アイゼン皇国でナガミツたちと別れ、キリコは仲間たちとサイモン村へ引き返した。  今こそ、新たに芽生えた巫女の力を振るう時。  そしてキリコは試したかった……本当に自分の拳なら、直接巫女の血を発現できるのかを。その異能の力は魔を断ち邪を裂き、竜すらも滅する。それがキリコには、今の時代のキリコたるユイには、上手く使えないのだった。  太刀を振るえば一騎当千、だが――ただのちょっと腕が立つ剣士でしかない。  羽々斬の巫女としては例外にして邪道、己の肉体そのものを刃とするほかないのだ。 「キリ様、ニーナもノリトも。準備はよくて?」  先を歩くアダヒメが、取り出した鞭をピンと両手で引き絞る。ニーナも剣と盾を構え、ノリトは医薬品の入った試験管を指の間に並べた。  キリコも深呼吸して、腹の奥に熱く込み上げる戦意を高揚させる。  その脳裏に、ナガミツの言葉が光となって走った。 『キリよう、心配すんなって。まずはリラックス、気負うなよ? 羽々斬の巫女とかいっても、その時代で色々なんだからよ』  かつて、男として生まれながら巫女になるため女を詰め込まれた者もいたという。一族の歴史をキリコも知っているが、確かに訳アリの巫女が全くいなかったわけではない。  ただ、自分がどうしようもなく剣の腕が凡人レベルであることは知っていた。  だから母は、子を産んで尚も巫女の使命を全うし、死んでいった。  母の残したボロボロの太刀さえ、今はもう粉々に砕けて消えてしまった。 『キリ、お前の太刀はこの両手、そして全身だ。俺がまだ覚えている体術の全てをお前に託す。お前自身が斬竜刀そのものなんだ』  ナガミツの言葉は厳しく、そして優しいものだった。  だから今、キリコは初めてナガミツたちに頼らず竜を狩ろうとしている。地道に日々の肉体トレーニングをこなしてきたからか、それともナガミツの教え方が上手いのか……今のキリコは華奢で小柄な細見なれども、文字通り真剣のような冴え冴えとした鋭さが宿っていた。  自分でもわかる。  己の血潮が真っ赤に燃えるのを感じる。 「むいっ! それではいくのです! たーのもーっ!」  堂々と無防備に、ゴウガ竹林ボスの最奥へと踏み入ってゆく。  まだ構えは必要ない。ただ静かに、胸の内に燃えるものを拳に乗せるだけだ。  そして、絶叫と共に目の前に竜が舞い降りる。 「こ、こいつがここの帝竜……オルグドラゴニス!」 「はいはいノリト君、ぶるってないでエンゲージ、っと」 「キリ様、援護しますわ! 思う存分に剣を……拳を振るってくださいまし!」  仲間たちの声が、そのまま気持ちに直結してキリコを点火させた。見えない炎に包まれたように肉体が熱い。キリコはもう、迷わず躊躇わずに拳を握れるのだった。  食い込む爪の痛みさえも愛おしい、これがキリコの、ユイの唯一の斬竜刀。 「皆さん、頼むのです! わたしは全身全霊で……全力全開で戦うのみなのです!」  かくして戦端は開かれた。  周囲の竹を左右に薙ぎ倒しながら、巨大な竜が迫りくる。甲虫竜とでもいうべきその姿は、漆黒の角を頭部にそびえさせている。微動で空気を振動させる透明の翅は、あっという間に下僕を呼び出す。 「クッ、記憶が……でも、私にはあれがわかる、知っている!」 「しっているのかー、らいでーん」 「ニーナ! 皆さんも! あれはオルグドラゴニス本体を守る魔物、キュアウィスプです!」 「あ、こーいつー! マジレスしちゃってくれて……ふふ、ま、いっか! ニーナ、いっきまーす!」  キリコを追い抜き、風が疾る。  装備の重さを裏切る勢いで、ニーナが先手必勝の一撃を放った。無数に飛び交うキュアウィスプの一部が、ばたばたと叩き落される。その間にも、響き渡るアダヒメの歌がキリコをさらなる加速に押し出した。 「アダヒメさんの護衛は私が! ニーナは周囲の雑魚を! キリコ、今こそ……今度こそ、巫女の力を解放する刻!」  ノリトの叫びと打撃音をかき消すように、不思議な歌が場を満たしてゆく。  キリコは昔から、このアダヒメの歌を寝物語に育ってきた。いつでもアダヒメは優しく接してくれたし、母親に嫌われた自分を母親ごと愛してくれた。  なにか、もう一人の母親のように感じることがある。  そしてそれが今は、感じる以上に信じられてしかたがなかった。 「むいっ、みんなありがとうです! ――今こそ、わたしは真の羽々斬の巫女になるのです!」  踏み込む一撃を振りかぶって、迫るオルグドラゴニスの爪と牙を避ける。避け切れずに羽織が切り裂かれ、その下の肌は朱に濡れて痛みを走らせた。  だが、キリコは止まらない。  止まれない。  ひとたび拳を握ったならば、それは鞘から刃を抜いたに等しい。  そして、神代の太古よりその刃は……国と民とを竜から守ってきたのだ。 「はああああ! ボディが! 甘いです! ガラアキです! 御留守なのです!」  ちょうど小柄なキリコの目線には、巨大なオルグドラゴニスの腹部だけが見えていた。絶壁にも似た甲殻を、左右のボディブローでキリコは叩き割る。そのまま肘鉄で抉って、蹴り抜ける。  おぞましい絶叫をあげつつも、オルグドラゴニスも苛烈な反撃に転じた。  巨体をキリコに浴びせて倒し、そのまま抱えて宙へと舞い上がった。 「あっ、キリちゃん! それやばいって、あちゃー」 「くっ、ニーナ! 間に合いませんか!」 「雑魚で手いっぱいでーっす」  キリコは今、重力を忘れた青空の中にいた。オルグドラゴニスの締め付けは強く、その中に圧縮されて潰されそうでもある。  だが、イズナ落としと呼ばれる帝竜の必殺技を受けつつ……今まさにそれが炸裂しようとしている中でも、キリコは冷静だった。一秒が、一瞬が引き延ばされて永遠に感じるほどの自明……全てがゆっくりと見える中で、自分だけが思うように動けた。 『拳を、蹴りを……研ぎ澄ませ、キリ。お前の投げは山脈を吹き飛ばし、お前が関節を極めれば地軸さえ歪む。それだけの力がお前にはある。だから、俺が使えなくなった技を全て――』  どこか寂しげなナガミツの声とともに、キリコは叫んだ。  その時にはもう、オルグドラゴニスの束縛をすり抜け、空中で立派な一本角にしがみつく。そのまま絶叫と共に、キリコは逆にオルグドラゴニスを地面に向けて叩きつけた。 「むいいいいっ! わたしが! 斬竜刀です! わたしたちが! 斬竜刀なのですっ!」  地面にクレーターを作って動かなくなったオルグドラゴニスへと、キリコは必殺の足刀蹴りを放った。それは弓から放たれた矢のように、竹林の主を穿ち貫くのだった。