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 事件の興奮覚めやらぬ中、MARZウィスタリア分署職員の大半が押しかけた。今やシミュレーションルームは、正面のターミナルと大型モニターを前に人だかり。そのざわめきを切り裂き、あくまで穏やかな、しかし厳とした声がシヨの耳朶を打つ。

《シヨさん。あの子には少しでも技量の高いパイロットが必要です》
「は、はいっ」
《わたくしかシヨさん、どちらが相応しいか決着をつけたいと思いますが》
「おっ、お願いしますっ」

 残されたテムジンのシートは一つ、パイロットは二人……緊張が静寂を呼ぶ。
 外界から隔離されたシミュレーターの中で、シヨは乾いた唇を舐めた。事件中に切った傷はもう痛まない。ただ、強張る自身を奮い立たせるように、己の愛機を電脳空間へと呼ぶ。
 こんな時、背中のシートは空席で。
 本来その場所で声をかけてくれる人物が、目の前に立ち塞がる。

《時間がありません。六十秒一本勝負、いいですね?》

 首肯を返してシヨは、今や現実で機能を失ったテムジン421号機を起動する。データバンクに保存されていたバックアップ通り、普段通りの機体が意識に馴染んだ。
 同時に同調した視覚野に、白い敵影が浮かび上がる。

《お、おい、あれっ! 鬼だ……そこまでやるかっ》
《おやっさん! あっ、ああ、あの機体は》
《むう……フェステンバルト卿、本気を出されるということか》

 見守る外の声を拾って、ヘッドギアの耳元が鳴る。ギャラリーの整備員達、白騎士リチャードより誰より、シヨ自身が驚いていた。思わず飲み込んだ息が、肺腑の奥へと沈殿して呼吸が止まる。
 白亜に輝く、707系のテムジン。
 その背にあしらわれた羽状のグリンプ・スタビライザー。
 今でこそ最新鋭ではなくなったが、それはまごうことなき白騎士のテムジンだった。その性能は今でも、大半の機体を凌駕することは疑いようもなく。まさしく、シャドウ殲滅の為に作られれた、白騎士達の銀領騎。そのハイトーンのVコンバーターが唸りをあげた。

 ――Get Ready?

 視界中央に浮かぶ文字が消失するや、シヨは迷わず自身の意思を拡散させる。それはシミュレーター内に完全再現されたテムジンの、四肢の隅々までいきわたった。自分の体が拡張してゆくような感覚の中、シヨは全力で追う。視界から消し飛んでゆく純白の機体を。

「エルベリーデさん。わたしっ、絶対に負けませんっ」
《それはわたくしも同じですわ。今必要なのは、より強い、より優れたパイロット!》

 ステージは遮蔽物のない、空母の飛行甲板。
 シヨの思惟を拾って、粘りのある足回りが甲板上をグリップし、テムジン421号機を疾駆させる。MARZチューンの機体でさえ、白騎士は置き去りに、まるで翔ぶように馳せる。
 以前のシヨであれば、なすすべもなく置いていかれ、逆襲を被る羽目になっただろう。だが、シヨは落ち着いて位置取りを確認しながら、牽制のニュートラルランチャーをばら撒く。トリガーに応じて光が矢となり、高速ゆえにぶれて見える白い影を捉える。が、

「――っ? かき消された?」
《シヨさん、これがa3にだけ装備されたレディオ・スプライトです。では……いきますよ》

 ターゲットに命中した筈のニュートラルランチャーは、突如出現した見えない壁に反射した。
 ただ、白いテムジンが左手を……左腕の盾をかざしただけで。
 慌ててシヨは着弾のデータログを漁りつつも、次の攻撃ポジションを失い機体を翻す。本来なら被弾で足が止まるはずの相手は、射撃を無効化したばかりか、こちらへとバティカルターンで踵を返した。
 疾い。そして、鋭い。残像だけがシヨの目に焼きつく。
 光の翼をマインドブースターから迸らせて、敵機がシヨへと迫る。

《おやっさん! あれじゃシヨちゃんがあんまりだ! 機体性能差がありすぎる!》
《アホォ! 整備の人間なら、自分が手を入れた機体を、その乗り手を信じな》
《そりゃ、421号機のリミッターは外してありま――ああもう、見てらんねぇ!》

 外野の声も今は遠く。シヨは懸命にダブルロックオンのアラートを聞きながら、機体を僅かに跳躍させて相手に向き直る。一瞬で迫る敵影に相対したテムジン421号機は、その中心でシヨは、

「避けて、くぐって、回り込むっ。動いて、わたしの両手っ」

 白騎士ことテムジンtype a3が、右手のリキッド・ディクティターを振りかぶる。それが真横に空間を薙ぎ払った。シヨは機体を大きく前傾させてそれを避ける。避けきれずに、機体の頭部バイザーが破損する。鋭利な光子の刃で切り裂かれる。
 構わず初撃をしのいだシヨは、そのまま左手を地に着けそこを軸に一回転。完全にエルベリーデの背後を取る。火花を咲かせて甲板上を二機のテムジンが蹴り続けた。

「ブリッツセイバー、をフェイントにっ。零距離、取れるっ」
《よくもこの短期間でここまで……確かにあの人が、チーフが見込むだけの素質っ!》

 玲瓏たるエルベリーデの声が熱気を帯びる。
 シヨは斬りかかるモーションをフェイントに、強制的にマニュアルでブリッツセイバーでの袈裟斬りを中断させる。そしてそのまま、テムジン421号機は大地を脚で掴んだ。まるで張り付くように、地を蹴り前へ。
 普通のテムジンなら、たとえ白騎士といえどもこうはいかないだろう。全てはシヨと整備班が、普段から煮詰めた足回り。テムジン421号機が唯一、最強の白騎士に勝るアドバンテージ。こと小回りに関しては、シヨの421号機は究極の域にいたる高度なセッティングがなされていた。
 ほぼ密着に近い距離で、スライプナーから光が迸る。

「まだまだっ。わたしだって、MARZの、パイロットなんだからーっ」

 ニュートラルランチャーの二斉射が白騎士を直撃する。吹き飛び仰向けに倒れる、その大の字に天を仰ぐ機体へと、シヨはぬかりなくレバーを倒す。追い討ちでダメージを稼ぐ。
 つもりだった。

《……馬の差ってやつは》

 おやっさんことベンディッツ班長の呟きが、歓声と怒号の奥からシヨの耳に届いた。
 それは、白銀の守護天使が身を起こすのと同時だった。

《見事ですわ、シヨさん。……でも、詰めが甘い。それでは、あの子は渡せませんっ!》

 トドメとばかりにスライプナーを突き立てる、テムジン421号機の一撃を白騎士は避けた。そればかりか、まるでダメージなどなかったかのようにふわりと浮かぶと、そのまま立ち尽くす。
 そして、ゆっくりと歩いてくる。静かに、悠然と近付いてくる。

「え、え? あっ、嘘……」
《機体の性能差に助けられたといっても過言ではないでしょう。でも、シヨさん》
「落ち着け、落ち着いて、わたし。大丈夫、この距離なら――」
《わたくしの腕に追いついた、しかし追い抜けなかった貴女の負けですわ》

 シヨはゆらりと迫る白騎士にスライプナーを構える。その銃身が変形して、ラジカルザッパーの体勢に入る。
 発射……眩い光をしかし、白騎士は左手を前に受け止める。盾が変形して四方に光芒を放つや、その四点を結ぶ空間に力場が発生して、強烈な一撃を捻じ曲げていた。
 次の瞬間にはもう、シヨのテムジン421号機はダブルロックオンされた刹那、胴を両断されていた。
 シミュレーションの終了を告げるメッセージと共に、密閉されていた空間が圧搾空気を逃がして解放される。唖然とヘッドギアのバイザーをあげるシヨは、押し寄せる職員の向こう側に勝者を……エルベリーデの涼しげな顔を見た。汗一つかいていない、毅然とした表情が視線を返してくる。

「おうっ! 野郎共、新型をハンガーに入れろ! M.S.B.S.を最適化するぞ!」
「へ、へぇ……じゃあ班長、あの新型はエルベリーデさんの機体ってことで……」

 戸惑う整備班の面々に、ベンディッツ班長の雷が落ちた。それで白いツナギの作業着姿は、一目散にハンガーへと散ってゆく。見世物は終わりとばかりに、他の職員も忙しさを思い出した。
 シヨはただ、滲む視界の湿度を拭ってこらえると、ヘッドギアを脱いでエルベリーデに歩み寄る。

「エルベリーデさん。……あの子を、FUをお願いしますっ。あの子、初陣がこんなで、怯えてます」
「シヨさん。もはやわたくし達の間に、腕の差は殆どないでしょう。むしろ、シヨさんの方が」
「そ、そんなことないですっ。結果は、結果です……あの子は、421号機は、わたしのベストです」
「……誰かがエリオンさんやリーインさんの指揮を取らなければいけません。それは、わたくし」

 パイロットとしての腕もそうだが、マーズシャフト破壊阻止部隊には指揮能力も求められた。判断力や分析力を統合すれば、シヨがエルベリーデに劣るのは明らかだった。それでも尚、ただ腕前だけで新型のシートを競ったのには、エルベリーデなりに理由があった。
 シヨはこの時まだ、自分が期待されているとは思いもよらなかった。
 まだ、可能性が残されていることも。

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