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 夜勤の待機時間も終りかけた、午前四時。睡魔と戦いながら書類を片付けていたシヨは、緊急出動を告げるサイレンに椅子を蹴った。緊張感に欠いた相棒のルインを追い越し、ヘッドギアを被るやコクピットに滑り込んだ、その時にもう事件は終っていたが。
 しかし、それは"ウィスタリア連続辻斬り事件"と呼ばれる一連の破壊活動の、最初の一件に過ぎなかったのである。

「おいシヨ、何やってんだ? 少しはこっちも手伝えって」

 昇りはじめた朝日の中、シヨは地に伏せ、アスファルトへと頬を寄せる。そのままルインの言葉に返事もせず、黙って真剣な眼差しで追った。すでに姿を消した犯人の……鎮圧対象となるバーチャロイドの痕跡を。
 シヨは今、くっきりと大地に刻まれた、巨大な足跡の中にいた。

「お嬢ちゃんは何やってんだい? 現場検証なら早くしとくれ。でないと……厄介なのが来る」
「はあ、すんません……なあシヨ。リーネさんも困ってんだろ、手早く済まそうぜ?」

 ルインは今、真っ赤なパイロットスーツ姿に気圧されながらも、ぼそぼそと言葉を投げかけてくる。しかし、探し物を見つけたシヨの耳に、それは届かなかった。身を起こして立ち上がるや、とてとてと走り出す。

「あった。ここから、あそこまで一歩で踏み込んで……この足運びは」
「おいおい、シヨー? ったく、何やってんだか」
「……そういうことかい。お前達、ちょいとそこで待ちな! アタシもこの目で確かめてやる」

 目的の場所で再度地べたに這い蹲り、先程のものよりも薄く、他の物に混じって見難い足跡を調べるシヨ。その視界の隅で、リーネ=リーネも同様に身を屈めた。たちまち美貌がすぐ横に並ぶが、シヨは気にもとめずにかすかな手掛かりをチョークでなぞる。

「なるほど、良く見えるもんだねえ。機種は?」
「解りません。始めて見る足です。ネットでもこんなのは……でも」
「でも?」
「バーチャロイドって、個人の癖もそうですけど……メーカーの癖みたいなもの、あるんです」
「例えばアタシのライデンも、VOX系に近いところが少しある。そんなもんかい?」
「はい。それで、この足運びは多分……第六工廠」
「サッチェル・マウスかい。やれやれ、マイザーかスペシネフってとこかねえ」

 少し感心した様子のリーネを他所に、シヨは立ち上がって視線を上げた。今いる場所から一足飛びの踏み込みで、犯人は斬り掛かったのだ。結果、荷重を載せた一撃ははっきりと足跡を一つ残し、その前に結果として、擱坐したVOX系の改造機が横たわっている。無残に右の手足が失せた姿は、見るシヨの胸を締め付けてきた。

「姐さん、とりあえず支社には連絡いれときました。回収班、少し遅れるそうでっせ」
「急いでくれよお! 俺の可愛い箱チャンが、あの連中に目ぇつけられたら終わりだ」

 辻斬りの被害にあったのは、リーネの部下の片割れ……ボックスランチャーを過剰積載した、シヨが会うたびにダニエルと呼んでる機体だった。今、もう一機のVOX系改造機と真っ赤なライデンに挟まれ、力なく往来に転がっている。
 もうすぐ朝の出撃ラッシュが始まることを考えれば、即急に事故を処理しなければという思いが誰の胸にもあった。渋滞の原因を作れば、ウィスタリア運営委員会からの苦情は免れない。それはアダックスの直営部隊であるリーネ達も、町の治安維持を任されたMARZも同じだった。

「まあ、このやり口ならスペシネフだろうねえ。アタシの部下を闇討ちなんざ、いい度胸だ」
「いや、それがどうも……シヨ、地面ばっか見てないで、こっちも見に来てみろよ」

 ルインが見上げるダニエルの、右腕や右足を奪われた傷口。その断面は恐ろしく鋭利な、まるで剃刀で削ぎ取られたように綺麗だった。ビームによる溶断の痕跡は見られない。

「おかしいじゃないか、ええ? マイザーやスペシネフで、こんな装備の奴がいたかね?」
「はあ、まあ……その、現場検証の結果、相手は実刀一振りで襲ってきたことになります」

 ルインの聞き取り辛い声に、リーネは舌打ちして愛機へと踵を返す。
 その時、全員の頭上に明るい声が振ってきた。

「お困りの皆はん、おはようございますよって! うちら、有限会社ベルゲパンツァーいいます」

 若い女の声だった。少女と言ってもいい。同時に、特異なスケルトンユニットを持つVOX系の改造機が、ぬっと朝日を遮った。その影が場に立つ全員を包む。クレーンと巨大な手を持ち、非武装を明記するマーキングに社章が施されている。
 少女の声は、その背後から車体を寄せてくる、機体回収用バーチャロイドキャリアーの運転席から発せられていた。

「アダックスの方々、お困りですやん? 今なら格安料金で、基地までウチ等が……」
「あ〜、来ちまったよ。ったく、支社の連中がぐずぐずしてっから。どうします? 姐さん」
「けっ、けぇれ! 手前等みたいなハイエナに、俺の可愛い箱チャンを渡せるもんかい!」

 シヨは珍しいバーチャロイドの、その重機然とした黄色い機体を見上げて頬を綻ばせる。戦場で行動不能になったバーチャロイドの回収を生業にする業者だとルインが告げても、その声はもう耳に入らない。
 だが、アダックスの面々は一様に表情も険しく、キャリアーから飛び降りた少女を睨んだ。

「どうもどうも、ウチが社長しとります、トモエ=ハーレントと申しま――」
「既に当方で回収の手筈は整えている。悪いがお引取り願おうか?」
「いやいや、そないなこと言わず……もうすぐ街は出勤時間ですやろ? 時は金なりでっせ」

 そばかすが残る顔に営業用のスマイルを愛想よく貼り付けて、ぺこぺこと腰も低くトモエは近寄ってくる。どうもどうもとシヨに、ルインに頭を下げて……目元だけは鋭くリーネを見定めた。それは得物を狙う肉食動物の眼光にも似ていた。

「今ですとな、ちゃっちゃと片付けてまあ……」
「姐さん、こんなやつ等に頼る必要なんかないでさぁ! ちょっと回収班、急かしてきます」
「こいつら回収業者ときたら、戦場だけでなく街中にも沸きやがる。っとによぉ!」

 左右から男達に挟まれ、腕組みリーネは黙考していた。ちらりとその目線が、シヨを見詰めてくる。意見を求められているような気がして、ついついルインが止めるのも聞かず、シヨは口を挟んだ。

「あ、あのっ、あの子を早く、運んであげたほうが……可愛そうです」
「せやなぁ、お巡りさんは優しいお人さんや。ええいもうっ、ウチ超勉強さしてもらいます」
「……とりあえず、ただ待つだけじゃ能がないねえ。見積もりだけでも貰おうか」

 リーネの言葉にトモエは、ぱっと大輪の笑顔を咲かせた。そのままシヨの手を取り、おおきにおおきに、とブンブン上下に揺さ振る。
 しかし即座に、リーネの部下達は不満を口にした。

「姐さん! この手の業者は信用なりませんぜ……パーツが揃って帰ってこないこともあります」
「戦場でもそうだ、こうやってすぐ嗅ぎ付けてきやがる。まるでハイエナだよ、このガキ達ぁ」

 リーネは涼しい顔で聞いていたが、シヨは思わずルインの袖を引っ張り、傾けさせた耳に口を寄せる。
 ルインの説明では、この東部戦線ではウィスタリアRJがある為、終息した戦場でバーチャロイドの回収を請け負う業者は少なく無いという。アダックス直営部隊ともなれば、専任の回収部隊が存在するが……中小のコーポレートアーミーは、会社の資産でもあるバーチャロイドの損傷擱坐に備えて、回収業者と契約するのが常識だった。
 最も、戦場の混乱が完全に収まらぬ中での、いわば火事場泥棒的な業者も多いという。
 彼等は皆、戦場で命を賭けるパイロット達から、ハイエナと蔑まれていた。

「ふーん、そうなんだ」
「まあ、本物のハイエナは……俺は見た事はねぇが、聞いた話じゃ――」
《俺は、ハイエナで、充分だ。だが、御嬢様を、侮辱して、みろ……その、時は》

 不意にスピーカーを通した、くぐもる低い男の声。
 見上げれば作業用の黄色いVOX系が、ずいと身を屈めて一同を見下ろしていた。その頭部メインカメラに走る光が、僅かに殺気を帯びる。武装もないバーチャロイドに、シヨは一瞬だけ背筋を凍らせた。

「あー、あかんあかん! お客様は神様やで! 謝りぃ、ノーマン! えろう済まへんなあ」

 見積もりのデータが表示されたモバイルを手にしたまま、慌ててトモエは両手を振った。それで一歩下がると黄色いVOXが静かに停止する。
 既に地平線から離床した太陽が、その巨躯から長い影を引きずり出していた。それはあたかも、これからも続く惨劇が長引くことを暗示するかのように、シヨ達の遥か後方に膝を突く、二機のテムジンまで伸びていた。

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