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 午後の雨はまるで、真っ赤に灼けた大地を潤すようだとシヨは思った。
 そして、雨に煙るウィスタリアの街は壮観の一言。
 賑やかな中心街以外は、ズラリと無骨な同一規格の建物が連なる街並み。それは全て、耐爆耐圧設計の弾薬庫であり格納庫であり、物資集積所でもある。その間を目まぐるしくリニアレールが走り、道路は全てバーチャロイドサイズ。今もシヨの視界を、見慣れたVOX系やアファームド系、707系のテムジンなどが行き来していた。

「凄いな、これがウィスタリア……バーチャロイドが沢山。あ、あれはもしかして」
「――チバナ三査、聞いてるかね?」
「やっぱりエンジェランだ。ここからだと良く見えないな、ネットで話題の化鳥ってのかな」
「タチバナ三査……シヨ=タチバナ三査! 貴様は本当に反省しているのかね!」

 ダン! と机を叩く音で、シヨは現実に引き戻された。
 ここはMARZウィスタリア分署、署長室。眺めのいい外の風景に見入っていたシヨの肌を、怒気を含んだ声が叩いた。
 シヨは今朝の空港の件で、着任早々から署長室に呼び出されていた。相棒のルインと一緒に。

「は、はいっ、済みません……聞いてませんでした」

 再び怒声が響いて、シヨは身を縮めた。
 MARZの制服をパンパンに膨らませた、ウィスタリア分署の総責任者である署長。典型的な中年太りの巨体を揺すって、彼は机から身を乗り出して説教を叫んでいた。

「まあいい、タチバナ三査。貴様はまだいい……問題はっ! コーニッシュ三査!」
「はあ」

 署長の矛先がルインへと向いた。しかし返る返事は、まるで気が抜けたように虚しく響く。

「コーニッシュ三査、貴様は事の重大さが解っているのかね?」
「はあ、その、すんません」
「お昼のワイドショーを席巻だっ! これはウィスタリア分署始まって以来の大不祥事だぞ、貴様!」
「……すんません」

 ウィスタリア空港占拠事件は、暴走バーチャロイドを止めに入ったMARZが暴走するという、異例の結果で集束した。しかし暴走した当の本人は、どこか他人事のようで。シヨもそんなルインを見れば、あれは夢だったのではと思いたくもなる。
 しかし現実に、完膚なきまでに徹底破壊されたテムジンは、引き取りに来たフレッシュ・リフォーの回収部隊が嫌味を言う程の惨状だった。

「ふう……いかん、胃が痛くなってきたよ私は。リタリー君、ちょっと出てきたまえ」
「お呼びでしょうか、署長」

 署長のデスク上に、突如MARZのマークが浮かび上がった。同時に響く優雅な声は、二人の直属の上司であるリタリー特査。その姿は、正式に着任した午後になってもシヨの前には現れていない。

「ホァン三査やオーフィル三査の実力は認める、が……キミ、これはどういう事だね?」
「申し訳ありません、署長。二人とも有能な私の部下なのですが」
「どの辺がだね、どの辺が。困るよ、キミ……私にも立場ってものがあるのだからね」
「よく言って聞かせます。取り合えず、コーニッシュ三査」

 はあ、とルインは、隊長であるリタリー特査に対しても要領を得ない。
 しかし気にした様子も見せず、咎めもせず。隊長が言葉を続ければ、MARZマークが声に合わせてふわふわと揺らいだ。気品に満ちた優しげな、しかし強い意志を秘めた声。

「今回の空港での件、本来ならばどう対処すべきだったか……言ってみなさい」
「ええと、先ずは教本通りにバックスが説得と警告、その間に……」
「それを貴様がやらんかったではないかっ!」

 再び署長が激しく机を叩く。シヨは、そのゆでだこのように真っ赤なハゲ頭に浮かぶ静脈が、いつ切れて血を噴出すかとヒヤヒヤした。
 そんな緊張感のない相棒の隣で、ぼそぼそとルインは喋り続ける。

「フォワードは回りこんで、敵機の背面より接近。拘束して武装解除に持ち込みます」
「ふむ。模範解答だが、そんなに上手くいくだろうか?」
「バックス次第です。なるべく敵機の視界に入り、注意を引き付ける必要があると思いますが……」
「相手だって馬鹿じゃない、後方を警戒してればタチバナの接近に気付くだろう」
「しかし、気付いた時にはもう挟み撃ちになってるんで、まあその時点で詰みというか」
「……若干、テレビ映りが悪いな。二対一では弱い者苛めに見えてしまうだろう」
「まあ、なので説得を中心に、あくまで相手が攻撃してきたという状況を作れば、何とか」

 隊長の良く通る声に、聞き取り辛い声が応える。
 それをただ、シヨは黙って聞くしかなかった。先ほどまで怒り狂っていた署長も、目を白黒させている。
 ルインは的確に、バックス担当としての任務を把握はしていた。それこそ、WVCが名付けた"MARZの狂犬"その人とは思えない位に。ただ、実行されなかっただけで、それは大問題だったが。
 呆気に取られたシヨは思わず署長を見て、そこに自分と同じ感情を発見。しかし署長は、ぽかんとしていたのも束の間、また烈火のごとく怒り出した。

「だったら貴様っ! 何故それをやらんのだ!」
「ええと、その、すんません」

 署長は呆れて、豪華な革張りの椅子にその巨体を投げ出し押し込んだ。

「くそっ、腐っても名門コーニッシュ家の血筋か……頭は多少回るが、現場であれではな」
「署長、その件に関しては隊長の私に責任があります」
「まったく、とんだ厄介者を背負い込んだもんだな? 早々に善処したまえ」
「了解、とりあえずコーニッシュ。タチバナもオフィスに来たまえ。そこでもう少し話そう」

 そういい残して、立体映像は消えた。同時にクルリと椅子を回して背を向けた署長が、忌々しそうにシッシと手を振る。もう失せろと言っているのが解って、シヨはなだらかな胸を撫で下ろした。

「え、えと、その、本日は申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」
「ほんと、すんません」

 二人そろって身を正して敬礼し、場を辞する。その背にあびせられた言葉を聞いて、思わずシヨは大声を上げた。

「なるほど、軍人一家の末っ子がMARZに放り込まれる訳だ……兄のエノ――」
「わー、ルイン君怒られちゃったね、私も怒られちゃった。それより行こうよ、すぐ行こう」

 不思議そうな顔で振り向く署長を置き去りに、シヨはルインの背を押して長身を署長室から連れ出す。
 バーチャロイドに搭乗すると暴走するルインを、最暴走させるキーワード。それはどうやら彼の兄のことらしいとシヨは思っていた。実際にそれを目にした時の戦慄は、午後になった今でもよく覚えている。  その横ではルインが、相変わらずぼんやりとパイロット用のオフィスへ歩き出していた。慌てて追いかけ追いつき、並んで歩くシヨ。

「ふふ、二人とも随分絞られたみたいね……ようこそMARZへ、歓迎するわ」

 不意に声を掛けられた。振り向けば、署長室のドアの前に一人の女性が立っている。その頬が赤い……今までずっと、彼女は扉に張り付いて中の様子を窺っていたらしかった。

「ええと、あなたは……」
「やっとこれで二小隊のローテが組める……ああっ、さよなら不眠不休の日々。こんにちは、私の大好きな休暇。この際、狂犬でも何でも大歓迎よ。ある意味ね」

 ルインも振り向き、眼前の女性を一瞥。彼は即座に、同族の匂いを敏感に嗅ぎ取った。しかしそれに対して、何ら特別な感情を感じはしなかったが。

「……姉ちゃんもバーチャロイドのパイロットか」
「え? あ、そ、そうなんですか? あ、あの、わたしシヨ=タチバナです」

 差し出される手を握って、シヨは眼前の麗人にあたふたと自己紹介をした。同じアジア系の顔立ちだが、切れ長のツリ目は利発な印象をシヨに抱かせる。
 加えて言えば、スタイルでガラヤカとフェイイェン位の差があった。シヨは軽く落胆。

「ホァン=リーイン、同じ三査。ええと、狂犬君はお名前は確か……」
「俺ぁルイン、ルイン=コーニッシュだ」

 リーインはルインとも握手を交わすと、その顔をまじまじと眺めた。

「ふぅん、あんましお兄さんに似てないわね」
「はあ、まあ……すんません」

 シヨは一瞬、心臓の鼓動が跳ね上がった。しかし、彼女の心配は杞憂に終る。兄の話題に触れられても、隣のルインは眠そうな目をしばたかせるだけだった。

「うーん、バーチャロイドに乗ってなければ大丈夫なのかな」
「何? ああ、例の暴走の話? エリオンが関心してたわ、あんな動きは誰にも出来ないって」
「そ、そうなんですか? っと、そのエリオンさんというのは……」
「ん、噂をすればほら」

 廊下の向こうに、小柄な少年が姿を現した。その幼い容姿は、どこか堅苦しいMARZの制服とのギャップが著しい。
 最も、シヨも見た目に関しては人の事が言えない童顔だったが。

「リーイン、隊長がオフィスに全員集合だって……あ、第二小隊の?」
「は、はじめまして。わたしはシヨ=タチバナです」
「……ルイン=コーニッシュだ」

 少年は駆けて来た。揺れる銀髪が嫌に目立つ。

「えっと、422号機のパイロットは」
「……俺だけど」
「ああ、貴方が。良かったら是非、後でデータを見――や、その前にシミュレーターで……」
「随分と仕事熱心なんだな、ウィスタリアのエース様は」

 シヨの隣でリーインが、深い深い溜息を一つ。彼女はルインを見上げる少年に歩み寄ると、その頭をポカリと拳骨で軽く小突いた。

「こら、エリオン。先ずは挨拶と自己紹介でしょ。どうして貴方っていつもそうなの?」
「え? いやだって、今朝の戦闘はあれ、凄いじゃないか。今後の参考に……」
「はいはい、ホントにこのバーチャロイド馬鹿は……ほら、自己紹介して」

 まるで姉弟のようだと思い、大勢の兄達や姉達を思い出すシヨ。彼女の前でおずおずと、少年は改まって喋り出した。

「エリオン=オーフィルです、よろしく」
「知ってる」
「え? そ、そうなのルイン君?」
「来る時にシャトルで見せたろ、あのテムジンの……テムジン411号機のパイロットだ」
「おおー、あの時のっ」

 思わずガシッ! とエリオンの手をシヨは握った。憧れの眼差しを注がれ、僅かに頬を赤らめるエリオン。しかし構わず、感動のあまりシヨは手に手を重ねた。

「まあ、積もる話はオフィスでしましょ。それと貴方達……覚悟した方がいいわよ?」

 意味深な笑みを浮かべて、リーインが歩き出す。それをルインが、意味も解らず背を丸めて追った。シヨはブンブンとエリオンと握る手を上下させながら、それを見送り……自分も行くのだと気付いて、慌てて手を放す。

「……覚悟ってなんだ、覚悟って」
「そりゃ決まってるでしょ……始末書よっ! し、ま、つ、しょ」
「わ、忘れてた……そうだ、ルイン君どうしよう」
「それならリーインが詳しいよ、書き慣れて……痛っ、またぶった」

 四人のパイロットは互いに連れ添いながら、騒がしくオフィスへと移動した。
 こうしてMARZウィスタリア分署は、二小隊制により本格稼動を開始。多発するウィスタリア内でのバーチャロイド犯罪は、新たな局面を迎える事となった。

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