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 全武装のセフティ解除を命ずると、ホァン=リーイン三査の駆るテムジン412号機は軽い震動で主に応えた。細かな数字が絶え間なく走る前面スクリーン――今ではそれは完全に補助モニターとなってしまった――に照らされ、画面の片隅に僚機テムジン411号機の姿を確認。彼女はヘッドギアのバイザーを降ろす。
 たちまち彼女の視神経は愛機のメインカメラにリンクし、網膜に直接情報が雪崩れ込んできた。
 戦闘準備完了と同時に、リーインはインカムを外部出力のスピーカーに同調させる。左右一対の操縦桿を握り直して、彼女は排除対象を一喝した。
 もっとも、用意された定型文を読み上げただけだが。

「前方で戦闘中の全バーチャロイドに警告します。ウィスタリア内ではあらゆる戦闘が禁止されております! これ以上の戦闘継続は、契約スポンサーへの賠償請求及びに補給への制裁が課せられます。即時戦闘を停止の後、こちらの指示に従ってください」

 夕焼けに赤い空。灼けた砂の赤い大地。その狭間に響き渡る、凛とした瑞々しい声。
 リーインの声に、眼前で展開されてた極小規模の超局地的限定戦争――いわゆる、バーチャロイドを用いての乱闘騒ぎが中断された。
 ムエタイとテコンドーを足して、カポエラで割ったような蹴りを繰り出していたアファームドタイプも。両手を巨大なドリルに改造した、もはや原型を留めていないボックスタイプも。揃って声の主へとメインカメラを向けた。
 居並ぶ巨人達の視線を受けてリーインは溜息。
 この地に赴任して二週間、警告に従い武装解除で片付いた事件を彼女は知らない。ゴメンで済んだら警察はいらない、とは良く言ったもので。火星最大の補給観光都市であるこの街でも、強力な警察力をあらゆる企業が望んでいた。
 だからリーイン達が派遣された。火星戦線の治安維持を名目に創設された特務機関、通称"MARZ"が。

《リーイン、説得に応じてくれそう? 今、僕はロックオンされたけど》

 無線を通した相棒の声は落ち着いていた。というより、緊張感がまるでない。

「無理……だって、昨日のニュースで敵同士だった連中よ? 殺気立っちゃってさ、せっかく生きてここまで帰ってきたのに……喧嘩始めちゃうんだもの。にしても趣味的な箱、ドリルなんて今時はやらないのよね。しかもダブル? ありえないわ」
《箱?》
「あら知らない? この街じゃアダックスのアレを箱って言うのよ」
《そうか、VOX……ボックス、で箱か。なるほど、よく考えたもんだな》

 この土地特有のスラングを教えられて、相棒は心底関心しているようだった。
 それはいい、リーインも気に留めない。この二週間で思い知ったから。
 とどのつまり、彼女の相棒であるエリオン=オーフィル三査はそういう人間なのだ。三つ年下の、どこか能天気で抜けてて、気負いがまるで無い。しかしバーチャロンポジティブだけが異常に突出したイレギュラーな――そこまで追想して、リーインは現実世界に引き戻された。
 敵機のロックオンを告げるアラートと共に、視界が真っ赤に染まる。

「こっちもロックオンされた。結局は実力行使か……今週これで三度目よ?」
《しょうがないよ、前線での戦闘が激化してるらしいし。じゃ、いつも通り僕が前衛で》

 言うが早いか、突出する相棒のテムジン411号機。マインドブースターの光が尾を引く軌跡を追って、リーインもスティックを押し倒した。同時にターボスロットルを押し込めば、荷重に押し潰されて華奢な身がシートに埋まる。
 かくして、戦端は開かれた。
 リーインは敵陣の真っ只中に飛び込むエリオンを見送り、即座に愛機を翻す。
 急制動、急旋回。
 アスファルトを掴む鋼鉄の足が躍動して、背景が右から左へと飛び去った。
 同時に、広域公共周波数に無線をセット。

《クソッ、水入りかっ! MARZの犬共が、すぐに嗅ぎ付けてきやがる!》
《一時休戦だ、先ずは連中を何とかせにゃ! 下手すりゃ俺ら契約打ち切りだぜ》
《一機飛び込んできた! こいつは俺等でやる、手前ぇらはアンテナ付を!》
《御覧下さい、これはライブ映像です! 今、暴走バーチャロイドに対してMARZが……》

 今日も夕方七時のニュースを席巻……そう思えば気分もいい。自分が主役なら尚更だが。
 しかし残念ながら、MARZのエースパイロットとして治安の維持に貢献し、華々しい愛機の活躍を報じられるのは彼女ではなかった。
 この街でMARZのエースと言えば、リーインではなく彼……エリオンだった。

「アファームドタイプが2、箱っぽいのが3! エリオン、ちゃんと見えてるの!?」
《大丈夫。アファが2で、これで! ボックスが、箱が2だっ!》

 目立つ巨大なドリルが砕かれ宙を舞った。それが重力につかまり落下する前に、本体が下肢を一閃されて擱座する。
 毎度の事ながら惚れ惚れする程見事な相棒の動きに、援護のパワーボムをサイドスローで投げ付けて。リーインは自分を挟み込むように近付く二体のアファームドタイプに意識を集中した。

《相手はたかが707系のテムジンだ。ここが火星だって事を教えてやろうぜっ!》
《おうてばよ! 第二世代型の出る幕じゃ、ねぇっつーのー!》

 この火星戦線専用に開発された、第三世代型のアファームドタイプ。そのマッシブなシルエットがたちまち肉薄する。それに対するリーインが駆るのは、第二世代型の707系と呼ばれるテムジン……ハードウェア的には旧型だった。
 だが、それは外見だけの話だと、戦火を交えた誰もが知ることになる。
 火星戦線の治安維持を名目に設立された特務機関――通称"MARZ"。予算と立場の都合上、運用するバーチャロイドに関しては現行のモデルに及ばないが。こと、過激なチューニングには定評がある。要するに――

「ゴメンねー、ちょーっち中身が違うのよね。中身がっ!」

 要するにMARZのテムジンは、テムジン707Sは普通の第二世代型バーチャロイドではないのだ。第三世代型と呼ばれる最新鋭のバーチャロイドに、及ばずとも肉薄する性能が与えられている。
 繰り出された左右のトンファーを軽々と避けると、イーリンは歯を喰いしばって横Gに耐える。彼女の操る通称アンテナ付、707S/Vことテムジン412号機が側転しながら急反転。視界にアファームドタイプの側面を捉えて、イーリンは突進と同時に右のウェポントリガーを引き絞った。
 それは正式には、J型のタイプCと呼ばれているアファームドだった。その無防備な脇腹目掛けて、放たれた光の矢が突き刺さる。既に旧型とは言え、主武装であるスライプナーから放たれるニュートラルランチャーの威力は絶大……元より損傷していた目標は、三斉射を浴びてあっという間に膝を突いた。

《リーイン、まだ一機! 後っ!》
「エリオン、貴方は自分の敵に集中して! あーもぅ、これで固定給なんだから!」

 ふわりと一瞬の浮揚感。リーインは愛機を空中で残る敵機に正対させると、着地と同時に防御の姿勢に身を固めた。
 回避は間に合わない――自分なら間に合わないと痛感するリーイン。
 衝撃と共に視界が点滅する。それは一度では終わらず、二度、三度とリーインの身を、彼女の駆るテムジン412号機を削った。ダメージを読み取りつつ隙をうかがい、冷静にリーインはスティックを内側に押し倒す。悲鳴を上げる機体はまだ、耐久力に余裕がある。僅かだが、確かに。
 アファームドは近接攻撃に特化したインファイター型のバーチャロイドである。密着に近い間合いでは、第三世代型でも頭一つ飛びぬけた強さが売りだった。あらゆる任務に対応して調整された汎用機の、しかも一世代前の型では流石に辛い。

《リーイン、距離取って。いったん回避、フォローは僕が!》

 不意に飛来した光波が、僅かに眼前のアファームドタイプをよろめかせる。その一瞬の隙にリーインは見た。遥か遠方で二機目のボックスタイプを撃破し、その合間に援護のソードカッターを放った僚機を。エリオンのテムジン411号機はそのまま、華麗に身を捩って迫る巨大ドリルを捌く。
 見る者を魅了する魔性の操縦にしかし、我を失い見入る余裕はリーインにはなかった。

「回避? 冗談っ! このチャンスは生かすでしょ、ある意味っ!」

 テムジン412号機が足を踏ん張り、そのつま先が舗装された大地を掴む。同時に巨体を蹴り出す愛機の中心でリーインは叫んだ。既に我が身となった右手に、銃剣一体型のマルチタスクウェポン――スライプナー。彼女は迷わずその武器に近接戦闘用のブリッツセイバーを起動させる。
 リーインは踏み込むと同時に、アファームドタイプを正面から横薙ぎに斬りつけた。

「浅い!? ああやだ、もー勘弁っ! 楽して片付け、たい、のにっ!」

 直撃を受けて尚、アファームドタイプは反撃のトンファーを繰り出してくる。深追いを避けて空中に逃げたリーインは、口とは裏腹に堅実な搦め手で獲物を仕留めにかかった。
 振り下ろす斬撃をフェイントに、相手の回避行動を誘う。同時に回りこむ気配を置き去りにしてフル加速。前転の要領で身を躍らせたテムジン412号機は、背後に逆さまに映るアファームドタイプへとニュートラルランチャーを叩き込んだ。

「アファ終わりっ! そっちは!?」

 着地と同時に振り向く視界に、エリオンのテムジン411号機が舞っていた。既に多くの野次馬が遠巻きに見守り、無責任な歓声を注ぐ中で。

「フォロー入るわ、エリオン。追い込むでしょ?」
《平気、それより……》

 絶え間なく繰り出される、その胴体に不釣合いな巨大ドリルもエリオン相手では児戯に等しく。視界の中央で彼は、苦も無く残った一機のボックスタイプを翻弄する。
 エリオンが自在に振り回す、MARZカラーのテムジン411号機に損傷は全くない。

《それよりリーイン、カメラはどこ?》

 もう既にバイザーを上げて、リーインは戦闘への参加を放棄した。
 目の前に広がる画面の文字列から、彼女は素早くエリオンの求める情報を拾い上げる。この街最大の娯楽チャンネル、WVCの中継車は彼女のすぐ側にいた。警告を与えたくなる程に近くに。

「呆れた……ホント貴方、余裕たっぷりね。私の足元よ、この時間だとまあ」
《今日も七時のニュースでお茶の間に流れちゃう訳だ。じゃ、期待に応えないとね》

 もはや悪役と化したボックス系の改造機体が、やぶれかぶれの一撃を放つ。それを回避し、相手を踏み台に天へと駆け上がるテムジン411号機。その手は携行するスライプナーを空へと放った。同時に背中のマインドブースターを輝かせて四肢を広げるエリオンの愛機。

「んじゃ、お決まりの……MARZ戦闘教義指導要綱13番、『一撃必殺』!」

 巨大な刃へと変形したスライプナーに乗って、テムジン411号機は急降下した。その一撃は正に、蒼穹より振り下ろされる必殺の切り札。もう既にパワーボムの余波でも撃破できる相手を、エリオンは丁寧にブルースライダーで両断した。
 その姿は夕日をバックに、きっちりと各局のカメラに収まる。無論、WVCには一番いい絵を提供できた筈だ。
 気付けばリーインも、崩れ落ちるボックスタイプを背に敬礼する相棒に魅入っていた。

《これが、MARZの流儀だっ!》
「はいはい、てっしゅー……はあ、今週もまだ半ばだってのにハードよね」
《え、そう? 僕は別に》
「はいはい、貴方はいいの。だって貴方、エリオンだもの。ほら、帰るよ?」

 相棒の決め台詞に、感嘆半分呆れ半分の声をリーインは返してしまった。そこに僅かに混じる羨望と嫉妬を恥じながら。慌てて口を噤むも、エリオンに気にした様子もなく。彼のテムジン411号機は残骸と化したボックス系――後の照会で「VOX B-248 "Bobby"」、通称ボビーと判明した改造機体を一瞥すると、リーインのテムジン412号機に近付いてくる。
 リーインは手早く、交戦した機体の所属を読み取る。後日請求されるであろう損害賠償を思えば、人間有価証券たるパイロット達に多少は同情もしたくなったが。同時に、連日連夜の違法交戦続きで、働き詰めのこの半月をこそ呪った。
 無論、彼女もエリオンも固定給である。もっとも、エリオンは自分の口座残高に全く興味を示さない類の人間だったが。

「そいえば隊長、明日にも補充要員が来るって言ってたっけ」

 奪われ忘れて久しい、麗しの休暇を思い出しながら。今は熱いシャワーが何より欲しいリーインはふと思い出した。もうすぐこの、馬鹿げた忙しすぎるシフトから解放される事を。
 Vca8年4月、太陽系第四惑星――火星。激化する木星継承戦争の最中、拡大の一途を辿る火星戦線の片隅で。人知れず、歴史に残らぬ物語が産声をあげようとしていた。

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