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 エリオンが特別な任務を受領するため、ウィスタリアRJを離れて、既に三日が経っていた。リーインとも別れた彼は今、リファレンス・ポイントの工房艦、ラクシュリー・オーダー内のラボで検査の毎日だ。
 彼は――マシンチャイルドは、それ自体が電脳暦では、高価な兵器であり商品だった。

《MARZ所属、エリオン・オーフィル三査。本部よりお電話が入っております》

 薄水色の検査着へ袖を通しなおして、エリオンはアナウンスを見上げた。ロビーのカウンターへ来るよう促す声は、同じ内容を二度続けた後、頭上を通り過ぎてゆく。自分のモバイルにではなく、施設へ直接の通話に疑問を感じながら、エリオンはベッドから立ち上がった。
 白衣の研究者達と何度も擦れ違いながら、ラボの開かれたロビーへと顔を出す。
 受話器を掲げるナースを見つけて、エリオンは足早に駆け寄った。

「エリオン・オーフィル三査です」
《任務遂行ご苦労様です、三査。この守秘回線は直通につき、盗聴の危険はありません。また、通話記録は公的なものとして残らないので、そのつもりで聞いてください》

 受話器を受け取り応対すれば、同年代の少女の声がエリオンの耳朶を打った。
 澄んで澱みなく、落ち着いた清水のような声音だ。語る内容は物々しいのに、その響きは心地よく、何より明瞭にエリオンに染み込んでくる。気付けばエリオンは一人、受話器を持ち直して身を正していた。

《精密検査の結果は受け取りました。火星でのストレスはないようですね》
「は、はぁ。その、同僚に……仲間に、恵まれましたので」
《何よりです。今後は次の特務に備えて休養して貰います。そちらへ今、人を回しました》
「りょ、了解しましたっ!」

 反射的に背筋を伸ばして、敬礼に身を固めるエリオン。周囲を研究員達の微笑が包んだ。
 威圧感も迫力もないのに、回線の向こう側から伝わる声は、自然とエリオンを強張らせる。それほどまでに強い意志が感じられるのに、あくまで声色は穏やかで温かい。
 エリオンは自然と、今自分が対話している相手が、MARZの総責任者だとの直感を得ていた。
 火星戦線での健全な限定戦争運営の為、治安維持と違法取締りを目的に創設された、特捜機動部隊……それがMARZ。その頂点に君臨し、指揮を執っているのは、意外な人物であるとの噂がある。あくまで噂話、都市伝説の類だったが、今のエリオンには信じられた。同年代の少女が、火星の平和維持を掌握していると言われても、納得できるだけの存在感を感じていたから。

「そ、それで、あの……その、特務、というのは……」
《MARZの現保有戦力では、三査、貴方にしかできない任務です》

 むしろ、その為に本来MARZがあると……静かに声が告げてくる。

《機体は三査、貴方の能力に過不足のないバーチャロイドを用意します》
「あ、ありがとうございます。……それで、任務の内容は」
《――ダイモン。それが敵の名》
「ダイモン?」
《詳細は以降、追って通知します。今は休養を》

 ダイモン。それはエリオンには、初めて聞く組織の名。それが組織の名なのか、それとも個人を示すものかも定かではない。だが、それを口にする受話器の向こう側が、僅かに息を飲む気配が伝わった。
 敵の名であることは明らかで、それが脅威だという認識をエリオンは相手と共有した。
 その排除の為に、自分があの街から引き上げられたのだ、とも。

「了解しました。機体受領後、速やかに敵を排撃、撃滅します」
《お願いします、三査……まだ時期尚早とは思いますが、先手が打てるなら》
「MARZ戦闘教義指導要綱06番、『先手必勝』……その為の僕、いや、自分ですから」
《頼もしく思います。どうか私の、私達の……人類の敵、太古の妄念を排除してください》

 それだけ言い残して、長い沈黙――そして、思い出したような儀礼的なやり取りの後、通話は切れた。切なげで、それでいて泰然とした声が遠ざかると、エリオンは静かに受話器を下ろす。
 自然と握る手に、力が篭る。四肢を血潮が巡り、五体が熱く燃える。
 エリオンは確かに、自分が戦うために造られたマシンチャイルドであることを、改めて実感していた。そして、それは不快ではない。むしろ、想いが滾る。

「ダイモン、か。よしっ! MARZの流儀を僕が教えてやる……全力で殲滅する!」

 一人、小さく気炎をあげるエリオン。彼は受話器をカウンターのナースへ投げ返すや、両の拳を強く握った。
 戦い、勝利することが、己の存在理由。それがマシンチャイルドだから。悲観するどころか、エリオンには小さなプライドがあった。与えられた使命を全うし、自分とその兄弟姉妹達の、この世界での立ち位置を確認する。他に彼には、生きて生活するにあたって、することがなかった。
 だから、バーチャロイドに乗り、敵と戦い続ける。
 自分を示すことができなくなる、いつか必ず訪れるその日まで。

「まあ……もしかしてあなたが、エリオンさんではありませんか?」

 不意に、鼻息も荒く明日を見詰めていたエリオンは、背後から声をかけられた。
 振り向けばそこに、長身長髪の女性が立っていた。色素の薄い肌と髪とが、無言で同類だと……遠い姉弟だとエリオンに告げていた。遺伝子的に何ら血縁関係のない、しかし開発経緯的に確実な繋がりのある、恐らく姉であろう女性が、嬉しそうに手を広げて近付いてくる。
 エリオンは応対する間もなく、和装の着物姿に抱きしめられた。

「っぷ! あ、あのっ! 失礼ですがどちら様で……」
「きっとそうですわね! 迎えに来ましたわ、エリオンさんっ」

 有無を言わさぬ抱擁だった。真っ白な髪が揺れて、真っ白い肌が甘く香る。唯一色彩を帯びた碧眼を細める、謎の女性に包まれるエリオン。慌てて離れようとする彼は、遠くに何故か同僚の咎める声を聞いたような気がした。それが何故かも解らないまま、恐る恐る目の前の貴婦人を引っぺがす。

「どうしてリーインが頭に……兎に角っ、離れてくださいっ」
「あら、ごめんなさい。わたしったら嬉しくてつい。弟に会えるなんて久しぶりなんですもの」

 透けるように白い彼女は、笑顔でエリオンを解放した。その白さを際立たせる空色の小袖が、静かに揺れている。改めて見上げるエリオンは、目線一つ背の高い、同じマシンチャイルドと思しき女性を見詰めて問うた。

「あの、どこかでお会いしたでしょうか? 同じラボの生まれではないですよね」
「わたし達の遺伝子配列なんて、基本的には一緒ですわ。ええと、わたしは……」
「T.T.、エリオン君は見つかったかい? 検査の方はもういいみたいだし、食事にでも行こう」

 不意に、眼前の女性が振り向いた。それでエリオンには、突如現れた男の発した、T.T.というのが名前だと感じられた。あるいは愛称か……とりあえずT.T.は、エリオンの手を握ると、呼ばれるままに歩き出す。
 その先に、フレッシュ・リフォー直営部隊の仕官の軍服を着た、見慣れた面影が立っていた。

「エノアさん、この子がエリオンさんですっ! ねっ、きっとそうですわね? ね?」
「は、はあ……それよりも」
「T.T.、エリオン君が驚いているじゃないか。悪いね、君のお姉さんは少しはしゃいでるみたいだ」

 差し出される手に促されるまま、エリオンは握手を交わした。
 エノア・コーニッシュ。何故か何故だか、今や伝説となった人物が、目の前に立っていた。元同僚、ルインの実の兄……というよりも、レヴァナントマーチと呼ばれる一連の、悪夢の撤退戦を戦い抜いた男という認識が、今は勝った。

「ええと、オーフィル三査。別命あるまで、僕の家で待機だ。……って話は、聞いてないかい?」
「え、あ、いやあ……休養を取るよう言われてますけど。でも、これは」
「エリオンさん、少しの間ですけど、わたし達の家でゆっくり休んでくださいねっ」

 これもまあ、給料分さ……そう唇だけで囁いて、エノアがウィンクをよこした。次の瞬間にはもう、エリオンは着替えてくるよう、T.T.に背を押されて、更衣室へと向かわされていた。
 エリオンはこうして、特務までの日々を、エノア・コーニッシュの邸宅で接待されることになった。
 訳もわからず、見も知らぬ姉に、あれこれ世話を焼かれながら。
 どうしてリーインが脳裏にちらつくのかも、理解できぬまま。

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