。その分、彼はフロワロの毒を多く浴びている。この時代では、フロワロにある程度の耐性がある人類が栄えてはいるが……限界もある。 「だ、大丈夫です、この程度……それより、ニーナ」 「んー、ノリトんも休んで? あとはやっとくから」 「しかし」 「うっさい、寝ろな? ちょあ!」  悪いとは思ったが、軽く当身でノリトを無理矢理眠らせる。橋を渡るハントマンたちの一団に彼を託して、いよいよここからが正念場だとニーナは前に出た。  この橋だけは、死守する。  マモノの類ならまださばききれるが、今夜の敵は数と勢いが違う。  さすがに焦りが込み上げた、その時だった。  見知った顔をみつけて、思わずニーナはほっと溜め息をこぼした。 「おーい、ナガミっちゃん! そっちは無事?」  三人の仲間を背負ったナガミツが、こちらへと向かっている。  だが、その背後に巨大な影が舞い降りた。  絶叫と共に翼を広げる、それは竜。ごくごく一般的なワイバーンタイプだが、今の戦力では橋の防衛は危うい。なにより、ナガミツの憔悴しきった顔は人型戦闘機と思えぬほどに厳しいものだった。  だが、彼は躊躇せずに振り向く。 「悪い、ニーナ! 三人を頼む!」 「ナ、ナガミっちゃん!?」 「この橋は渡らせねえ……それに! まだ、あの国に! カザンにっ!」  ナガミツの振るうナイフが薄闇を切り裂く。遠くの稜線が紫色に染まってきたが、まだまだ夜は地獄の業火に燃えていた。周囲の橋自体にも、ぽつりぽつりとフロワロが咲き始めている。  絶体絶命のピンチ、だがナガミツに臆した様子は見られない。  見せられないのだと思うと、ニーナはまるで人間のように胸の奥が痛んだ。  三人のハントマン、マメシバとレオパ、そしてスズランを引き取る。息はまだあるが、酷い重傷で意識がない。このままフロワロの舞い散るこの場にいれば、僅かにつないだその生命さえも危険だろう。 「ごめん、ナガミっちゃん! すぐ戻るから!」 「……ニーナ、あと頼む、な」 「え?」  ナガミツは振り下ろされた爪を避けつつ、跳躍。そのまま竜の首にナイフ突き立てた。そして、沈んだはずの月が蒼く煌めく。ぐるりと竜の首で一回転、満月を描いた刃の一閃がゴトリと生首を転がした。  一撃必殺、もうナガミツにも戦術を組み立てて対処する余裕がないのだ。  そして、更に竜とマモノは増えてゆく。  それなのに、ナガミツの言葉は意外にも落ち着いていた。 「俺は、一度カザンに戻る」 「……は?」 「まだ大統領が、ドリス=アゴートが戦ってる。あのおっさんは、これからのエデンに必用な男なんだよ。……それに、似てるんだ。どこか、おっさんに……ガトウの旦那によ」  もう橋を落とせとナガミツは言う。  すでに市民の避難は終了し、ハントマンたちもさがり始めている。その流れに逆行して、ナガミツはカザン共和国に戻るというのだ。  正気の沙汰じゃない。  理解はできても、否定の気持ちが想いとなってニーナの胸にあふれかえった。  だが、さらに竜が押し寄せる。  身構えるナガミツの前に、ニーナは見た。  舞い降りる剣……朝日の光を浴びて輝く、鋭い一撃を。 「ミツにい、お待たせ! アチコチ忙しくて。でもわたし、守るよ……トラにいやおキクちゃんとの約束、守るんだから!」 「お前、エリヤ! 来て、くれたのか」  真っ二つに血を吹き出す竜の奥から、もう一人のホムンクルスが立ち上がる。  それは、その手にアゾット剣を握るニーナの姉だった。 「お姉ちゃん!? 今までどこに」 「あ、えーと、ニーナ? だっけ? ふふ、若い頃のシイナママにそっくり」 「いや、そういうの今はいいから! ……大丈夫かな、この人……お姉ちゃん、だよね?」 「だいじょーブイッ! ……じゃあ、ミツにい。橋を落とすね。……ごめんね」  頼れる援軍の到着とも思えたが、朝日が昇ればはっきりとニーナにも見えた。同じホムンクルスの姉、エリヤもまた満身創痍で傷だらけだった。恐らく、この突然の竜災害で即座に人々のために戦い始めたのだろう。不眠不休で、呼吸すら忘れるような勢いで。  なぜか自然と、姉はそういう人だと感じたし、バカだなと思った。 「お姉ちゃんっ、バカッ! そんなことしたら、ナガミっちゃんが!」  だが、ナガミツは片手の拳で挨拶を天に突き上げ、マモノの群の中に消えてゆく。  同時に、エリヤの非情な強撃が足元を貫いた。  慌てて橋を渡り切ったニーナの背後で、ミロス連邦へ続く唯一の退路は消滅した。  それを見届け、とりあえずの安全が確保されたと理解した瞬間……まるでスイッチが切れたように、ニーナも崩れ落ちて意識を失ってしまうのだった。