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 遠雷を響かせ、雨雲が近付く。相棒の警告を吸い込む空は次第に陰り、低く這う暗雲がたれこめた。
 急な通り雨の予感に、シヨは僅かに天を仰いだ。その網膜にリンクしたメインカメラに、最初の雨粒がポタリと滲む。
 事件現場と化したサヴィルロウの駐機場から、野次馬達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。めいめいに走るその背中を、激しく振り出した雨が追い立てる。店内はお昼時のピークを迎えており、誰もが窓辺に寄って事件の顛末を見守った。

《バッキャロォ! 昼から飲んでなぁーにが悪ぃってんだあ! ああ!?》
《シヨ、左右から挟んで通りに引っ張りだすぞ。前線帰りで気が立ってるから……シヨ?》

 ルインの声に、シヨは我に返って目標を見据える。今までその瞳に映してはいたが、まったく意識を向けていなかった。ここ最近のシヨは集中力に欠け、直ぐに思案のループに落ち込んでしまう。
 改めて暴走バーチャロイドを視界の真ん中に据えて、機体を照会……アファームドT型のバリエーション、「RVR-62-D "APHARMD T typeD"」であることを愛機に告げられても、どこかシヨは上の空。
 それでも気合を入れるべくヘッドギアの額をコツンと叩くと、シヨは改めてスティックを握りなおした。しかし、あの日の――初めてバーチャロイドを撃破した日の疑問は頭から消えない。何故、MARZで戦っているのか? 何度も繰り返し自問するも、その明確な答は今だ出ず。

「ごめん、またボーッとしてた。わたしが前衛、だよね。よ、よーし」
《ちげーよシヨ、ここで乱闘はまずいだろ。相手は一機、左右から挟んで押さえ込めば終わりだろ?》
「あ、そ、そだね。……ごめん」
《最近ヘンだぞ、お前。まあ、俺も人のこと言える立場じゃねぇけどよ》

 相手を刺激せぬよう、ゆっくり歩いて左右から近寄る二機のテムジン。激しい雨に煙る視界で、千鳥足のアファームドが大きくよろけた。

《とりあえず、やることやってからボーッとしようぜ。それとも何か、心配事か?》
「あ、うーん。んとね、心配事というか……ああそうか、わたし心配なんだ」

 狭い視界内に上手く相手を収めながら、僚機テムジン422号機が逆側から回りこむ。その中で乗機を操るルインの言葉に、シヨは一人で自分に納得した。
 シヨは心配だった。自分が、大好きなバーチャロイドを傷つける人間になってしまうことが。そして何より、バーチャロイドが好きというだけで、バーチャロイドの破壊が避けられないMARZの人間になってしまったことが。
 あまりに今更なことで、自分でも呆れてしまう。――溜息。

「ね、ねえルイン君。ルイン君はどうして、MARZに入ったの?」
《あ? それ、今する話かよ。それよかシヨ、もうちょい距離詰めろ》
「了解。ごめん」
《まあ、エリート軍人一家的によ……落ちこぼれでもMARZ位には放り込まなきゃ、って感じだな》

 僅かに動揺したかに見えたが、テムジン422号機はしっかりとアファームドの左腕を背後から掴んだ。抵抗する動きも散漫で、二人の間を酔っ払いの罵詈雑言が響き渡る。

「そっか、ルイン君も大変なんだ。わたしはね、わたしは……」
《つーかシヨ、手ぇ動かせって。そっち固定しろ、もう終らせんぞ》
《あぁ!? 終るもなにもぉ! 俺ぁ始まってすらいねーんだよぉぉぉ!》

 不意にアファームドが上体を揺すって暴れ出した。左右の腕を滅茶苦茶に振り回し、捕縛していたルインのテムジン422号機を振り解く。
 一瞬反応が遅れたものの、咄嗟にシヨは踏み込み手を伸べた。僚機と挟む形で、その無軌道で無意味な暴走を食い止めようと押さえつける。傍から見るとそれは、酔っ払ったアファームドにすがりつく二機のテムジン、という構図だった。
 カメラ映りは非常に悪いが、幸いWVCの中継車は現れていなかった。今は、まだ。

《ちきしょーめぇ! これが、飲まずに、いられますかっ、てんだ、よぉぉぉ!》

 メインカメラに一際強い光を宿して、アファームドのVコンバーターが唸りを上げる。興奮するパイロットに呼応するかのように、その中心でVクリスタルは一瞬だけ高出力を搾り出した。拘束しようと体を浴びせる、ルインのテムジン422号機が突き飛ばされてよろけながら離れた。

「ルイン君っ、大丈夫? ええいっ、抵抗しないで……お願い、だから」

 シヨのテムジン421号機が左手でアファームドの右腕を逆関節に極める。筈だったが、まるでテコのように動かない。アファームドはそのマッシブな腕一本で軽々と、シヨのテムジン421号機も振り払った。
 雨で滑る路上で、バランスを崩すシヨのテムジン421号機。沈む気持ちを引きずって、機体も今日はいやに重い。必死の操縦も虚しく、彼女は逃走するアファームドを見送りながら転倒した。駐機してあるバーチャロイドを巻き添えにして。
 サヴィルロウの店内から複数の悲鳴があがった。

《あぁーっとぉ! もう既に戦端は開かれていたかぁ、アファームドタイプが逃げる逃げるぅ!》

 路上へと躍り出て、向かいの建物に正面から突っ込みながら。おぼつかない足取りでアファームドがダッシュの体制に入る。その危なっかしい姿と入れ違いに、公共周波数に実況解説を叫びながら一台のワンボックスが現れた。今にも横転しそうな勢いで横滑りに停まる、それはWVCの中継車。

《シヨ、俺が追うからよ。そこ片付けてちゃんと謝っとけ、それと、その……なっ、なんでもねぇ》
《ああっと、あのアンテナ付きはっ! MARZの狂犬、コーニッシュ三査が追跡に移るっ! 果たして今日もまた、悪夢の暴走劇はあるのかっ! ほら、早く車出し……ちょい待ち、ストップ》

 素早く体勢を立て直した、ルインのテムジン422号機が颯爽と通りに飛び出た。そのままスロットルを叩き込まれて、雨を弾いて走り去る。その背を追いかけようと急発進したWVCの中継車は、リポーターの鶴の一声で急停止。
 大の字に倒れた愛機の中で、シヨは一連の流れを呆然と眺めていた。降着状態で片膝突いて駐機してあった、マイザーとダンが下敷きになっている……コクピットの外では雨の中、サヴィルロウから駆けつけた両機のパイロットらしき男達が、猛抗議を叫んでいた。
 そんな中、WVCの中継車が近付いて来るのが見えた。

《カメラ、いい? いっつもドンパチ乱闘中継だけじゃ飽きられるからね。あー、ゴホン! MARZウィスタリア分署所属、第二小隊のシヨ=タチバナ三査? 聞こえていたら応答していただけますか?》

 動悸が激しくなり、呼吸が浅くなる。シヨは自分に落ち着くよう語りかけながら、ようやく乗機を立ち上がらせた。その足元に駆けて来る男達に深々と頭を下げると、押し倒してしまったマイザーとダンを元の位置へと戻す。どうやら大きな破損はないようだが、損害請求と始末書は免れない。
 こうならないようにルインが、通りに誘導しようといっていたのだとシヨは初めて理解した。しかしそれも後の祭りで。よしんば理解していても、集中力を欠いたシヨでは結果は同じだっただろう。

「えと、マイザーおよびダンのパイロットの方、申し訳ありませんでした。治安維持の為とはいえ、大変御迷惑をおかけいたしま――」

 男達は立ち尽くすテムジン421号機にありったけの怒声を浴びせると、我先にと愛機に駆け寄った。コクピットに濡れた体を押し込み、些細なダメージも見逃すまいとチェック作業に追われる。命を預ける機体なれば、それはバーチャロイドのパイロットとして当然だった。

《タチバナ三査、WVCのチェ=リウです。今回の大失敗について一言コメントをいただけますか?》
「しょ、職務中につき、お答えできません。ごめんなさい」

 動揺するシヨを乗せ、その揺らぎが伝わってテムジン421号機がよろめいた。それでも舌鋒鋭いレポーターの追及は止まらない。そればかりか、より一層語気を強めて勢い付く。

《スッ転んで、駐機してあるバーチャロイドを壊すのも職務ですか? タチバナ三査》

 息が止まる。心臓は逆に爆発寸前。シヨは鼻の奥がツンと痛み、瞳の奥から込み上げるものを感じてヘッドギアのバイザーを押し上げた。壊れただろうか、と正面モニターに映る二機のバーチャロイドを見詰める。ダンもマイザーも、今は主を懐に迎え入れ、黙って俯いている。今頃、ダメージを訴えているだろうか? そう思えば自然と、データの羅列が走る画像が滲んだ。

《我々ウィスタリア市民としては、健全な都市機能維持の為に、運営委員会へ運営費を納めており……聞いてますか、タチバナ三査? 各企業や市民達の出した、貴重な資金で治安維持を任されたMARZとして……》

 零れそうになる涙をグイと拭って、シヨは気を取り直す。全ては自業自得、身から出た錆……そしてそれは、今後挽回していくしかない。その過程でもしかしたら、今は迷い彷徨う心の疑問にも、答が見出せるかもしれないから。
 シヨは再度「職務中ですので、すみません」と告げてWVCのレポーターを何とか突き放すと、事故に巻き込まれたマイザーとダンのパイロットに呼びかけた。

「MARZウィスタリア分署第二小隊所属の、シヨ=タチバナ三査です。あの、その子達は……」
《あ? ああ、こっちゃ外装ちょっちこすれただけよ。ったく……けどあっちはマイザーだしな》
《どーしてくれんだ、MARZのお嬢ちゃんっ! 主翼イッちゃってるじゃないの! あーもぉっ!》
「申し訳ありません……その、修理費用の方は署に請求していただければ」
《ま、オタク等も大変なんだろうけどさ。今度から気ぃつけてくれや? 巻き添えって笑えねぇ……》
《午後のフライトプランがパァだ! そりゃ見てくれはシャンとしてるけど……請求? するさ!》

 マイザーとダンのコクピットが同時に開くのを見て、シヨもハッチを開放してコクピットから這い出た。勢いこそ弱まったものの、雨は以前として降り注ぎ、容赦なくシヨの体温を奪っていく。
 濡れる足元に気をつけて愛機の胸部に立つと、シヨは深々と頭を下げた。じっと胸部の装甲を、その一点を見詰める彼女を男達の呆れた溜息が揺さ振る。ルインが連絡をしてくれたらしく、署からの応援の車両が駆けつけ、周囲が慌しくなっても……なかなかシヨは頭を上げられなかった。

「タチバナ三査、そもそも今回の事故の原因はなんだったんですか? MARZで運用されるテムジンのピーキーなチューニングはこの街でも有名ですが……そう簡単に転倒してしまうものなんですか?」

 やっと頭を上げたシヨは、愛機の足元で自分を見上げながら、下がらせようとするMARZ職員に抗う姿を見た。チェ=リウ……それが見るからに頑強な顔の骨格をした、細い目に強い光を宿すWVCレポーターの名前。彼女は制止を振り切り、コメントを求めてシヨを見上げ続ける。否、睨み続ける。

「下がってください、コメントは署の方から出しますから!」
「先程のアファームドでしたら、三ブロック先で無事確保できたんで! 下がってください!」
「ああっ、今MARZの職員が私を無理矢理っ! 結局タチバナ三査からは一言もコメントが貰えませんでした! 以上、事故現場……いえ、事件現場からチェ=リウがお届けしました!」

 二人の若い男性職員に左右から挟まれ、レポーターが連れ出されてゆく。その姿にシヨは、本来今日の暴走バーチャロイドを教本通りに拘束する筈だった、自分とルインのテムジンを重ねて見た。
 職務にもっと集中していれば……悔やんでも悔やみきれないが、覆水本に返らず。それを身を持って知ったシヨに雨は注いだ。

「ごめんね、二人とも。あなたもごめん、私が未熟だから……ごめんね」

 マイザーとダンに謝り、振り返って自分のテムジンにも謝って。足元が慌しくなる中、シヨは現場検証に立ち会うべく、コクピットに戻ってテムジン421号機を屈ませた。一度コクピットに戻れば、もうずぶ濡れの身で引きこもりたくもなるが。彼女はせめてもの責任をと、愛機を出て地面に降り立った。

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