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 頭では、命令違反とは解っていた。マシンチャイルドという、組織の財産にして備品である自分を省みれば、反逆でさえあるかもしれない。それでも今、エリオンは僅かな可能性へ向けて、フレッシュ・リフォーの衛星軌道上支社を、その社屋内を走る。姉に手を引かれて。

「僕は行くよ、リーイン……僕は今、解ったんだ。あの場所の、大切な場所の……エースとして今、何をすべきかって。エースと呼ばれたからには、どうすべきかって」

 仲間との通話が途切れるや、エリオンはエレベーターへと駆け込む。周囲の社員達が、血相を変えた顔で、何事かと彼等を、地下への専用エレベーターへ見送った。
 そんな二人を追い駆け、追いつく人物が一人。

「エリオン君、君は自分が今、何をしようとしてるか解っているのかい?」

 滑り込むようにエレベーターへ駆け込むと、エノア・コーニッシュは静かに問いただしてきた。その視線は真っ直ぐに、エリオンへと注がれてくる。
 ガクン、とエレベーターは地下へと動き出した。

「エノアさん、エリオンさんは――」
「うん、でもねT.T.。ここははっきりさせておかなければいけない。僕達は保護責任もあるしね」

 そう、次なるミッションに向けて休養中だったエリオンは、現在エノア・コーニッシュ少佐の保護下にある。責任を持って預かったマシンチャイルドが、勝手に脱走したとあっては、これは大問題だ。
 しかし、エノアが言いたいのは、どうやら保身や言い訳の確保ではないらしい。

「エリオン君、確かに今、ウィスタリア分署は謎の敵性部隊と交戦中だ。そして、劣勢だ」
「……はい」
「だが、君にはもう、あのお方から拝命した任務が待っている。君にしかできない任務だ」

 確かにあの日、少女の声はエリオンに告げた。謎の敵、ダイモンと戦い、勝利せよと。それが、自分にしかできない任務だとも。
 エノアは諭すように、しかし試すようにゆっくりと、静かに言葉を続ける。

「君達MARZは、僕等のような軍とは違う。利潤とは別の価値観で動く、あの方の為の組織だ」
「それは、だから――」
「ならば、君にしかできない任務はどうする? それを放棄した時、どんな被害が出ると思う?」

 エリオンはエノアの追求に黙った。言葉を失った。
 確かにMARZは、限定戦争の円滑で公正な運営の為、採算を無視して悪と戦う組織だ。ここで定理される悪とは、何も企業国家にとって害益となる存在だけを示すものではない。もっと単純に、この地球圏に住む人間一人一人の、共通の敵を言うのだ。

「君が行けば、ウィスタリア分署は助かるかもしれない。しかしその為に、本来君が救う筈だった、より多くの人間が苦しむことになるかもしれないんだ。……その自覚が、覚悟があるかい? エリオン君」

 今のエノアに、普段の温厚で柔和な気配はない。そこには、レヴァナントマーチと呼ばれる激戦を生き抜いた、一人の指揮官としての顔があった。その言葉は鋭く尖って、エリオンの胸を深々とえぐる。
 ただ、ぎゅっと手を握ってくる、T.T.の自分と同じ低い体温が伝わる。
 エリオンはだが、真っ直ぐエノアを見詰め返すと、決意を言葉へと乗せた。

「勿論、ダイモンはこれを殲滅します。それは、僕に与えられた任務です」
「うん。だったらもう、君のすべきことは解るね?」
「ですが、仲間を……大事な人達を守れない人間に、多くの人が救えるのでしょうか?」

 エノアが静かに、ほう、と唸った。まるで、待ちわびていた答を得たかのように、彼はエレベーターの壁にもたれると、腕組みエリオンの言葉を促す。

「エノアさんは、少佐は以前仰いました。僕に、エースの資質があると」
「そうだ、オーフィル三査。君こそがMARZのエースだ。では、エースの資質とは何だ?」
「エースは、ただの撃墜王じゃない。守りたいものを守れて、初めて僕は真のエースになります!」

 数瞬の間があって、満足したようにエノアはモバイルを取り出した。そのまま、地下へと降り続けるエレベーターの中で、回線を外へと繋ぐ。

「閣下、私です。エノア・コーニッシュ少佐です。エリオン・オーフィル三査の件、終了しました」

 微かに、あの声がエリオンの耳朶を打った。エノアが耳に当てるモバイルの奥から、あの日自分へと向けられた、優しげな、しかしどこか切なげな少女の声が聞こえる。

「はい、彼は自分で答を見つけました。不測の事態でしたが、今回の事件はいい経験になるでしょう。小官の個人的な感想ですが、彼のエースとしての成長は、MARZの真の任務に大きく貢献するかと」

 少女の声は静かに、しかし確かに次げた。ならばそれを是とすると。一人のエースが真に覚醒するのに、スケジュールが少々遅延することなど、何も問題はないと。
 チン! と音が鳴って、エレベーターは地下の格納庫へと到着した。
 エノアはモバイルをしまうや、エリオンやT.T.に先んじて、開けた空間へと一歩踏み出す。

「フレッシュ・リフォーのエノア・コーニッシュ少佐だ。私の権限でここに保管されているバーチャロイドを接収させて貰う! 悪いが諸君、速やかに定位リバースコンバートの手続きをお願いする」

 あっけに取られるエリオンは、満面の笑みで「エノアさん、大好きですっ!」と、T.T.が抱きつくのを見た。彼女は童女のように身を寄せるや、弾かれたように離れた。そうして、一番奥に凝立する、白亜の機体へと駆けてゆく。

「行きたまえ、エリオン君。守りたいものがある時、それを守れる……それが、エースだ」
「エノア少佐……」
「ほら、T.T.が機体を譲ってくれる。あれを持っていくといい。少々頼りないが、これが僕の精一杯だ。本当なら最新鋭の、制式化された747型のテムジンを回したいがね」

 エリオンはぴしりと身を正すと、エノアへ敬礼で応えた。エノアもまた敬礼を返すと、驚く白衣の研究員達を捕まえて、忙しく動き始めた。
 エリオンは急いできびすを返すや、T.T.の後を追って奥へと急ぐ。

「あなた、ねえあなた! エリオンさんが困ってるの、力になってくれて?」

 その機体は、以前見た時と同じ場所にあった。物言わぬ試験機はただ、ダミーの装甲と武装に包まれ、立ち尽くしている。周囲を見れば、他の機体も同様。当然だ、ここは試験機や実験機を保管する格納庫なのだから。
 T.T.は両手を広げて、かつての愛機へと親しげに語りかけていた。

「あなたはわたしと、あんなに頑張って戦ったわ。だからもういい、そう思ってたけど。ねえ、お願い! もう一度だけ、エリオンさんの為に戦って。……わたしの可愛いあなた」

 T.T.の説得に、周囲の研究員は呆然とその姿を見守るしかない。エリオンはそんな人達の間をすり抜け、一機の747Hを見上げた。かつて、名前のない魔女と恐れられた、死の行軍の守護神。

「ええ、そうなの……え? そう、ありがとう! ありがとう、あなたは本当にいい子」

 T.T.が不意に、笑顔を咲かせた。
 瞬間、目の前のテムジンに異変が起きた。音を立てて、その全身を包むダミーのホールド・アーマーが強制排除され始めたのだ。無論、誰も操作などしていない。まるでテムジン自身に意思があるかのように、雑多な走り書きが踊る純白の装甲が、次々と脱げてゆく。
 完全にアーマー・システムを脱ぎ捨てたテムジンは、最後にクラウドスラップの片方、重量計算用のダミーを引きちぎって捨てると、身を屈めてきた。そのままそっと、床に手の平を差し出してくる。

「さあ、エリオンさん! この子、力を貸してくれます!」

 誰もが驚く中、エリオンは裸のテムジンを見上げ、その手に飛び乗った。

「姉さん、この子をお借りします! お前……こんな姿になってまで、一緒に戦ってくれるのかい?」

 無言で白いテムジンは、新たな主を胸のコクピットへと迎え入れた。ハッチを閉じる瞬間、改めてエリオンはT.T.を、その隣に立つエノアを見下ろす。

「エリオンさん、気をつけて! その子をお願いします。すっごく、いい子なんですよ」
「弟にも僕からよろしくと。……頼む、助けてやって欲しい」

 エリオンは周囲が慌しくなる中、二人の声に大きく手を伸べ、握った拳に親指を立てて応えた。
 Vコンバーターの駆動音と共に、名前のない魔女は再び、戦場へとその身を翻した。

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