シヨは衝撃に思わず目をつぶった。シートへパイロットを固定する為のセーフティジャケットが体に食い込み、思わず息が詰まる。
彼女を乗せたまま、テムジン411号機はハンガー内で派手にスッ転んだ。
「う、うそ。え? だって――」
ただ、歩いただけ。歩こうとして、一歩を踏み出しただけで。まるで本来の主ではないシヨを拒むかのように、テムジン411号機はバランスを崩してうつ伏せに転倒したのだった。
周囲では整備班が何やら騒がしい。
《シヨちゃ〜ん、んもぉ! 給料日前なのに勘弁してよね……トホホ、スカンピンだ》
《いいからさっさと払った、払った! この賭け、どう見ても鉄板だろ》
《歩く位はできると思ったんですけど……やっぱりあの機体は特別ですか? おやっさん》
《まぁ、お嬢ちゃんもいい勉強になったろ。何事も経験、頭でだけ考えちゃいけねぇよ》
マイクが拾う外の声。どうやらシヨは知らぬ間に、賭博の対象になっていたらしい。
しかしそれよりも、今は立ち上がることが先決。先程より慎重に、丁寧に……シヨは小さく深呼吸して、ゆっくりスティックを操作。
再度、ハンガー内に衝撃音が響き渡った。
時はしばし巻き戻る――シヨは待機時間を使って、愛機テムジン421号機の調整作業に立ち会っていた。皆が言う程には小さくない尻をシートに押し込み、正面モニターに走る数字の羅列を読み取ってゆく。
彼女は光学キーボードを操作して数値を補正しながら、光の差す天井を見上げて声を上げた。
「おやっさーん、これ……こんなに下げちゃってもいいんですか?」
「先ずはこの仕様を乗りこなしてみな、お嬢ちゃん。話はそれからってことよ」
開きっぱなしのコクピットハッチから、初老の男が顔を出す。頬の縫い傷にサングラスがトレードマークの、ウィスタリア分署の整備班を纏め上げる上級技官――ベンディッツ班長。愛称はおやっさん。
彼の手で今、テムジン421号機は出力リミッターを施され、本来のMARZ保有機が持つパワーを押さえられていた。例え戦闘経験値ゼロの機体でも……おやっさんは触れば乗り手の技量をだいたい把握することができたから。
パイロットにとって、愛機とは己を映す鏡。
「パワー、こんなに抑えて……市販のJ型と大差ないように見えます」
「その分ほら、トルクはあんのよ。いやぁ、本格的な戦闘を経験する前に仕様変更できて良かった」
「そ、そうですか? あの、わたしもちょっと自分でセッティングを考えてたんですけど」
コクピットから這い出ると、シヨはおやっさんに並んで整備用の入力端末を覗き見る。彼女は持参のメモリを接続すると、寝る間も惜しんで作成したデータを表示させた。
「ほぉ……素人が考えたにしちゃ。だが、なぁ」
「わたし、自信ないんです……操縦のほうは。だから、ソフトをハードでカバーできれば、って」
「ちゃんと安全マージンも取って、パワーもキッチリ出す、か。まぁ、悪くはねぇな」
「扱いやすさが大事なの、解る積もりです。でも、この火星では第三世代型の優位性も考慮して……」
シヨの隠れた才能に、おやっさんは少しだけ関心した。
一見して頼りない、少女然とした新米三査のシヨ。その彼女が今、この道一筋の職人が見てもうなるようなデータを提示しつつ。目にも留まらぬ速さでキーボードをタッチする。何パターンにも分岐するセッティングプランは、どれもよく詰められていたが……
「訓練校の整備科なら、どれも満点の貰えるセッティングだな。たいしたもんだ、お嬢ちゃん」
「じゃあ、このどれかをベースに――」
「そりゃ駄目だ、これはあくまでプランとしてはいい。だがな、現場じゃそうもいかねんだよ」
「駄目、ですか」
「ちょい優等生過ぎる。お嬢ちゃんは頭で考えてるだけ、どれもカツカツでおっかねぇ。それと」
「は、はい……」
「ソフトを補うのがハードじゃない、ソフトにあわせて調整するのがハードってこった」
「それは、つまり」
おやっさんの言いたいことは、シヨには解る。
「結局、パイロットの腕ですよね。はぁ……いいと思ったんだけどな」
「はは、まぁ暫くリミッターかけて乗ってみな? 不満が出るレベルじゃねぇからよ」
「……そんなにわたし、ヘタッピに見えますか?」
「そうさな、丁寧でお手本のような操縦だが……ちょい危なっかしいな。余裕がねぇんだわ」
そう言っておやっさんは立ち上がると、テムジン421号機の頭部に寄りかかりながら溜息を一つ。
振り向き視線でその姿を追うシヨは、落胆しながら端末からメモリを引っこ抜いて立ち上がった。
「ドンパチ経験する前でよかったぜ、しかし。うちのテムジンは全部特別だからよ……」
頬の傷をなぞりながら、サングラスの奥で瞳が遠くを見詰める。その横顔を見れば、シヨは納得するしかない。自分の未熟さは誰よりも、自分自身が解っているから。
「わかりました。ごめんなさい、おやっさん……わたし、今の仕様を乗りこなしてみせます」
「その意気だ、お嬢ちゃん。先ずは愛機を手の内に掌握するんだな」
「はいっ、がんばります。忙しい中ありがとうございました。おやっさん、優しいんですね」
「ま、まぁ仕事だからよ! ガッハッハ……そそ、それにあれだ、面倒な機体増えっと困るしよ!」
顔を真っ赤にして照れながら、おやっさんは背後を振り返った。その視線の先には、大勢の整備班が取り付くテムジン422号機……ルインの乗機。
「ルインの坊主は何も言わねぇが、あーゆーふうに振り回されちゃな……」
「やっぱり、その、まずい、ですよね……ルイン君の暴走」
「操縦だけに関して言えば悪かねぇよ。それにあわせたセッティングにすんだけだ。ただ……」
「教本通りに暴走してくれたら、いいんですけどねー」
心からそう思いながら、シヨはおやっさんの説明に耳を傾ける。
暴走時のルインの操作は荒っぽい。しかしそれもソフトの個性なら……それに合わせてハードを調整するだけ。ピーク時の出力に主眼を置いて、多少のムラは出るができるだけパワーを搾り出す。テムジン422号機は今や、ウィスタリア分署ではピーキーチューンの双璧。その片割れだった。
「まあ、楽な仕事なんざねぇ。あっちの二機も随分手を焼かされたぜ……面白いけどよ」
向こう側のハンガーに並ぶ、第一小隊の二機のテムジン。それをシヨは、おやっさんと並んで見やる。両機とも整備を終え、いつでも出撃可能な状態で待機していた。
「リーインさんのテムジンもいい子ですよね。スペック、拝見しました」
「結構リーインちゃんもうるさいからな。兎に角トータルバランス、こだわってんのよ」
「長所を伸ばすより、短所を減らすって言ってました。そゆのもアリなんですかー」
「ああ。412号機はもう、潔くピークパワーを斬り捨ててっからな。その分アチコチ余裕あんのよ」
地味だが細やかなセッティング作業を思い出し、おやっさんが腕組み大きく何度も頷いた。その苦労を語られ相槌を打つシヨは、自然とその相棒……エリオンのテムジン411号機に関する話題を振る。
ウィスタリア分署のエース専用機は、外観だけはシヨの421号機と同じ姿で佇んでいた。
「あー、エリオン坊やの……ありゃーマインドブースターにまで手ぇ入れてっからなー」
「凄いですね、それ。ちょっと見たいな、あの、データとか見せて貰っても」
「ん、そうだなぁ。まぁ百聞は一見にしかずって言うしよ、お嬢ちゃん。乗ってみな」
きょとんとするシヨに、おやっさんは再度言葉を重ねた。乗ってみな、と。
「え、でもわたしなんかが……」
「お嬢ちゃんに何が足りないか、すぐに解っからよ。おい誰か! 411号機、システム立ち上げ!」
そして物語は冒頭へと紡がれる。
あれよあれよという間にシヨは、整備班達の応援を一身に背負って搭乗。当たり前だが自分の愛機と変わらぬコクピットに収まると、込み上げる高揚感を弾ませて一歩を踏み出した。つもりだったのだ。
《おーおー、エリオンでもこけることってあるのな》
《んもうっ! エリオン、何やってんのよ!》
《え? 僕、乗ってないけど……何かそういえばさっき、シヨさんに貸してもいいかって》
《シヨ!? 大丈夫かしら。私でも歩かせるだけでやっとなんだもの、ある意味》
《どうでもいいけど、怪我とかしてねーよな? おーい、シヨー、生きてっかー》
他のパイロット達も集まり始めた。その中から駆けて来る銀髪の少年を視界の隅に捉えて。ヘッドギアのバイザーを上げながら、シヨはコクピットハッチを開放した。
四角い外への出口から、エリオンの顔が覗いてくる。
「シヨさん、お怪我ないですか?」
「わたしは大丈夫、だけど。ごめんね、この子転ばしちゃって」
「や、この程度で壊れたりは。それより、いいデータが取れたかも。転んだこと、殆どないし」
「そ、そう。とりあえず起こしたいんだけど、どうしたらいいのかな」
「えーと、うーん……その、サックリ軽めでメリハリつけた操作がいいんですよ、コイツ」
「……ごめん、わかんない。M.S.B.S.の反応が過敏すぎるよ、この子……足も硬いし」
「限界までマージン削って貰ったしな……あ、じゃあちょっと、その、失礼します」
バーチャロイドのコクピットに、小柄とはいえ二人の男女が入るスペースはない。パイロットはバーチャロイドにとって、一番高価な部品の一つ。それを納める場所は、旧暦時代の戦闘機を髣髴とさせる。
そんな訳でエリオンは一度顔を引っ込めると、胸部に腹ばいになって首を突っ込んだ。彼はシヨと顔を並べて、逆さまの正面モニターを見ながらスティックに手を伸べる。
「ま、待ってエリオン君。わたし、一回降りるね。逆さまだと流石に」
「とりあえず立たせるだけですし、平気です」
緊張に引きつる顔の横で、エリオンが苦もなく逆さまのスティックを操る。
何事もなかったかのように、立ち上がるテムジン411号機。本来ならこの程度の基本動作は、M.S.B.S.が思念を仲立して、イメージ通りに難なく誰でもこなせる筈だが。エリオンの機体はどこもかしこも限界チューン……搭載されているM.S.B.S.は市販のVer.7.5ながらも、エリオン用に極度の最適化が施されていた。
もはやテムジン411号機は、完全にエリオン専用機。
「ふうー、お手数かけました……やっぱり凄いね、エリオン君」
「そうでもないですよ。僕は小さい頃からこれだけやってたか、らっ!?」
テムジン411号機は過敏すぎた。せめて定位置に戻そうとしたシヨの操作で、その機体が大きくよろける。少しだけコツを掴んだシヨが、瞬時にバランスを取った瞬間。
天井からぶらさがっていたエリオンが落ちてきた。そのまま彼の頭は、シヨのなだらかな上体をなぞって滑り落ち……太股の間にすっぽりと収まった。
「あたた、すみませんシヨさん。ってか、今度は転びませんでしたね」
「うん。この子、素直すぎるだけなんだね……あ、大丈夫?」
エリオンは何とかコクピットから這出た後、事の次第を聞かれて。シヨの上に落下した事をあっけらかんと説明した。その結果、訳も解らず整備班のお兄さん達に羨ましがられつつ可愛がられてしまったが。
シヨとエリオン、二人はある一点において非常に良く似ているようだった。