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 ウィスタリアRJ中央病院。激戦の東部戦線ゆえ、傷病兵で賑わうこの巨大な総合病院の一角に、その特別病棟はあった。人通りもまばらで、業務連絡を告げるインフォメーションの館内放送も遠く聞こえる。

「じゃあ、エルベリーデさんはホワイトフリートに戻ることになったんだ」
「そ。ウィスタリア分署の部隊再編に伴い、MARZから古巣に戻るって訳」

 シヨはリーインが寂しそうにしてるのが意外だった。件の女性は彼女がいつからか、恋敵と公言してはばからない人物だったから。リーインが一人空回りに奮闘したエリオン争奪戦も、ひとまず終わりということになる。
 勿論、どういう結末になったのかはシヨは聞かない。
 だた黙って二人、病院の廊下で同僚を待つ。

「しっかし遅いわね、あの二人。花ぐらいちゃっちゃと選んで買いなさいよね、ある意味」
「うん。……ねえ、リーイン」
「ん? ああ、私? 私もあそこまで熱心に誘われるとね。ティルもいるし、身体のこともあるし」
「そっか、もう決めたんだ」

 リーインもまたMARZを辞し、リファレンス・ポイントのアーマーシステム第三開発室に正式に移ることとなった。彼女もまたエリオンから離れていくことを、シヨは単純に不思議に思った。
 流石のシヨでも、その中学生以下の感受性でも、二人の仲は知っている。
 ただ、どれだけ深い仲かの理解が及ばぬ為に、疑問は募る一方だったのだ。

「あいつは一人、誰も知らない戦いに身を投じるんだ。私はもう、その背中を守ってやれない」
「リーイン……」
「でもさ、あの場所でだって、開発室でだってエリオンを助けること、できるじゃない?」

 頭の後ろで腕を組み、リーインはすらりとした細躯を壁に投げ出した。扉を挟んでシヨも隣に並ぶ。
 例え離れ離れになっても、バーチャロイドを通じて絆を感じるとリーインは言う。そしてそれは、ウィスタリア分署でMARZに残るシヨやルインも同じだと。

「アーマーシステムの研究と開発で、私はエリオンを後押しするの。そしていつかは」
「ウィスタリア分署にも747型が、それもリーインの開発した子が配備されるかもね」
「そゆこと。不思議ね……バーチャロイドって昔は、純粋に電脳虚数空間への突入を目的に作られたって言われてるけど。その先にある何かと、こっちの世界を結ぶものだったって。習わなかった?」
「うん、小さい頃からずっと知ってた。それが今は限定戦争の道具だけど、でも……違う世界を結ぶ筈だったバーチャロイドは、同じ世界のわたし達を、その絆をしっかり結んでくれてる」

 たとえ働く場所を違えても、親しい仲が散り散りになっても。シヨはこのウィスタリアRJで共に戦った仲間達を身近に感じるだろう。いつでも、ずっと。
 バーチャロイドという電脳暦の娯楽兵器が、それぞれの道へ踏み出す若者達を繋げている。
 シヨは隣のリーインと微笑を交わして、気付けばクスクスと声をあげて笑っていた。

「お待たせ、リーイン。シヨさんも」
「遅いぞ、エリオン。……やだ、何その花。センス悪っ! お見舞いに薔薇って」
「……すんません。いや、よく解らねぇんだよ」

 エリオンが小走りに駆けてくる。その後を追うルインの手には、真っ赤な薔薇の花束が握られていた。
 流石のシヨも、自分が売店についていくべきだったと思った。その後悔が僅かに滲む視線に気付いたのか、ルインは相変わらずの眠そうな半目を向けてくる。
 改めて相棒に見詰められて、シヨは照れくさくてはにかんだ。

「こういうのは女が選びゃいいんだよ。それをなんだ、俺等にやらせて」
「うわ、前時代的。シヨ、あんたも気をつけなよ。これからも組んでやってくんでしょ?」
「え、あ、うん」
「さて、それじゃ行こうか」

 エリオンが扉を開けると、白い空間が視界になだれ込んできた。
 閑散とした病室内には、一定のリズムを刻む数々の機械と、そこから伸びるチューブにつながれた一人の少女。彼女はベッドに身を起こして、一人外の景色を見ていた。
 まるで幽霊のような影が、ゆっくりとシヨ達を振り向いた。

「やあエイス、具合はどう? お見舞いに来たよ」

 ルインの花束を受け取り、エリオンがにこやかに少女の名を呼ぶ。彼に続いてシヨ達も、ベッドを取り囲むように歩み寄った。来客が珍しいのか、エイスは大きな瞳をしきりに瞬かせている。

「何しに、来たの?」
「いや、だからお見舞いさ」

 エリオンが薔薇の花束を差し出しても、エイスはそれを虚ろに見詰めるだけで受け取ろうとしない。首を巡らせ一同を見たものの、身動き一つせずに再び外へと視線を逃がす。
 それでもエリオンは嫌な顔一つせず、そっとエイスの膝の上に花束を置いた。

「エイスちゃん。もうすぐ退院できるって先生が。そしたらね――」
「どこの施設? 次は……逆戻りね、鳥篭の生活に」

 エイスはマシンチャイルド、この電脳暦で最も人権の希薄な人造人類。バーチャロイドの操縦にだけ先天的な適正を持たされた、限定戦争を演出する高価なガジェットだった。
 そしてそれは、その生い立ちはエリオンも同じ。

「可愛くない娘ね。ま、無理もないか。ね、そんなに邪険にしないで話聞いてよ」
「俺等はあの事件で戦ったけど、よ。お互いその、何だ……う、上手く言えないけどよ」

 何やら言葉を濁して口ごもるルインに、リーインが呆れて肩を竦める。だが、言いたいことはこの場を訪れた皆が同じだった。
 だから一同を代表して、エリオンが口を開く。

「エイスの身柄は今後、MARZが所有権を獲得したから。それでね」

 驚いたのか、僅かにエイスの瞳が見開かれる。彼女は問うような視線で初めてエリオンを見詰めた。

「ウィスタリア分署のパイロットが、僕を含めて大勢離脱するから。代わりにできれば、シヨさん達を手伝ってくれないかな? 機体はまあ、良くて707系のテムジン。下手すりゃテンパチだけども」

 ウィスタリア分署のバーチャロイド部隊は再編成に伴い縮小される。今まで二小隊制だったのが、半分の一小隊制になるのだ。これはどこの分署も同じ……とある敵、人類共通の脅威との戦いに備えて、MARZという組織自体が大きく変わろうとしていた。
 その尖兵にして切り札たるエリオンは、勿論ウィスタリア分署を去る。残るのはシヨとルインだけだ。

「MARZに? わたしが? ……そうする、命令なら」
「命令じゃないんだよ、エイスちゃん」

 エイスの手を取り、シヨはそのあどけなさが残る顔を覗きこんだ。まだほんの子供だが、高額な予算で遺伝子レベルから調整されて精製された、紛れもないマシンチャイルド。バーチャロイドの最も高価にして最高の生体部品。だが、シヨにとってはただの女の子だ。

「エイスちゃんが望むなら、普通の生活もできるって。隊長、そう言ってた」
「普通の、生活?」
「そう。学校に行って勉強したり、バーチャロイドと無縁な生活も選べるんだよ」
「……それが、わたしの次の演じる役?」
「ううん、エイスちゃんはもう自由だから。自分で好きな道が選べるの。それで……」

 握る手に手を重ねて、シヨはゆっくりと語りかけた。

「もし良ければ、わたし達MARZを助けて欲しいの。でも、これは強制じゃないんだよ」
「まあ、MARZだって組織だからよ。マシンチャイルドがいりゃ運用してぇが……ただの女の子として暮らして貰っても、敵に回らないならそれだけでいいというか。ま、こりゃ大人の都合だけどよ」

 ぼそぼそと呟くルインは、「それよりも」と言葉を区切ると頭をボリボリかいた。

「……嫌じゃなきゃ、あれだ、まあ……俺等と一緒に仕事しようぜ」
「解らない……どうしたらいいの? わたし。言われたことないもの、そんなこと」

 戸惑うエイスは不安げな視線を彷徨わせる。
 シヨは黙ってその瞳に笑顔を放り込むと、安心させるようにエイスの頭を抱いた。

「焦らなくてもいいから、ゆっくり考えてね。大丈夫、もうエイスちゃんは自由なんだから」
「自由? 困る、わたし……選べない、自分でなんて」
「どんな生き方を選ぶかも、新しい生き方を作るかも、これからゆっくり考えればいいの」
「これから……」
「そう、これから。これからの可能性は無限にあるし、MARZのお仕事だってその一つなんだから」
「命令なら、そうする」
「ううん、命令なんかじゃないよ。もう、誰もエイスちゃんを縛らない。だから、自分で決めてね」

 困ったように眉根を寄せて、エイスは「いいの? 本当に」と呟いた。
 その場の全員が大きく頷き肯定する。

「……考えてみる。気が向いたら」

 そう言って三度外の風景に顔を向ける、エイスの肩は小刻みに震えていた。
 糸の切れた操り人形は今、自ら運命の糸を選んで紡ぎ、再び立ち上がろうとしていた。今度は人形ではなく、一人の人間として。この電脳暦を生きる全ての人間に肩を並べて。
 せかさずゆっくり、その背を支えると誓って、シヨは仲間達と暖かくエイスを見守った。

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