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 MARZウィスタリア分署、格納庫。居並ぶ整備班の面々を、頭上に開いたハッチからシヨは見上げた。そうして頷くと、セフティジャケットを解除し、コクピットから這い出る。多くの作業着姿の中から、壮年の男が頭をかきながら、彼女に手を貸した。

「じゃあ、本当にいいんだな。お嬢ちゃん」

 ベンディッツ班長の声に、シヨは黙って強く頷く。誰もが口々に、賭けの結果に一喜一憂しつつも、慌しく作業に取り掛かり始めた。たちまちコクピットへは、色とりどりのコードが押し込まれ、コンソールへと繋がれてゆく。

「ってことになったけど、エルベリーデさんもそれでいいかい?」
「ええ、シヨさんが決めたことですから。宜しくお願いしますわ」

 ベンディッツ班長は、テムジン421号機の足元で見上げる、エルベリーデにも確認を取ってから、もう一度シヨを見詰めてくる。その眼差しが、まるで娘か孫を気遣うように、ふと柔らかくなった。いつもの強面が影を潜め、そこにはただ、パイロットを案じる整備士の、真摯な態度があった。だから、

「お願いします、おやっさん。この子のリミッターを、解除してあげてください」

 そっと、テムジン421号機の頭部に、そのバイザー状のセンサー類に手で触れて。シヨは改めてベンディッツ班長へと、声に出して意思を伝えた。
 既にもう、その力はある……毎日特訓してくれた、エルベリーデのお墨付きもある。
 何より今、シヨは戦う力を欲していた。今、何者かが、明らかな害意を持って、この東部戦線の秩序を乱すなら……限定戦争の健全な運営の為、戦うのがMARZだから。何より、守りたいものがあるから――もう、何も失いたくはないから。

「ふぅ……お嬢ちゃんも成長したもんだ。何、15分ってとこだな。ちょいと待ってな」
「はいっ。終ったらすぐ、試運転してみたいんです。……じゃ、また後でね」

 ポン、とテムジン421号機の額を叩いて、シヨはタラップへと足をかけた。そのまま地上に降りて、エルベリーデと笑みを交し合う。その横では、相変わらず眠そうな半目で、ルインがぼんやりとシヨを見つめていた。

「シヨさん。フルスペックのテムジン707Sは、かなりのパワーがあります」
「は、はいっ」
「今まで以上の一体感を忘れてはいけませんわ。そうすれば――」
「そう、すれ、ば?」
「この子は必ず、シヨさんに応えてくれます」

 エルベリーデがにこやかに、柔らかに表情を崩してゆく。いつも優しげな彼女だが、今日の笑みはことさらシヨの心に染みた。
 そして、次の一言が突き刺さる。

「調整が終ったら、試運転がてら模擬戦をしましょう。みっちり調子を見て差し上げますわ」
「は……はいぃ……」

 ルインがエルベリーデの横で、口の動きだけで「ご愁傷様」と呟いた。それにも上機嫌の笑みを返して、シヨは振り向き愛機を見上げる。作業が終るのが待ち遠しく、エルベリーデの課す厳しい特訓さえも、気付けば心待ちにしていた。

「やっと、本当の力を出してあげられるんだ。良かった……わたし、頑張るからねっ」
「まあ、振り回されないように頑張れや……ん? 何だ?」
「何か、騒がしいですわね」

 三者は三様に、格納庫の入り口へと走るMARZ職員達を、その背を見送る。何事かとそちらの方へ向き直り、尚も増える人の波に、自然と足が向いたその時。署内にも響く放送が、外の駐機場へと向けられた。

《所属不明のバーチャロイドに告げます。今すぐ機体を、所定の位置に停止させてください》

 不意にシヨの脳裏を過ぎる、過去の記憶――景清。以前も、ウィスタリア分署は、その敷地内に敵性バーチャロイドの進入を許している。一般人も出入りする正面玄関に面した、駐車場を兼ねる駐機場。そこのセキュリティは万全と言えば万全だが、この街ではどこもかしこもバーチャロイド……いちいち細かなチェックをしていてはきりがない。
 とはいえ、たやすく所属不明機に押し込まれる愚を、二度も冒すのは避けたかった。

「あっ、あれは。うわぁ……か、かわいい」
「って、魅入ってる場合じゃねーぞ、シヨッ! エルベリーデさんっ、機体を回してくれっ!」
「まあ、ではあれが……誰か。そう、そこの貴方」

 純白のガラヤカが、駐機場の中央に佇んでいた。腰の後で手を組み、静かに立ち尽くしている。
 慌てふためく一般職員の一人を捕まえるや、エルベリーデの声が僅かに鋭さを帯びた。彼女はルインに急かされるまま、格納庫へ走りながら小さく叫んだ。

「アラート5を発令、分署内に全職員を避難させてください。シヨさん、ルインさんも」

 くるりとガラヤカが背を向けるのと、その声は同時だった。白無垢の幼子を模したバーチャロイドが、指揮者のタクトのように、右手に持つロッドを振り上げる。
 瞬間、殺意のオーケストラが、ビルの陰から揃って現れた。
 目に痛いトリコロールカラーの、アサルトライフルを構えたアファームドの群。

《――開幕。制圧するわ、手始めに》

 広域公共周波数と同時に、その澄んだ声は、スピーカーを通して空気を振るわせた。瞬間、ガラヤカがタクトを振り下ろす。既に敵意の調律を終えていた楽団が、各々の楽器を吹き鳴らした。たちまちウィスタリア分署は、正面からアファームドの一軍の一斉射撃を受ける。
 銃声と砲火の交響曲が、高らかに鳴り響いた。

「うっ、撃ってきたよ、ルイン君っ。あ、ああっ……あの、あのアファームドッ」
「最近前線で出没してる、例の限定戦争荒しの連中だ! クソッ、何だって突然っ!」
《全署員に通達、アラート5が発令されました。非戦闘員は直ちに署内へと避難してください》

 繰り返します、のアナウンスが、爆風に遮られる。
 格納庫へと取って返し、逃げ惑うシヨは、敵に心当たりを自覚していた。先ほど、嫌に冷たく響いた声。それはいつか、このウィスタリア分署のシミュレーションルームで聞いた、幼い少女の声。あの、監督を自称する者達だ。
 格納庫へと転がり込むや、シヨは愛機に駆け寄る。
 テムジン421号機はまだ、コクピットから大量のコードをぶら下げたまま、立ち尽くしていた。

「おやっさん、出れますかっ。わたし、戦わなきゃ……あれは、あれが、わたし達の、敵ですっ」
「おいぃ! 10分、いや、5分で片付けろぉ! リミッター解除ぐらいちゃっちゃとやれぃ!」

 久々に、ベンディッツ班長の激が飛んだ。慌しくなる格納庫内では、真っ先にエルベリーデが、愛機のテンパチへと駆け上がる。主を胸の内に迎え入れて、MARZチューンの廉価版テムジンが、独特の甲高いVコンバーターの起動音を響かせた。
 シヨはパイロットスーツに着替える間もなく、ヘッドギアをロッカーから取り出す。それを装着すれば、

《全署員に通達しますわ。わたくしが出て時間を稼ぎます。今後は指揮権をリタリー隊長へ》

 それだけ言い残して、テンパチが地を蹴った。その姿はたちまち、アファームドの一隊が投擲してくる、スーパーボムの光へと消えてゆく。シヨの脳裏を、先日の悪夢が過ぎった。耐圧耐爆構造のウィスタリア分署が揺れに揺れて、ぱらぱらと天井から埃が舞い降りる。
 気丈に自分を奮い立たせれば、署内のアナウンスが突然切り替わった。

《リタリー特査だ。パイロットは至急、乗機へ。非戦闘員は地下へ退避、急げ。繰り返す――》

 警報が鳴り響く中、いつもの典雅な声も僅かに険しい。
 その声を見上げていたシヨは、突然二の腕を強く捉まれた。

「シヨ、ちょっと手伝え。エルベリーデさんが上がった、5分や10分は持つ」
「え、ルイン君? でっ、でもっ、あのアファームドは」
「お前さんの421号機も、まだ時間がかかる。他にもまだあるだろ、テムジンが」
「え、ちょ、ちょっと待って」

 ヘッドギアを小脇に抱えたまま、ルインはシヨを引っ張り格納庫の奥へと歩みを進める。既に鉄火場と化した外からは、ひっきりなしに爆音がこだました。その最中、テンパチの機動音がまだ聞こえるのが、いくらかシヨの緊張を和らげた。

「他にもあるって、あ……だ、駄目だよ、ルイン君っ」
「今使わないでどーするよ。連中、目的は不明だが、押し込んできやがった」
「でも、今度使ったら壊されちゃうよう。ルインくん、ねえったら」
「封印の解除を手伝え、シヨ! 俺が、お前が出るまで俺が、エルベリーデさんとお前を繋ぐ!」

 いつになく強い言葉で、一度足を止めたルインが振り返った。その顔は相変わらずの無表情だが、ぼんやりとした目には、普段にはない光が灯っていた。

「……視覚を同調させなきゃ、暴走はしねぇ。砲台代わりくらいできんだろ」
「でっ、でも」
「でももストもねぇよ、シヨ。……すんません、手伝え。俺ぁもう、見てるだけなんて真っ平だ」

 それだけ言うと、またルインはシヨを引きずり歩き出す。すぐに格納庫奥の、バーチャロイドキャリアーが並ぶ一角が視界に開けた。そこには、封印されたルインのテムジン422号機と、乗り手不在のテムジン411号機。そして……エルベリーデのテンパチと一緒に来た、謎のコンテナを搭載したキャリアーが一台。
 激震に揺れる中、シヨは言われるままに、キャリアーに搭載されたテムジン422号機を覆う、移送用のシートを引っぺがした。ルインが躊躇なく引きちぎる、白騎士の紋章が記されたリボンに、シヨもまた手をかける。
 MARZウィスタリア分署の、一番長い日は、まだまだはじまったばかりだった。

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