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 仲間に預けた背中が震える。それがツインスティックを握る手に伝わる。
 エリオン・オーフィル三査はただ、歯を食いしばって言葉を噛み殺しながら進んだ。彼を乗せたテムジンは重装甲を苦にもせず、僚機を従え星へと沈んでゆく。長い縦坑を下り始め、断続的に頭上で響いていた爆発音が遠ざかって久しい。
 相棒のホァン・リーイン三査もまた、沈黙を保って隣に機体を寄せていた。
 二機のテムジンがただ静かに、ゆっくりと足元だけを見据えて進む。

《三査殿? ……心拍数上昇、血圧も呼吸も異常値です。これは――》
《だっ、大丈夫っ! 大丈夫よ、ティル。ある意味、記録更新に挑戦って訳》

 不意に静寂を引き裂いたのは、一機に内包された二つの人格だった。その片方が主張する異常を、エリオンの相棒は遮り否定する。自然とエリオンは、瞬時に視界隅のデジタル表示へ目を走らせる。
 既にもう、リーインがコクピットに密閉されてからかなりの時間が経過していた。
 エリオンは素早く周囲を警戒しながらバイザーをあげ、正面サブモニターにセンサーの値を拾う。

「リーイン、ここは空気がある。ハッチを空けて少し休憩しよう」
《駄目っ! ここは敵地よ、エリオン。ほら、バイザーを戻す! ティルも索敵続けて!》

 まるで隣で見ているような口ぶりで、リーインがいつもの態度を固く作った。
 言われるままに再度バイザーを下ろして、乗機に同調した視覚でエリオンは首を巡らせる。右肩に長く伸びるロケットランチャーの砲身の向こうに、強情で頑固な、気丈で気張ったパートナーの機体が見えた。
 態度を保留していたティルが、再度口を挟みこむ。

《三査殿。オーフィル三査殿の意見を肯定すべきです。今の三査殿はベストではありません》
《……そんなの解ってるわよ。解ってる。でも、今は気は抜けない。一分でも、一秒でも》

 エリオンはレシーバーの向こう側に聞こえないよう、小さな溜息をそっと零した。
 嘗てはフレッシュ・リフォー直営部隊でも准尉待遇だったベテランパイロット、ホァン・リーイン。頼れる狙撃手でもある彼女の泣き所は、悪夢の撤退戦で植えつけられたトラウマだった。レヴァナントマーチと呼ばれる泥沼の激戦で、長期に渡りコクピットに閉じ込められ、あまつさえそのまま死にかけた経験がリーインにはある。それが今も、彼女の見えない砂時計をゆすっているのだ。

《ティル、本音を言えばね。今すぐ貴方から這い出たいけど。そうもいかないでしょ?》
《それは肯定です。肯定ですが――》
《なら、後は黙って働け相棒! ほら、下に空間。近付いてる》
《……了解、三査殿。あと300秒ほどで開けた場所に着地します》

 それ以上ティルは追求を避けた。バーチャロイドに搭載された擬似人格、AIであるところの彼は、今は主の――否、相棒の意見を尊重することに決めたようだ。腹を括ったとエリオンも気を引き締める。
 着地まで300秒……その間、今までの雑多な事件や日常が脳裏を過ぎる。
 同時に、浅く荒い呼吸がかすかに聞こえてきて、エリオンは今すぐにでもハッチを開きたくなった。そのことが口を衝いて出る前に、リーインの方から守秘回線が開かれる。MARZウィスタリア分署で第一小隊に配属され、フォワードとバックスになった頃からの、いわば二人だけの秘密の回線番号だ。

《ねえ、エリオン。前にもこんなこと、あったじゃない?》
「んー、うん。そうだ、何か話そうか。その方が気が紛れるって前も」
《ううん、いいの。ただ……》

 一度言葉を区切ったリーインの声が、僅かに凛とした普段の声音を取り戻す。

《この戦いが終ったら、真っ先にこのコクピットを飛び出て……エリオンの顔が見たい》

 意外な一言に一瞬、エリオンの中の時間が止まる。鈍い回転で言葉を咀嚼する頭脳が、その意図するところを悟った瞬間、頬を赤面させる熱が込み上げた。エリオンは長いウィスタリアRJでの戦いの日々で、人並みの感情を手に入れていたのだ。それを再確認させるように、呼吸が止まって鼓動が高鳴る。

「僕も、リーインの顔が見たい。かも。今度二人で思いっきり、外の空気を吸おう」
《ふふっ、お茶とかお酒に誘われたことはあるけど、空気を吸おうって……エリオンらしいわ》
「いやあ、兎に角こんなことは早く終らせて……また、外で会おうよ」
《そうね。あ、でもやっぱ駄目。ちょっと今、酷い顔んなってるから。やだもう、お化粧が》

 僅かに回線の向こう側で、緊張感が和らぐ雰囲気をエリオンは察した。安堵。同時に、バーチャロイド同士に隔てられた二人の空気を、他ならぬバーチャロイド自身がそっと払拭した。

《三査殿、ルックスの低下は20%程です。オーフィル三査との面会に何の支障もありません》
《……ティル? いつから聞いてたのよ。これ、プライベートな回線なんだけど》
《失礼かと思いましたが、敵影を発見しましたので……着底。火星の中心部に到達しました》
《っとに、私の相棒は仕事のできる奴ね》
《肯定です》

 一人と一機のやり取りに苦笑するエリオンも、ガクンと機体が接地する感覚に揺れた。
 MARZの少数精鋭は今、軍神の名を冠した熱砂の大地の、その最奥へと到達したのだ。火星中枢、コアの中に今、エリオン達は降り立った。同時に照明が灯り、最終ステージを飾る声が高らかに響く。
 マーズシャフト中央に決戦のリングが用意されていた。

《ようこそ、MARZの諸君! 選ばれた正義の味方、ヒーローッ!》

 そこは、障害物の一つも無い八角形のオクタゴン。古代の、神代の時代のコロシアムを連想させる。その開けた闘技場の中心に今、二つの影がエリオン達を迎えていた。
 一つは、人形にも似た純白のガラヤカ。
 もう一つは、異形の長躯をとぐろに巻いた巨大なバーチャロイド。その姿はどこか、旧暦の宗教にある聖典の一節をエリオンに思い出させる。無垢なる男女に知恵の実を勧めたのは、邪悪で醜悪な蛇だった。だが、エリオンはアダムではないし、リーインもイブではない。増してエイスは知恵の実などではなく、エリオンにとっては救うべき同胞……マシンチャイルドの哀しき業の犠牲者だった。

《さあ、ファイナルステージだ! 派手に暴れてくれよ! シーン152――》
「リーイン、警告を」
《ん。前方の所属不明機に告げます。今すぐ機体を停止し、コクピットを解放なさい!》

 広域公共周波数を行き交う言葉は、互いに意を一つにすることはなかった。リーインが朗々と所属を明らかにし、定型句に則った警告を与える。返答は興ざめしたかのような、やれやれという溜息だった。

《あー、カットカットォ! 前口上ならもっと、気の利いた奴を頼むよぉ?》
「……貴方は黙っててください。それより、エイスッ! その機体に乗ってるね!」
《あ、おいおい、エース君。一応主人公待遇なんだから、その、何だね》
「エイス、今すぐ機体から降りるんだ! 僕等の力は、こんな風に使っちゃいけない!」

 エリオンの声は虚しく響き、返る声は無かった。答は沈黙。ただ黙ってVコンバーターを唸らせる白亜の機体が、僅かに手にしたロッドを構える。
 臨戦態勢のエイスに代わって、監督を自称する事件の首謀者が高らかに宣言を詠った。

《しょうがないなあ。それじゃ、はじめよう。ラストバトルだ、気張れよ正義の味方ぁ!》

 毒蛇にも似た巨躯が後ずさると同時に、エリオンはエイスの悲痛な叫びを聞いた。
 同時に傍らの相棒達が、二心合一のテムジンが狙撃ポジションを求めて疾駆する。

《殲滅する、全部。遂行するの、監督の命令だもの……!》

 複数のカメラの視線を感じながら、エリオンは瞬時に愛機にフルスロットルを叩き込んだ。それは少女を模した白い矮躯が、凶暴凶悪な姿へ変貌を遂げるのと同時だった。
 エリオンはご丁寧に監督が《Get Ready?》と嬉しげに呟く声を拾って、怒りと苛立ちに猛った。
 かくして決戦の火蓋は切り落とされ、エリオンとリーインの前に巨大なバケモノが現出した。

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