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 初夏を控え、春を見送る季節。その日の入りは、晩春を惜しむように遅く長く、何よりおぼろげで儚い。その眩しさに、エイスは目を細めて手をかざした。
 土曜日、午後六時。海賊達の宴に、Vコンバーターが挽歌を歌う。その甲高い作動音に、少女の肌は粟立った。すぐ目の前にそびえる巨躯を見上げれば、吹く風にセーラー服のカラーが翻る。

「やあエイス、ごめんごめん。ペプシのある店が少なくていけないや、東部戦線は」

 恰幅のよい腹を揺すって、保護者が背後に駆け寄ってくる。半身振り向いて、エイスは放られたボトルを見もせずに掴んだ。

「嫌い、炭酸は」
「いや、知ってるけどさ。オイラ今、このボトルキャップを集めてるんだよ」

 周囲は騒然として、誰も彼もが悲鳴を叫んで逃げ惑う。そんな人だかりの中に今、一機のバーチャロイドが立ち尽くしていた。全身くまなく、移送用のシートに身をくるみ、その奥から隻眼を光らせるスペシネフ。
 その眼光が見据える先では今日も、毎週恒例の略奪が行われていた。
 手際よくコンテナが集められ、三機のマイザーに守られ空へと吸い込まれてゆく。それを指揮する小さな人影は今、愛機の頬に身を預けて、恍惚とした表情でエイスを、その保護者を見下ろしていた。モノクロームのゴシックロリータを着込み、髑髏マークの眼帯をした幼い少女……エイスと年はそう、変わらないように見える。

「ふふ、監督も物好きだなあ。今日はボク、多分見てるだけだと思うけど?」
「そんなこと言わないでおくれよ。オイラ、わざわざキミを見にきたんだから」

 マシュー艦隊所属、高速輸送艦ロシナンテのキャプテン・ノルエ。彼女は気だるげに長い黒髪を指にもてあそびつつ、小さな溜息を零した。久々に現場に来てみれば、今日は無事に物資の調達ができそうで。先程通信を介して、哀れな獲物達との搾取交渉を終らせたばかりだった。

「しかしキャプテン、何だって今日はまた、大量のトイレットペーパーを箱買いするんだい?」
「知らない、上の偉い人に聞いてよね。それと……買う訳じゃない、大手を振って頂戴するのさ」
「ふむ、そうやって派手に動いてる部隊がいれば、影で本当に必要な物資の調達がしやすい、と」
「……どうやらただの物好きじゃ、ないみたいだね。監督」
「シシシ、おっ! その顔いいねぇ〜! カメラがないんだよね、こゆ時に限って」

 見下ろすノルエの表情が険しくなるや、エイスの隣で監督がはしゃぎ出す。両手の人差し指と親指でファインダーを象ると、その中心にモノクロームの死神を捉えた。その姿は興奮に浮かれて、目がキラキラと少年のように輝いている。
 両者のやりとりをぼんやりと眺めていたエイスは、鼓膜の震えに音源を捜して遠くを見やる。それは眼前のスペシネフが自らシートを脱ぎ捨て、コクピットに主を迎えるのと同時だった。

《こちらロジャー02、MARZのお出ましだ! 各機散開!》
《こちらロジャー03、了解》
《ロジャー04、りょーかいりょーかいっと! へへ、ついてらぁ! 第二小隊の方だ――》

 空気の裂ける音が弾けて、視界に炎が爆ぜる。監督が慌ててモバイルを、スーツのポケット全てを引っくり返して探すのを尻目に、エイスは黙って自分のモバイルを広域公共周波数に合わせた。その姿に身を寄せてくるので、監督と並ぶ。
 瞬間、強烈な風圧に煽られ、傍らのスペシネフが地を蹴った。

《ロジャートップより全機へ。ボクが相手をするから、コンテナの方をヨロシク》
《了解! ――連中の分断に成功、アンテナ付きをこっちで処理します》

 二手に分かれた、という直感がエイスの中で閃く。案の定、すぐ目の前へと、一機のテムジンが跳躍してきた。いよいよ周囲の混乱は極まり、誰もがバーチャロイド同士の戦闘に巻き込まれないよう逃げ出す。その最中、エイスは黙ってモバイルに耳を傾けながら、正対する二機のバーチャロイドを見守った。傍らで「いいぞお、本当は第一小隊の411号機が見たかったんだけど、これはこれで」と喚いている、監督と一緒に。

《此方はMARZウィスタリア分署第二小隊です。今すぐ、略奪をやめてくださいっ。それと……》
《っと、この間のキミか。エース君はどうしたんだい?》
《ええと、エリオン君は、別件で……また、辻斬りが出たので。それで、あのっ》
《? ……まあいいや、たっぷり楽しませてもらう、よっ!》

 モノクロームのスペシネフに、毒々しいオペラピンクの色彩が走る。広がる化石のような翼を、みるみる光の皮膜が覆ってゆく。周囲を逃げ惑う人々を気にした様子もなく、その華奢な機体は瞬間移動のように、点から点へと低く馳せた。さながら影の様に、MARZのテムジンに迫る。
 しかし、深い踏み込みからの斬撃を回避し、ニノ太刀をテムジンはブリッツ・セイバーで受け止めて見せた。エイスの中で植えつけられた感覚が、対峙する搭乗者達の力量を勝手に告げてくる。技量の差は著しいが、興奮と冷静が両者を別っていた。

「おっほーっ! 見たかいエイス! 大したもんだ、だがそうなると……はっ、いっけねぇ!」

 不意にエイスは、軽々と監督に抱き上げられた。そのまま小脇に抱えられて、散り散りに逃げ惑う人の中を倉庫の影へと引きずりこまれる。変わって命が代価のリングサイドに、危いハンドリングで一台のワンボックスが闖入してきた。

《今週も始まりましたっ、現場よりチェ=リウがお送りします! チャンネルはそのままで!》
「危ない、危ない……WVCの連中に見つかったら、またインタビュー攻めにあうとこだったよ」
「下ろして。見えない」

 エイスの刺すような言葉に、監督はニヤニヤ笑って大地へ彼女を解放した。
 MARZのテムジンは落ち着いた操縦でよく守っていたが、押し切られるのも時間の問題に見えた。それが解ったからだろうか? ノルエのスペシネフは一旦距離を取るや、牽制のニュートラルランチャーをばら撒きながら、味方機の方へと注意を向ける。
 エイスのモバイルはまだ、両者の声を拾っていた。

《あっちは三機掛りで何を。各機、コンテナ最優先ね。逃げ回ってもいいよ、後はボクが……》
《っと、いかせません。それより……あ、あのっ、す、素敵なスペシネフですねっ》
《……はあ?》
《ワンオフのカスタマイズか、試作機かですよね。わたし、カタログ全部持ってるんです》
《……それで? キミ、任務中だろう? だいたいね、毎週土曜六時って言ってるんだから……》
《っと、ちょっとごめんなさい。ルイン君、サイドのスペース使ってね》

 牽制しあいながら小刻みに相手の軌道を潰しあう、テムジンとスペシネフ。その均衡が僅かに崩れた。テムジンが一瞬振り向き、左手を大きく振りかぶる。次の瞬間には、遠投されたパワーボムの爆発が、空の夕焼けを塗り潰していた。
 エイスの耳にも、マイザーを駆る海賊達の悲鳴が聞こえる。これが好機と、すかさず切り込むノルエの息遣いも。
 刹那、激しい衝撃音がエイスの耳朶を打った。

《防がれた!? 足のいい奴……できるようになったね、この間に比べて》
《ガードは、間に合って、そこから。ええと、あっ、それよりも》
《フ、フフフフッ! やだなもぉ……ボクッ、漲ってきちゃう、だろぉ!》
《わわっ、避けれてっ。……避けれた。よしっ、それで、あの、さっきの続きなんですけど》

 一連の立ち合いにエイスは、奇妙な違和感を感じた。MARZのテムジンは先程から、余り積極的に動いていないように見えるのだ。そのくせ、僚機を援護して、略奪の阻止はするつもりらしい。
 何より要領を得ない言葉に、エイスは少しだけ興味を引かれた。

《あのっ、海賊さん達が使ってる機体は、全部サッチェル・マウスの子達ですよね》
《それが? 何せこちとら海賊役だもの……自前で用意したまでだけ、どっ!》
《マイザーとスペシネフ以外に、何かこう、作ってませんか? ……あうっ》

 四方に散った鬼火が、夕映えにゆらゆらと揺らめく。その一つを避けたテムジンの側面へと、ノルエのスペシネフは空気を泳いで肉薄した。たちまち零距離を取られて、強力な斬撃にテムジンは転倒する。その機体を足蹴に踏み締めて、スペシネフは翼の光を納めるや膝に手を突いた。

《いたた……あっ、これじゃ本末転倒。しかも本当に転倒してるし》
《ひょっとしてキミ、例の辻斬り事件のことを言ってるのかな? あ、立たなくてもいいよ》

 立てないだろうし、と笑うノルエの視線が、スペシネフに首を振らせる。自分達を探しているのだと思い、エイスは監督をグイと押し出した。隻眼に睨まれ、監督は「いや参ったな、こんなに早く足がつくなんて」と頭を掻いている。少しも悪びれた様子がなく、どこまでもふてぶてしく……何より心底楽しそうだった。

《キミが探してる機体は、サッチェル・マウスで開発中の物さ。シェイクダウン中って訳》
《やっぱり……あのっ、海賊さん。すぐにやめさせて下さい。テストなら何も、あんなこと――》
《うーん、ボクの管轄じゃないし。これを面白がる人がいるから、困ったもんだよね》

 最後のコンテナが衛星軌道に上がるのを確認して、モノクロームの悪魔は足をどけた。同時にふわりと後方へ飛び退き、その周囲を手負いのマイザー達が固める。エイスは、駆けつけたアンテナ付きに並んで立ち上がる、421のマーキングのテムジンを見詰めていた。
 いったい、どんな人間が乗っているんだろう? やぼったい声はまだ若い、女のものだった。

《略奪完了、それじゃまた来週……そうそう、辻斬りちゃんの名前だけでも、教えてあげるよ》

 いいよね? と問い掛けるような気配に、監督は両手を震わせ歓喜している。

《確か、景清とかいったかな? サッチェル・マウスの新型近接戦闘用バーチャロイドさ》
《ああーっとぉ! 今週はMARZが略奪阻止に失敗っ! 今日からトイレットペーパー高騰かぁ!?》

 死神はしもべを引き連れて、WVCの実況に見送られながら去っていった。

《はい、という訳で今週の結果は『阻止できない』でしたっ! 正解されました視聴者の皆様の中から、抽選で百名様に、今回被害にあった企業の方から……ん? あれは……どっかで》

 エイスはモバイルを仕舞うと、カメラから逃げて来た監督と一緒に走り出した。逃げ足には自信があるとうそぶく監督は、どうやら最近WVCがやりだした企画に参加していたらしく……簡単な二択を外してしまったことを嘆きながら、エイスを追い越し夕闇に溶け込んでいった。

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