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 晴天、無風――されど波高し。
 火星の渇いた海が凪ぐことはない。無限に続く赤錆びた大地は、その全てが戦場だから。
 ウィスタリアRJ西側第七ゲートに今、四機のテムジンが片膝をついて俯いている。その一機、第二小隊所属テムジン421号機の後頭部に寝そべり、シヨ=タチバナはぼんやりと空を見上げていた。
 ヘアバンドで秀でた額に、一房だけ飛び出た紫髪をいらう。

「おーい、シヨ。そんなとこで何やってんだ、降りて来いって。ミーティング」

 愛機の足元で相棒の声がして、シヨは大きく天へと両足を振りあげる。その勢いをつけた反動で飛び起き、前のめりで落下しそうになりながら……辛うじて堪えると、ルインを見下ろし言葉を返した。

「う、うんっ。今行く」

 そうして手を振り、シヨは振り返った。
 直ぐ目の前、距離にして僅か数キロ先に……既にもう、敵の姿はあった。突如現れた、謎のVR部隊がウィスタリアRJへと攻撃の意思を示すなら。それは間違いなくシヨにとって、MARZにとって敵だった。
 雲一つ無い青空の下、こちらと同じく待機状態で身を正すバーチャロイドの群。リアルカラーに大きな髑髏マークで統一されたマイザーの中に、一機だけ異様を佇ませて圧気を発する機体があった。
 シヨは腰に手を当て、ピシリと指差す。ぐるりと全身をシートにくるまれたスペシネフへ。

「く、来るならこいっ、です。ウィスタリアの治安は、このっ……」
「いーから降りて来いっつーの。事と次第によっちゃー、戦闘避けられっかもしんねぇしな」

 相棒の眠そうな声が再度響いて、シヨは慌ててコクピット側に回り、ケーブルを使って地面に降りる。もう一度だけ肩越しに見やる敵は、今はまだ完全に戦闘の意思を示していなかった。
 しかし、中立地帯であるウィスタリアRJへの侵攻を思わせるように、部隊を展開させている。

「ルイン君、戦闘が避けられるかもしれないって……」

 背を丸めてとぼとぼ歩く、相棒の肩に追い付き並ぶ。

「ウィスタリアは中立地帯、まともな奴なら攻撃してこねーよ。まともなら、な」
「そ、そうだよね。でも、あれ」
「……まー、まともじゃないわな。所属不明、通信不能、加えて装備は最新だ」

 機種不明のスペシネフの件も付け加えて、ルインは仮設本部のテントに足を踏み入れた。シヨも続けば、MARZ職員が忙しそうに出入りしている。遠慮気味に道を譲りながら、奥へ……隊長達の待つ一角へ。
 既にもう、第一小隊のエリオンとリーインは、一台の端末を挟んで二人を待っていた。
 ブン、と唸りを上げて、モニターにMARZのシンボルマークが浮かぶ。

「全員揃ったようだな。それでは、本件に関するミーティングを行う」

 澄んだ女性の声が響いた。
 その声音は静謐、普段と変わらず穏やかで優しい。MARZウィスタリア分署VR部隊隊長、リタリー特査の落ち着いた言が、少しだけシヨを安心させた。
 しかし状況は予断を許さず、得られた情報は少ない。

「敵はマイザー・イータを中心にした四機編成が二小隊。ホァン三査、詳細を」
「はい、先ずはマイザー・イータ。ある意味でこの機体が敵の主力ですが――」

 今やリタリー本人として御馴染みになったMARZのシンボルマークは、右下のタスクバーに収まった。同時にリーインが手元のモバイルからアクセスして、モニターに一機のバーチャロイドが浮かび上がる。
 その華奢で刺々しい機体を、シヨは雑誌やネットで良く知っていた。
 マイザー・イータ――第六プラント、サッチェル・マウスが開発したマイザー系列の中でも、トータルバランスに優れる戦闘攻撃機。そのオールラウンダーな性能は信頼性が高く、現在の火星戦線で普及しているマイザー系列の七割がこの機体で占められていた。

「片方はマイザー・デルタが小隊長かと思われます。ただ、もう片方の小隊ですが、その」
「スペシネフ、だよねこれ。シヨさんなら詳しいから解らないかな? ……シヨさん?」

 口を挟んだエリオンの声に、シヨは気付かない。ルインに肘でつっつかれるまで、彼女はモニターでゆっくりと回転するマイザー・イータの詳細なスペックに見惚れていた。
 シヨのバーチャロイド好きがもう、病的な域。無論、本人に自覚はなかった。

「……綺麗。デルタやガンマもいいけど、イータも素敵だな。MBVとして数を揃えれば……」
「おい、シヨ……シヨってばよ。お前さんその、バーチャロイドオタクとして何か言えよ、アレ」
「え、えっ? あ、はい、ええと……わたしはでも、今の子が、テムジンが一番かなって」
「ちげーよ。リーイン、画面」

 ルインの言葉に、モニターからマイザー・イータのデータが消える。代って現れたのは……全身をくまなくシートに包んだ、不気味なバーチャロイド。僅かに覗く頭部の形状から、辛うじてスペシネフ系列であることは確かだが……読み取れる僅かな数値は、どのタイプにも該当しないことを表していた。
 仲間達の視線がシヨに注がれる。

「え、えと、ああ、この子。解らない、です、けど」

 流石のシヨでも、おぼろげな頭部形状だけでは解らない。が、同時にシヨだから解ることがあった。

「罪、か、その改造機では、と思います。その……シルエットが、何となく」
「ふむ、ありがとうタチバナ三査。とりあえず現状では、この機体に関しては注意するように」

 再び画面中央へと浮かび上がったリタリー特査の声に、シヨはしきりに照れた。脇へと追いやられた謎のスペシネフをしかし、エリオンもリーインもじっと凝視する。ただ、ルインだけがぼんやりと天井を見上げて、顎に手を当て考え込んでいた。

「隊長、他の署から援軍は……数で先ず負けてんですけど。加えて機体性能でも」
「残念だが増援は見込めない。ウィスタリア分署の現状稼動戦力、四機で対応するしかないだろう」
「戦端が開かれた場合、必然的に八対四に持ち込まれる訳ですか……隊長、提案します」

 発言を許す典雅な声に促され、ルインは自分のモバイルを操作してモニターへと接続する。

「敵の突出してきた前衛を無視、第一及び第二小隊の四機で後衛を先ずは叩きましょう」
「ふむ、利点は?」
「数で五分、しかも相手の意表を衝けます。更には突出した第一波を、返す刀で背後から……」
「血は争えんな、コーニッシュ三査。だがその提案は却下だ。……私達の任務は何だ?」
「ウィスタリアの治安維持の為、敵性部隊の排除を――」
「間違えてはいけない、コーニッシュ三査。私達の仕事は、街を守ることだ」

 静かな、しかし厳とした物言いだった。ただ一定のリズムで光るMARZのシンボルマークが、その存在意義を無言で語っていた。
 シヨは、ぼんやりと立ち尽くすルインを隣で見上げる。その表情は普段と変わらぬやる気の無さだが、僅かに下唇を噛んでいた。最善と思える手段で攻勢に出られない、歯痒さと悔しさが滲む。だが、それでも己が為すべき責だけは、言われて立ち返れば望んで納得するしかないのだろう。
 一言声をかけようと、シヨが口を開いたその時――不意にスピーカーから聞き覚えのある声。

《こちらWVCのチェ=リウです! 御覧下さい、西側第七ゲートでの睨み合いに今、動きが……》

 即座にリタリーは再びタスクバーに下がり、モニターをWVCのライブ映像が占拠する。突撃リポーターが声を張り上げる先を、誰もが食い入るように見詰めた。
 件のスペシネフのコクピットが開き、シートの奥から人影が姿を現す。
 周囲がにわかに慌しくなり、各々の端末に向うMARZ職員達の声が四方から交錯する。自然とカメラがズームアップし、広域公共周波数で回線が開かれる。

《ゴホン! ボクはキャプテン・ノルエ。マシュー艦隊所属、補給艦ロシナンテの艦長だよ》
「マシュー艦隊!? 奴等、木星圏に展開している筈じゃないのか!?」
「ウィスタリア分署の署長に通信、報告の後に指示を仰げ! 各員、現状維持! 現状維持!」

 周囲のMARZ職員達が一斉に動き出した。
 それよりもシヨが驚いたのは……子供の声。まだ年端もいかぬ、それこそエリオン位の子供の声だった。

《まあ、見ての通りボク等は海賊って感じかな。で、ウィスタリアRJに協賛する各企業に通達ね》

 ゴシックロリータのエプロンドレスを着た少女が、髑髏マークの眼帯を指差しながら微笑む。そこだけ色彩を失ったかのような、白黒の世界のアリス。無邪気なその顔とは裏腹に、黒い長髪をかきあげる少女から、恐るべき一言が発せられた。

《今日から毎週土曜日、夕方六時……ウィスタリアRJ内のどこかを無作為に略奪します。以上》
「各員、搭乗! 略奪を全力で阻止せよ、出動っ!」

 リタリー特査の凛とした声を背に、シヨ達は一斉に駆け出した。
 かくして、後にウィスタリア名物となる、毎週土曜日六時の海賊騒動が幕を開けた。木星圏に進出したマシュー艦隊の補給線は細く伸びており、その兵站を任された補給艦ロシナンテが目を付けたのは……数多の企業がひしめきあう一大補給基地、ウィスタリアRJだった。

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