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 眩いプリズムの発光に、シヨが思わず目を覆ったのは、オフィスで始末書を書いている最中だった。窓の外に広がる夕暮れの街並みは、七色の光に塗り潰された。突如として空気は沸騰したように律動し、張り詰めて肌を泡立てる。

「これは、定位リバースコンバートですね」

 慌てた様子もなく、シヨの始末書へ認めのサインを待っていたエルベリーデが、自分の机からすっと立ち上がる。同時に外の風景はいつもの景観を取り戻し、夕焼けに燃えるウィスタリアが戻って来た。
 そして、MARZウィスタリア分署の駐機場中央に、純白のバーチャロイドがふわりと舞い降りた。
 その機影を見て、僅かにエルベリーデが眉を潜めるのを、シヨは敏感に察知した。まるで慌てたように窓辺へ駆け寄る姿など、もう動揺も露にすら感じさせる。それよりもシヨは、輝く白無垢の機体に興味深々で、エルベリーデに並んで窓を開け放った。
 一機のテムジンが、白亜の機体を夕映えに屹立させていた。
 コクピットのハッチが開け放たれて、パイロットが姿を現す。

「私の名はリチャード=ラブレス! 白閃の騎士! フェステンバルト卿にお目通り願いたい!」

 覇気に満ちた、張りのある声が厳として響いた。ヘルメットを脱いだ男の顔は、実直さと豪胆さが入り混じるも、シヨとそう年も変わらぬ風に見えた。夜の帳を前に凪いだ風が、撫で付けられて尚なびく髪をさらっている。
 男は再度、フェステンバルト卿はどこにおわすのかと繰り返した。
 シヨは暫し腕組み考え込んで、ようやく仰々しいその名を、隣の麗人と結び付けることに成功した。

「白閃の騎士リチャード=ラブレス、わたくしはここです。何事ですか」
「おお! 我が麗しの、白鷺の騎士! ご無沙汰しております、フェステンバルト卿」
「その名ももう昔のものです。今のわたくしは白騎士ではありません」
「なんの、この機体を私に譲り籍を退いても、今でも卿のお立場は変わりません!」

 畏敬と尊敬、何より敬愛の念が色濃く滲む声音。それを弾ませ、くるりとテムジンを翻すや、男は分署の建物に、シヨ達の並ぶ窓辺へ近付いて来る。エルベリーデの小さな溜息を、シヨはすぐ隣で聞いた。
 見ればそれは、自分達が運用する707系のテムジンと同じだった。411号機と同様に、背にはグリンプ・スタビライザーが装備されている。しかし騎士を名乗る男の駆る機体に相応しく、左腕には盾を備え、右腕に持つ武器もスライプナーではなく、槍や剣を髣髴とさせる武装だ。
 シヨは今、ネットでも噂でしか聞いたことのない、ホワイトフリートの専用機を目の当たりにして歓声をあげた。

「フェステンバルト卿、本日私めが参ったのは、ほかでもありませ――ん? 何か?」
「あっ、あのっ。この子はもしかして、あのホワイトフリートの白騎士なんですか?」
「はっはっは、いかにも」
「す、凄い……え、えっと、写真、いいですか?」

 コクピットを寄せて身を乗り出すリチャードは、瞳を輝かせるシヨに大きく頷いた。それで慌ててモバイルを引っ張り出し、おたおたとレンズを向けるシヨ。目の前に今、伝説とまで言われた白騎士が……ホワイトフリートのテムジンがいる。詳細なスペックまで知りたかったが、今のシヨはシャッターを切るのに夢中だった。

「あなたがまだ、この機体を使用しているということは」
「はっ! フェステンバルト卿より譲り受けたこの機体、未だ土をつけた者はおりません」
「新型はまだ、騎士団の定数を揃えられていないのですね」
「それもすぐかと……あのお方が最優先で手を回してくださいます」

 逆光を嫌ってせわしくシャッターポジションを動き回っていたシヨは、改めてかしこまるリチャードと、その前に毅然と佇むエルベリーデとをファインダーに納めた。二人は今、真剣な顔を突き合わせて、互いの間に流れる空気を圧縮している。

「それで、わたくしに何の用でしょう? 騎士リチャード、あなたも任務で忙しいでしょうに」
「その任務で参ったのです。……シャドウ殲滅の任、果しに馳せ参じました」

 シャドウ……その単語にシヨは聞き覚えがあった。今もネット上で流布されている、一種の都市伝説だ。詳しい原因は不明だが、驚異的な戦闘能力を暴走させたバーチャロイドを指す。その際、機体のカラーが黒一色に染まることから、だれともなくシャドウと呼んでいた。
 シャドウ……影の駆動体。闇に飲まれし、箍なき暴力の結晶。
 この時はじめて、シヨはホワイトフリートと呼ばれるフレッシュ・リフォーの精鋭部隊が、何故存在しているかを知った。他ならぬ白閃の騎士、リチャードの口によって。
 そしてシヨには、言われて初めて気付く心当たりがあった。

「おーい、シヨ。始末書、書けたか? って、さっきの光はこれか……ははん」

 ガチャリと音がして、オフィスにルインが入ってきた。相変わらず眠そうな半目が、じとりと興味なさげに白騎士を一瞥する。その通り過ぎる視線を掴まえるように、リチャードの目に鋭い眼光が灯った。

「MARZウィスタリア分署第二小隊所属のテムジン422号機に、シャドウ感染の疑いがあるのです」

 ざわりと波立つ胸の内に、思わずシヨは制服の襟元を握り潰す。
 しかし、自分の愛機を名指しされても、ルインは顔色一つ変えずにゆらりと一団に加わった。

「君がルイン=コーニッシュ、422号機のパイロットだな?」
「はあ、すんません」
「あっ、あのっ。シャドウ感染って、なにかの間違いじゃ……あの子、毎日ちゃんと働いてますっ」
「……視覚を機体に同調させ、完全にシンクロしない限りは。そうですね、ルインさん」

 エルベリーデの言葉に、ルインは曖昧に頷く。
 嫌な胸騒ぎに急きたてられて、シヨは脳裏に弁護の言葉を捜した。しかし一度ならず何度も見ているのだ……止むを得ず自分がミスを犯し、結果的にルインが暴走した、その時。MARZの狂犬が牙を剥く時、鮮やかなMARZブルーが翳る。僅かに、しかし確かに黒い影がその機体に滲むのだった。
 そしてそれは、シヨが記憶する限り、暴走を繰り返すたびに広がっている。僅かな染みだった闇はもう、近頃ははっきりと全身を薄暗く染めていた。最も、ここ最近はシヨもエルベリーデとの特訓で腕をあげており、ルインが暴走する機会も極端に減っていたが。

「フェステンバルト卿、貴女も確認している筈です。このままいけば……」
「そのことは本人が一番解っています。ですから、普段はサブのモニタだけで操縦を」
「ですから、今なら未然に防げるのです。完全に顕現する前に、シャドウの根源を――」

 破壊する、とリチャードは言ってのけた。その為に艦隊よりわざわざ来たとも。

「フェステンバルト卿、昔の貴女なら……白鷺の騎士ならば、二度は見逃しはしない筈です」
「騎士リチャード。わたくしにはもう、その名を名乗る資格はありません」
「あれは、あの事件はしかし――」
「事実は事実、白騎士たる者は誰であれ、清廉でなければならないのです」

 表情を曇らせながらも、エルベリーデは言い澱むことなく言葉を続ける。

「422号機の件に関しては、こちらでもリタリーと以前から話していました」
「では、早急に機体を明け渡していただけますね? すぐにでも破壊しなければ」

 ルインはただ、呆然と二人のやり取りを聞いていた。半ば諦めたような気配すら感じられる。そんな主に代わって、シヨは気付けば声をあげていた。闇の淵へとおいやられ、それを許さぬと処断されるテムジンを救うために。

「いつもはいい子なんですっ、壊すなんてやめてください。お願いですっ、白騎士さん」
「しかし、完全にシャドウ現象が顕現すれば、瞬く間にこの街は大惨事に見舞われる」

 あの時のように、と言葉を結ばれて……エルベリーデが視線を床へ落とした。僅かに噛んだ唇が、薄い紫色へと変色してゆく。それはまるで、悔恨に身を炙られているようにシヨには見えた。
 何か言葉をと伸べた、手の中でモバイルが鳴った。

「話は聞かせてもらった。リチャード=ラブレス殿、私は隊を預かるリタリーという者だ」

 慌ててシヨがモバイルを開くと、MARZのシンボルマークが浮かび上がる。仰々しく両手で掲げて、シヨはずいとそれをリチャードへ突き出した。隊長なら何とかしてくれる……一縷の望みを託して横目に見れば、あいも変わらずルインはぼんやりとなりゆきを見守っていた。

「MARZとてあのお方の為の組織、その装備である機体を無下に破壊させる訳にはいかない」
「そっ、それじゃあ。さすがですっ、隊長。よかったね、ルイン君……ルイン君?」
「かといって、組織としてシャドウ現象も放置はできねぇ。そっか、俺ぁ……そうだったのか」

 ルインは独り、ぼそりと呟き踵を返した。そのままズボンのポケットに両の手を忍ばせ、ぶらりと部屋を出てゆく。シヨはわたわたと手にモバイルを捧げたまま、追いかけようか留まろうかとまごついた。
 結局ルインは、顛末を聞かずに出て行ってしまった。

「テムジン422号機は現時点を持って凍結処分とする。これで納得してもらおう、ラブレス殿」
「――いいでしょう。もし封が破られるようなことがあれば、その時は」
「是も否もない。ではエルベリーデ、整備班と封印作業を。タチバナ三査は……」

 くるりと手の内で、MARZのマークがこちらを向いた。

「コーニッシュ三査に代って、封印作業に立ち会うように。以上だ」

 それだけ言い残して、優雅な声は消え去った。沈黙するモバイルを胸に抱き、呆然とするシヨ。恐らく表情を失っているであろう自分のうつしみを、その時彼女は目の前の上司に……エルベリーデ・フォン・フェステンバルト一査に見出した。

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