その男に敗北感はなかった。
悪びれた様子もなく、ある種の達成感すら懐いていた。
全ては趣味の為の大いなる茶番……『目的の為に手段を問わない』とは真逆のやりかたを実践しただけの話。端的に言ってしまえば、監督にとっては面白くない結末を迎えたものの、その過程は十二分に楽しめるものだった。彼は今、最後の帳尻あわせをどうするかで頭がいっぱいだった。
「被疑者、自称監督。年齢不明、住所不定。えー、貴君には黙秘権が与えられる、と」
「MARZより上位の権限による干渉がない限り、一切の酌量の余地はなく、本取調べは――」
先ほどからこの、狭く薄暗い取調室は退屈だ。監督を取り囲むように手続きを謳うMARZ刑事課の職員。その体躯も逞しい姿が、狭い室内をことさら窮屈に見せているのだ。
その二人の刑事が苛立ちをつのらせていても、監督は気付かない。原因が自分だとは。
「ほいで? オイラのことはいいんだよ、それよりフィルムだ。編集させて貰えるんだろうね」
安物の椅子に反り返って、机の上に両足を投げ出す。おおよそ被疑者とは思えぬ態度で、監督はさも当然のように言い放つ。彼にはスポンサーという名の力強い味方がいる。それも無数に。
監督という趣味的な懐古主義者を支えているのは、他ならぬ電脳暦の娯楽に餓えた大衆に他ならない。
アップロードされた動画に触れるもの全てが、自覚せずとも資金源となり支持者となっていた。
「その件ですが……お二人ともお疲れ様です。わたくしが取調べを代わりますすわ」
殺風景な取調室に一輪の花が咲いた。
監督は不謹慎にも、口笛を吹いて妙齢の女性を出迎える。
口々にタバコを求める男達と入れ替わりに入室してきたのは、豪奢な金髪の女職員だ。上半身を脱いだパイロットスーツを腰で結び、インナーも露な肩にMARZの制服を引っ掛けている。何より痛々しい白い包帯には、あちこちに滲んだ血が生々しい。
監督は率直に、いい絵だと思った。
「これはこれはMARZのお嬢さん」
「お嬢さん、という歳ではありませんわ。貴方のフィルムですが、こちらで処分させて戴きました」
「そいつは残念だなあ。まあ、ラストシーンが台無しだからねえ……あんまり惜しくないっか」
静謐なる雰囲気を漂わせ、凛として向かいの椅子に女性職員は座る。彼女はエルベリーデと名乗り、簡潔に手続きを終えると机の上に手を組んだ。そして形よい顎をのせると、真っ直ぐ監督を覗き込んでくる。
「で、清算裁判はいつさ。どれだけの重罪が可決されても、オイラは平気だけどね」
「貴方が過去、ネット上で築き上げた財産を持ってすれば、あらゆる措置から逃れられるでしょうね」
資本原理主義を極めた電脳暦の悪癖だ。この世界に、値札のつかないものなど存在はしない。それが例え火星を破滅の危機に躍らせた罪だとしても、それを罰するのは数字だ。そして無意識の賛同者を無数に従える監督には、些細な額である。
「全く馬鹿げた話だよ。ヒロインがお仕事だなんて、しまらない。次はもっとこう、地球圏も――」
「お黙りなさい。シヨさんは立派な、わたくしの誇れる教え子ですわ。さ、御覧なさい」
エルベリーデが机の上にモバイルをそっと置く。薄暗い室内に光がさして、画面はライブ映像を映し始めた。この街のお馴染みの突撃レポーターが、大勢の観衆を前にアップで唾を飛ばしている。
《さあ、エースさんいらっしゃーい! 今日は特別番組としてお送りしておりますっ!》
画質は荒く、生中継独特の臨場感で溢れている。
率直に言って監督は、この手の番組は嫌いじゃない。ついでに言えば、毎週高視聴率を叩き出す同番組の熱心な視聴者でもある。エースパイロットには目がないのが彼だった。
《今日は先ほど事件を解決したばかりの、MARZウィスタリア分署所属、シヨ・タチバナ三査です!》
《え、ええと、そのっ、お、おはようございまふっ!》
本日のゲスト、栄えあるエースパイロット様は挨拶の言葉を噛んだ。
女学生のような少女が、マーズブルーのパイロットスーツで画面に引っ張り出された。ヘアバンドで髪を止めており、秀でた額には一房だけ紫色の髪がなびいている。未だ鼻血が止まらないのか、彼女は両の鼻穴にティッシュを詰めていた。
「ほらこれだ、まったく……可愛いお嬢ちゃんが台無しだ。わかってないなあ、まったく」
やれやれと監督は肩を竦めるが、エルベリーデは動じず中継に見入っていた。
《タチバナ三査、今回はお見事、最後の最後で大手柄だった訳ですが……感想をどうぞ!》
《え、あ、や、その……一人じゃなかったので、ルイン君とか、大勢の人が一緒でしたから》
《あくまで、自分の操縦技術や判断だけが全てではなかったと?》
《それは当然ですっ。わたし、一人じゃ何もできなかったと思います》
パンパン、と監督がわざとらしく手を叩いてみせる。
「結構、大いに結構……正義の味方は努力、友情、そして勝利だ。それでこその王道だ」
インタビューは続き、黙ってエルベリーデは画面を見詰めた。
《タチバナ三査は以前からウィスタリア分署の名物……失礼ですが、お荷物三査だった訳ですが》
《はい。わたし、ホントにどんくさくて。失敗ばかりしてて。でも、やっぱりみんな助けてくれて》
《それで今回の快挙に繋がった訳ですね。一言、今の自分を支える一番は何ですか?》
《やはりこれがわたしの、MARZの仕事だということです。このウィスタリアRJの、東部戦線の平和維持に貢献し、速やかな限定戦争の運営を補佐する。そのためのMARZですから》
一度言葉を切って、画面の中の少女は表情を僅かにひきしめた。あどけなさがまだ残るその顔は、何度見ても監督には失望しか呼ばない。可憐な美貌と言えなくもないが、せいぜい無力なお姫様役がいいところ。それがしかし、今回のラストヒロインなのだ。仕事の名の下、演じきられてしまったのだ。
《わたし、バーチャロイドが好きだから……大好きなバーチャロイドを仕事にした、そのことを誇りに思います。悩むこともあったけど、今は自分の仕事を信じて戦うことができるんです》
たまらず監督は手を伸べ、慌ててチャンネルを変えた。
もう見てはいられなかった。彼が理想と奉じる主人公とは、あまりにかけ離れたシヨの姿は堪えた。本来マイクを向けられるべきは、正義の名の下、愛や勇気に溢れた人間。正真正銘、正義の味方でなければいけなかった。
それが、この電脳暦では価値観を失った労働だと言い張られては、興がそがれる。
「はぁ……上手くいかないもんだねえ。脚本からやり直しだよオイラ……トホホ」
「監督さん、あなたがお約束だ王道だと拘るのは……例えば、こんな話はいかがですか?」
先ほどから身動き一つせず、怜悧な視線で監督をねめつけていたエルベリーデ。その凍れる声音が朗々と歌うように物語を紡ぎだす。
今、地球圏に……否、人類の文明に脅威が迫っている。誰にも気づかれることなく、しかし確実に侵略が始まっている。対抗するはMARZのエースパイロットただ一人。立ちはだかる敵の名は――
「敵の名は、ダイモン。そういうお話ですわ。地球の、世界の危機ですのよ? いかが?」
「うほっ! いいねえ、オイラを上回るスケールだ、大規模なピンチにいよいよヒーローが?」
「エリオンさんがヒーローになれるか、それは解りませんわ。ただ、なれない場合は」
人類は滅びる。エルベリーデはただ、さるお方から聞かされたままを語った。まさしく人類全員が無自覚に共有する、今そこにある危機。
当然のように監督は目を輝かせた。
これだ、これこそ王道、お約束のドラマだ。しかも、今度はヤラセではない、本当のピンチなのだ。
「ダイモンかあ、どんな敵なんだろうねえ。いいねえ、単騎挑むかMARZは。最高だねえ」
「貴方ならそう言うと思いましたわ。でも残念ですわね……作戦は極秘裏に遂行されますの」
「……ほへ?」
「地球の危機はわたくし達が、誰の目にも耳にも触れさせることなく打ち砕きます。お解りかしら?」
監督の表情は色を失った。エルベリーデの意図するところが伝わり、真っ白になってしまった。
「いや、だって今オイラに……正義の味方は、謎の巨悪は存在するんだろう?」
「ええ、間違いなく。でも、秘密ですの……全ては歴史の影で一切合切が決着しますわ」
「いやでも、オイラは知ってしまったぞ。その、冗談とか嘘ではないよね、そういう脚本じゃ――」
「そういう必然がMARZにあるでしょうか? これがいわゆる、貴方の仰るお約束ではないですか?」
綺麗に一本取られて、ガタンと監督は背後に座ったまま倒れこんだ。
正義の味方は常に、誰にも知られず孤独に戦う……それは王道中の王道、お約束意外の何物でもない。しかし自分は知ってしまった。その存在を、戦いを。そして人類存亡の危機と敵の脅威を。
演出するまでもなく、脚本すら必要ない、しかしカメラを向けずにはいられない世界。
それを唯一世界で一人だけ、無関係な市民で一人だけ監督は知った。知った上で、見せ付けられ、そして遠ざけられているのだ。ただ黙って、指をくわえて見ているしか出来ない。観衆にすらなれない。
「本当の正義の味方はいますわ、ご心配なく。安心して清算裁判に挑んでくださいな」
エルベリーデの声も今は、監督には届いていなかった。
求める理想が現実にあることを知り、それに触れられないという絶望が今、罪の代価として監督の胸にのしかかった。購いの十字架は重く、監督だけしか感じられぬ激痛を精神に与えていた。
踊る愉快犯は今、世界の命運を賭けた舞踏祭を、知りながら踊れず見ることも敵わず地団太を踏むしか出来なかった。そして正義の味方の戦いはもう、始まりを告げようとしていた。