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 激震。シヨは引っくり返ったシミュレーターの中で、御馴染みのテロップを視界内に見る。無情にも「貴官は敵性バーチャロイドの鎮圧に失敗しました」の文字が走った。同時に実機と寸分違わぬ……一点しか違わぬコクピットが定位置へと戻る。
 唯一愛機と違う、その一点が背後でヘッドギアを脱ぐ気配が伝わった。

「シヨさん、今日はここまでにしましょう。随分と良くなりましたね」

 シヨ専用の複座型シミュレータ、その後部座席でエルベリーデが微笑む。たなびく長い金髪を手でなでつけ、彼女はハッチを開放した。外気が雪崩れ込んで、熱気に火照るシヨの頬を撫でる。ヘッドギアをゆっくりと外せば、汗を吸った髪が心なしか重かった。

「エルベリーデさん、今日もありがとうございました」
「礼などは不要ですよ、シヨさん。わたくしでもお力になれれば、それだけで嬉しいのです」
「は、はあ」
「もともとシヨさんは、あの人が教えた技術を持っていますから。あとは使い方を――」

 ふと、一足先に床へと降り立ったエルベリーデが、言葉を遮り首を巡らす。その視線の先を目で追って、シヨは「あっ」と声を上げた。大きく開けた口に手を当てて。
 そこには意外な人物が、いつもの笑みでシヨを待っていた。

「やあ、お嬢ちゃん。最近サヴィル・ロウに来ないから、私の方から来てしまったよ」
「マビーナさん。こっ、こんばんは。ここ最近、ちょっと忙しくて。あ、ご本拝見しました」
「それは嬉しいな。じゃあ今夜、ゆっくり感想を朝まで……ん?」

 男性とも女性とも知れぬ麗人は今日は、半袖のシャツにジャケット、そしてデニムのジーンズというラフないでたちで。シヨへと向けていた笑顔を一瞬、キリリと引き締めるや歩み寄ってきた。何事かとヘッドギアを抱き締め、シヨは僅かに怯むが……その横を通りぬけて、マビーナ=トルケはエルベリーデに歩み寄る。そのまま躊躇なくパイロットスーツの手を取るや、彼か彼女かもうやむやのままに、屈んで唇を寄せる。
 そんなことを突然されても、全く動じず、寧ろ当然のように佇んでいるのがエルベリーデだった。

「失礼、どこかでお会いしたような気がしますが……レディ」
「まあ、申し訳ありませんが、わたくしには記憶にございませんわ」
「確か何かの取材で……おっと、私とした事が。口説くのを忘れるところでした」
「お話なら取調室でゆっくりとお聞きしますわ。ここ、一般人は立ち入り禁止ですから」

 ああ、それなら、とマビーナはシミュレーションルームの入口を振り返る。圧搾空気を逃がしながら扉が開かれ、御馴染みの面々が雪崩れ込んで来た。一様に緊迫した表情で、中央のターミナルに集うやシヨを、エルベリーデを……何よりマビーナを口々に呼んだ。

「そういう訳でして。さ、レディ、参りましょう。今日はMARZに大事なお話が――」
「ルインさんですね? いけませんわ、お家に知らない人を入れては」

 エスコートしようとしたマビーナの手を、するりとエルベリーデが抜け出る。そうしてツカツカとターミナルに去る背を、シヨはバツが悪そうなマビーナと見送った。やれやれと悪びれた様子もなく、マビーナも後に続く。自然と肩を抱いてくるので、シヨはそのまま並んで一同とターミナルを囲んだ。

「ちょっとルイン、その話ホントなの?」
「俺だって、マビーナさんに見せて貰うまで知らなかったさ。なあ、エリオン?」
「広報課の方が大慌てになってたね。もうネット上からは削除されてると思うけど」

 何の話をしているのだろう? シヨは答を求めて、マビーナの長身を見上げる。
 見下ろす笑顔はただ、いいからいいからとにこやかだった。

「実はね、お嬢ちゃん。ちょっと面白いものを見つけたんだよ。それで」
「面白がって貰ってはこまるな、トルケ氏。事は部隊の士気にも関わる」

 ターミナルのモニターに、MARZのシンボルマークが灯った。それが優雅な声と共に点滅しながら、画面の右下へと落ち着く。MARZウィスタリア分署バーチャロイド部隊隊長、リタリーの声は今日も静かだった。だが、マビーナを射抜く言葉は厳しさが潜んで冷たい。

「噂のリタリー殿と、今日は直接お会いできると楽しみにしてましたが」
「前置きは結構。話はコーニッシュ三査から聞いている。その動画とやらを見せてもらおう」

 やれやれと肩を竦めつつ、場の全員に無言で促され、マビーナはモバイルを取り出した。ファイルがターミナルに転送されるや、画面が切り替わり……一本のショート・フィルムが映し出された。
 ほらみろ、とぼそぼそ呟くルインそっちのけで、シヨはエリオンやリーインと一緒になって、額を寄せ合い覗き込む。エルベリーデも懲りないマビーナをあしらいながら、流れる映像へ眉を潜めた。

「何これ……『MARZの今までの活躍を実況してみた』、だって」

 軽快な音楽と共にDJがMCを捲くし立て、どこかで見た事のある光景が広がった。シヨは一目で、画面で宙を舞うテムジンが、エリオンの411号機、それも改修前の物だと察知した。それが今、夕日を背にブルースライダーで、VOX系らしきバーチャロイドを両断している。その瞬間は音楽の盛り上がりに合わせて、プロモーションビデオのようにエフェクトを撒き散らしていた。

「これ、ちょっと前の事件じゃない。ほら、エリオン、ドリルついた奴」
「うん。あ、次は……これ、ルインさんの」
「まあ、その、すんません」

 テンポ良くどんどん、今までの事件がダイジェストで実況されてゆく。いかにも合成音声らしきDJは、愛嬌たっぷりに面白おかしく、まるでスポーツを報じる様に言葉を紡ぎ続けた。空港での一件でたっぷりと、MARZの狂犬っぷりを美味しいところだけ映すと、映像はさらに事件を紐解いてゆく。

「あ、海賊さんだ」
「隊長、これは……」
「まあまて、コーニッシュ。最後まで見せろ。……ふむ。随分とまた、手がこんでいるな」

 動画は概ね、MARZの一連の活躍を過度に飾り立てた物だった。その為か、シヨのテムジン421号機が映るシーンは殆ど無い。それがシヨには、嬉しいような、悲しいような。どちらかといえばでも、やっぱり虚しいような気がして、頭を垂れれば一房の紫髪がしんなり萎びた。
 クライマックスを改修後の新しいテムジン411号機が飛翔して、MARZのロゴと共に画面が暗転する。

「何だ、ある意味ただの神か。っとに、暇な奴もいるものよね」
「それで済めばいいんですけどね、お嬢さん」

 どうやらもう、恒例のやり取りを終えているらしく。マビーナが再生を続けるよう手を伸べると、リーインはびくりとエリオンの陰に隠れた。釣り目気味の瞳でキリリと睨まれ、苦笑しながらもマビーナは頭を掻く。豪奢な金髪がはらりと舞った。

「え、でもマビーナさん、これで終わりですよね? 何か問題が……」
「いいからエリオン。続き、見てみろよ」
「何これ……特典映像?」

 リーインが読み上げた字が消えるや、再び画面に明かりが灯った。
 瞬間、シヨは卒倒した。

「こっ、ここここ、これ……駄目ですっ、駄目ですよこんな」

 そこには、MARZウィスタリア分署の食堂で、満面の笑みで一日二十食限定Aランチを頬張るシヨの笑顔があった。左手には、湯気をあげる白米が山と盛られている。半べそで周囲を見渡し、その中から縋るようにルインを見詰めるが……次の一言がトドメになった。

「まあ、ネット上からは削除したからよ。UPされたの、三日前らしいけど」
「ふええ、そんなあ〜」
「シヨ、食べ過ぎ。まあでも、これくらいなら可愛いもんで――」

 言いかけた言葉を飲み込み、その勢いでリーインがモニターを手で覆った。その奥にはしかし、確かに彼女の姿が映し出されている。画面の中のリーインは、今はリタリーが使っているMARZ現場指揮車のシートで、午後の日差しを浴びて居眠りをしていた。

「リーイン、この時期疲れてたもんね」
「いっ、いやぁぁぁぁ! 消して、今すぐ消してぇ!」

 その後も特典映像は、パイロット達のメンタルを直撃した。ルインとエリオンはゲームセンターで遊んでいるところを激写されており、エルベリーデにいたっては、先日のバーチャロイド適正訓練所で、パイロットスーツに着替える瞬間が納められている。最も、本人は別段気にした様子もなく、寧ろ違う事へと思惟を巡らせているようだった。

「とまぁ……私がお伝えしたいのはですね。この動画をUPしたハンドルネームなんですが」

 Director……その名を聞いて、ルインとエルベリーデが即座に反応を示した。
 それは先程の映像にもあった、マイザー・オメガ事件の際に、一時世間を騒がせたネット上の覗き屋。刑事課を中心にMARZウィスタリア分署が追っている、謎の愉快犯の名前だった。無論、実在するかどうかは解らない。複数人の可能性もあるし、大きな組織かもしれない。
 或いは、前回と今回は別人の可能性も否定できなかった。
 だがシヨは、高らかにMARZの活躍を謳い上げつつ……その裏に潜む悪意を漠然と感じ取っていた。

「Director、監督、ですか。何だろう、わたし……怖い」

 ネットワークの多様化が進み、高度に複雑な情報社会を形成している電脳暦において、ネット上の人間を特定するのは、非常に困難を極める。例えばシヨは、その道には多少は明るく自信もあったが……自分達の隊長が実在する人物だと、突き止めることは難しいと感じていた。
 ならば、Directorと名乗る人物も同じ。

「それが敵の名、か。トルケ氏、感謝を。この映像には、何かしらの意図があると私は解釈する」
「いえいえ、ウィスタリア市民として当然のことをしたまでで。して、意図とは?」
「――挑戦状、だ」

 リタリーの声が厳として静かに、しかし確かにシミュレーションルームへ響き渡った。

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