新品のヘッドギアをかぶりつつ、愛機の……これから愛機となるテムジン421号機の始動キイを捻るシヨ。起動したVコンバーターに連動して、マインドブースターが余剰出力をコントロールすべく動き出す。  素材の匂いがまだ残るコクピットで深呼吸を一つ。シヨは今、幸せの絶頂だった。  基本的にMARZで運用されるテムジンは、全て地球圏で運用されていた機体の払い下げ。だが、火星圏での治安維持活動用に徹底的にチューニングされ、ミクロン単位で部品の精度を高められたテムジンは、既にもう新品と言って差支えが無かった。 「テムジン421号機、起動……わあ、ドキドキしてきた」  興奮と感動。込み上げる二種類の感情が心の中で二重螺旋を描く。  しかし次の瞬間、シヨは頭上から突き抜けるようなGを感じて息を飲んだ。  ウィスタリア空港行418便の、貨物室を密封していたハッチが解き放たれると同時に。身を横たえていたシヨの乗機は、着陸のアプローチに入ったシャトルから放り出された。咄嗟にバイザーを降ろして視界を乗機にリンクさせるシヨ。  網膜内に飛び込んでくる高度計の数字が真っ赤に染まっていた。 《タチバナ、着陸態勢。安全高度だ、機体の足を信じろ》 「りょ、了解」  隊長であるリタリー特査の声はシヨを落ち着かせた。空中で姿勢を制御すると、空港の片隅に難なく着地するシヨのテムジン421号機。毎日の訓練が彼女に、もっとも最適な行動を取らせた。  その横に、やや乱暴で大袈裟な音を立て僚機テムジン422号機が着陸する。 「わっ、ル、ルイン君、も少し静かに……ルイン君?」  シヨに返事をする代わりに、テムジン422号機はアンテナの目立つ頭部を翻して立ち上がる。 《暴走バーチャロイドはフレッシュ・リフォー直轄部隊の脱走兵、機種は……》 「フレッシュ・リフォーと言えば、やはり同じテムジンですか? 隊長」 《そうだ。フレッシュ・リフォー側では既に、契約の破棄を決定している》 「クビ……かわいそう」 《同情は禁物だ、タチバナ。現在、空港の機能が奴のせいで麻痺しているのだからな》  隊長の声はあくまで優雅だが。状況はそうも言っていられないとシヨには感じられた。  そんな中、傍らで沈黙を守り通していた同僚が口を開く。 《隊長……要は、そいつを……ブチのめせばいいんだよな?》 「え? や、いや、待ってよルイン君。あの、隊長、相手は何か要求とかは」 《地球圏に配置転換の後、オラトリオ・タングラムへの戦線復帰を要求してい……》  隊長の声を咆哮が遮った。  言葉にならない声を叫んで、ルインが己の愛機に鞭を入れた。本来ならバックス担当の707S/Vである、テムジン422号機が地を蹴って飛び出してゆく。  あまりに突然の事に、シヨはしばし絶句。 「ま、待ってよルイン君。まだ相手の機種も解らないし、まずは説得って教本にも……」 《……ブッ潰すっ!》  突然の事態に混乱を深めるシヨ。  全ては教本通りに、というのがシヨの信条である。少なくとも、教本通りにやれば実戦も上手く行くと思っていた。  しかし実際には、暴走バーチャロイドを視認する前にバックスのパートナーが飛び出してしまった。本来ならここは、警告と説得が手順としては先であるにも関わらず。  そもそもシヨは、自分とコンビを組む人間がこんな暴走をする事自体が予想外だった。  どこか存在感の希薄な、覇気に欠ける同い年の同僚……そんな印象が霧散して消え去る。 《やはり駄目か? ……タチバナ、コーニッシュを追え。同時に相手へ武装解除を呼びかけろ》  こんな時でも隊長の声は気品に満ちている。慌てるのは、そんな隊長と暴走を始めたルインの間に立つシヨだけ。彼女はアタフタと愛機を押し出しつつ、教本の内容を頭の中で反芻した。 「え、えと、先ずは警告……ルイン君、わたしが警告するからね」  それは本来、ルインの仕事なのだが。当の本人は今、最大戦速で目標へと突貫している。  居並ぶ輸送機や旅客機の間に、目標の暴走バーチャロイドは居た。その特徴的な頭部と一回り大きなスライプナーから、瞬時にシヨは相手のテムジンが「MBV-707-J/c "TEMJIN 707J/c"」だと断定する。そのフレッシュ・リフォー直轄部隊を示すカラーリングを前に、シヨはインカムを通じて問い掛けた。 「前方の、暴走バーチャロイドに、警告しますっ。ええと……お、おはようございます。じゃなくて。綺麗な機体ですね……ううん、違う。あの、武装を解除して、こちらの指示に従って……」  シヨの説得も虚しく、ルインのテムジン422号機に躍りかかられて。事件の主役は素早く応戦体勢に入った。闇雲に突っ込むルインを避けて急旋回、背後のシヨへと注意を払いつつ距離を取って走り出す。  実戦経験の無いシヨにもその動きは、熟練のパイロットを彷彿とさせた。その相手が無線越しに叫ぶ悲痛な声。 《俺ぁもう嫌だ! こんな戦場まっぴらだ! 今すぐ地球に帰してくれっ!》 「え、あ、んと、どうしてそんなに火星が嫌なんですか? わたし、さっき来たばっかりで……」 《俺はこれでも、地球じゃエースだったんだ! タングラムに接触寸前までいったこともある!》 「そ、それは凄いですね。タングラム……何だっけ、すっごい星占いみたいなもの? だっけ?」  会話の間にルインの獣じみた絶叫が入り混じる。柔と剛、対照的な二機のテムジンが激しくぶつかり火花を散らした。  強引に格闘戦へと持ち込もうとするルインのテムジン422号機はしかし、ただ翻弄されて装甲を削られてゆく。 《それがこの火星じゃどうだ!? 満足に動かないテムジンで、相手は毎日第三世代型の新型!》 「ええと、でもマインドブースターのお陰で707系のスペックは最低限確保されるって」 《最低限もいいとこだ! こんなのは俺のテムジンじゃない! 俺は……地球へ帰るんだぁー!》 「……ええと、でも、その子も頑張ってると思うんですけど……駄目ですか?」  自称"地球圏のエース様"は情けない弱音を吐露しつつも、その名に恥じぬ動きを見せた。無軌道に襲うルインの、遠近織り交ぜた暴力的な攻撃を全て回避しつつ。ただ乗機を立たせて説得するシヨと言葉を交わしながら攻勢に出る。  その間にも、周囲の施設には被害が出始めていた。主にルインの流れ弾で。 「わたしの知る限りでは、火星戦線対応のJ型に刷新されてからの707系は……」 《お前達MARZに何が解るっ! 俺は、あの地獄のっ、レヴァナントマーチを生き抜いたんだ!》 「レ、レブナント? す、すみません、それは初めて聞くお話です……何だろ」 《去年の、悪夢のクリスマスだ! 俺はG型だったコイツで、悪夢の撤退戦を耐え忍んだ!》  レヴァナントマーチ……シヨの知らぬそれは、この火星に刻まれた伝説。  フレッシュ・リフォーは火星戦線の開幕当初、地球圏で最強の看板を掲げていた707系のテムジンを大量に投入した。しかし、マーズクリスタルの影響下で707系は、満足な性能を発揮する事が出来なかった。  それでも、多くの第二世代型同様に、全く動けなければ幸せだったかもしれない。707系テムジンはしかし、マインドブースターを装備している故に……申し訳程度に動けてしまった。  その現実は悲劇を呼んだ。  かくして、後にレヴァナントマーチ――死に損ないの行進曲と呼ばれる悪夢の撤退戦が行われた。  全ては、現存する707系テムジンを一機でも多く撤退させ、火星圏に最適化したJ型へと刷新する為。  そしてフレッシュ・リフォー経営陣の無茶な要求は、火星に一人の英雄を生んだ。 「ええと、その、ごめんなさい……火星の事、まだ何も知らなくて……」 《ああそうだろうよ! お前達は知らない、俺がどんな地獄を見てきたかっ!》  無理矢理鍔迫り合いに持ち込んだルインのテムジン422号機を、巧みな技で受け流す敵機。力押しのルインに対して、まるで猛牛をいなす闘牛士の如きその機体運び。一撃避ける度に、倍する手数を敵機は打ち返す。 《俺はぁ、俺達はぁ! あのエノア=コーニッシュみたいにゃなれねぇんだよ!》  パワーで勝るはずのテムジン422号機が押し返され、返す刀で胴を一突きされて吹き飛び倒れ込む。その反動を利用して、敵機が超信地旋回で反転した。構える巨大なスライプナーが変形して、高出力長距離攻撃の形態を取る。  シヨは自分がロックオンされた瞬間も、相手の言葉を自分の中で反芻していた。テムジン421号機はただ、無防備に立ち尽くしている。  エノア=コーニッシュ……その名前は初めて聞くような、しかしどこか聞き覚えがあるような。 「エノア=コーニッシュ……コーニッシュ? あれ、ルイン君って確か……」 《……俺の前で、その名前を出すんじゃねぇっ!》  ラジカルザッパーの発射態勢に入り、その射程にシヨのテムジン421号機を捉えた敵機。その後頭部を突如、衝撃が襲った。それはルインの、テムジン422号機の放ったパワーボム……の、起爆前の弾体。渇いた音を立てて宙へと跳ね上がったパワーボムが爆発すると同時に、周囲は閃光に包まれた。  眩い光の中、Vコンバーターの唸りをあげてゆらりと立ち上がる影。ルインの駆るテムジン422号機が、雄叫びと共に拳を振りかぶった。MARZの教本には無い野性的な動きが、不幸にも標的となった地球圏のエース様を襲う。 《地獄を見た? 地球に帰りたい? 手前ぇ、クソ兄貴に命っ、拾われた口だろーがよ!》  慌ててスライプナーにブリッツセイバーを起動させようとする敵機。その猶予をしかし、ルインは与えなかった。  有無を言わさず彼は、全力で敵機をブン殴った。左の拳で、体を浴びせるように。  そのまま倒れた相手へ馬乗りになると、容赦なくスライプナーを突き立てる。アンテナ付の頭部が砕け散り、パイロットの悲鳴が広域公共周波数で響いた。それでもルインの暴走は止まらない。 《寝言はぁ、寝て言えぇ! だいたいっ、あのクソ兄貴がっ! そんなに、偉いかよぉ!》  それはもう、一方的な蹂躙だった。シャトルのラウンジで、シヨと一緒にニュースを眺めたルインはそこにはいなかった。スライプナーを手放した両手で相手の右腕を捩り、強引に引っこ抜く。おおよそMARZらしからぬテムジン422号機。  そのパイロットたるルインはもう、シヨには別人に感じられた。あるいは、この姿が本性なのか。  隊長が変わらぬ口調で問い掛けてくるのにも、しばらく気付けないまま。かといって、目の前の惨劇を止める手立てもなく。シヨは呆然と、目標を完膚なきまでに破壊する僚機を見詰めていた。 《バックスに配置すれば少しは、と思ったのだが。タチバナ、カメラは?》 「あっ、はい……ええと」 《……いや、いい。今、リアルタイム画像で確認した。どうやら無駄なようだな》 「す、すみません……わたし、何もできなくて」  こうして、ウィスタリア空港占拠事件は幕を閉じた。  後に"MARZの狂犬"の名を欲しいままにする、ルイン=コーニッシュ三査の初陣。それはこの日のトップニュースとして、WVCで大々的に報じられた。  無論、ウィスタリア分署の署長が、カメラに向けて中指を突き立てるテムジン422号機のニュース映像を見て卒倒したのは言うまでも無い。  赴任と同時にシヨとルインには、始末書の山が待っていた。