《走れシヨ、確保!》  シヨの耳を打つルインの声。再度走れと叫ばれ、彼女は慌ててツインスティックを押し倒した。同時にスロットルを押し込む。既に視界に小さくなった目標を追って、テムジン421号機が身を乗り出して突出した。  一度だけシヨは、肩越しに機体を振り向かせる。揺れるマインドブースターの光の中に、相棒が遠ざかって見えた。僚機テムジン422号機は今、一機のVOX系バーチャロイドを拘束している。不自由な視界をものともせず、スケルトン・ユニット副腕部の逆関節を極めて膝を突かせる。その姿はやがて往来に紛れて見えなくなった。  MARZが介入して鎮圧する事件も、この街の日常風景……周囲はいつも通り、補給を求めるバーチャロイドでごった返していた。 《おし、こっち終わり。逃がすなよ、シヨ。何せ、立派なウィスタリア自治法違反だかんな》 「う、うん」 《前線に合流されたらアウトだ。何せこの火星圏にゃ、箱なんて腐る程いるからな》 「頑張って、みるっ」  目の前で信号機が黄色を点灯させ、その向こうに目標が消えて行く。  シヨは停止する周囲のバーチャロイドを追い越し、信号機が赤く光ると同時に地を蹴った。眼下を左右に流れる、鋼鉄の巨人達を一足飛びに跳び越す。着地の衝撃が軽い震動になって、コクピットのシヨを揺さ振った。  バーチャロイドのコクピットは理論上、外部からの衝撃に影響されない……しかし、パイロットの安全と操縦感覚の保持の為に、その機能を緩めるセッティングは定番となっていた。中には、完全に機能をキャンセルし、激しいGに歯を喰いしばっての戦闘を好む者までいる。  シヨは再びテムジン421号機へとダッシュを命じて、シートにその華奢な身をうずめた。 「前方を逃走中のバーチャロイドに警告します。直ちに機体を停止させてください」  Vコンバーターの出力がレットゾーンに達さぬよう、シヨは加速を調節しながら警告を放った。徐々に距離を詰めて近付く逃走中のVOX系が、曲がり角をターンした瞬間にこちらを向いた。その姿はシヨのテムジン421号機を一瞥すると、真っ直ぐ最短ルートで街の外へと向う。  前線に合流されたらアウト――ルインの言葉が脳裏を過ぎる。無論、機体の登録ナンバーや現場検証で残った足跡、塗料から、特定のバーチャロイドを見つけ出すことは可能だ。しかし、事件を引起したバーチャロイドが、その時まで無事に限定戦争を生き抜いている保障はどこにもない。  MARZの治安維持には、違法行為の即時鎮圧が求められた。 「あの、ユニット・スケルトンが外れかけてます。危ないですよ、停まっ――」  バチン! と電磁接続の解ける音が響いた。同時に、中途半端に装備されていたユニット・スケルトンが強制パージされ、シヨのテムジン421号機を襲う。ボックス・ランチャーが並ぶ外骨格の塊が、何度か地面に弾んで不規則な軌道を描いた。 「もーっ、ポイ捨て禁止です。盗んでおいて捨てるなんて……あ、でも返して貰えるなら」  シヨは狭いコクピットに呟きを零して、愛機へ向って転がってくるスケルトン・ユニットを見据えた。同時に彼女の思惟を拾って、テムジン421号機の左手が伸びる。  教本の通りにイメージを走らせ、鋼の巨躯に己を重ねる。シヨは躊躇うことなく、回避と同時にスケルトン・ユニットに並ぶラックの一つへ手を掛けた。瞬時に上体の重量が激変して、僅かにバランスを崩しながらも、シヨは丁寧に機体を立て直してゆく。整備班こだわりのネコ足も手伝って、テムジン421号機は転倒することなく落し物を受け止めた。  それを一先ずは、停止して道路の脇に置く。 「こちらシヨです、盗られた物は返ってきたけど……」 《あれだ、中途半端にジョイントしたまま逃げてよ。邪魔んなって捨てたんだろ?》 「うん。ルイン君、正解」 《正解、じゃねぇよ。追え、シヨ! 盗った物返しても泥棒は泥棒だろうが》  言われるが早いか、三度駆け出すテムジン421号機。その中心でシヨは、限界まで出力を開放する。戦闘速度に達した彼女の愛機に、行き来する全てのバーチャロイドが道を譲った。  レーダーがギリギリの距離で、街の外へと出た目標をキャッチする。それを追って迷わず、シヨは荒野に躍り出た。たちまちホームタウンの景色が飛び去り……赤く錆びた大地はどこまでも続く。 「警告、は与えたから……威嚇、するっ」  全力運転でのダッシュから急停止、足元に赤い砂塵を巻き上げながら急制動。網膜に直結した愛機のメインカメラに、最大望遠を念じてシヨはスライプナーを構えた。その銃身が割れて伸びると、射撃体勢を取って両手で構える。  射程ギリギリ、その外側へと逃げるシルエットを捉え、シヨは迷わずターボスロットルと同時にトリガーを引いた。一条の光が矢となって伸び、放ったラジカルザッパーが目標のすぐ足元に炸裂する。  次の瞬間にはもう、シヨは距離を詰めていた。 「これ以上の逃走は無駄です。大人しく武装解除してこちらの指示に従ってください」  少し背中の寂しくなってしまったVOX系のバーチャロイドが、停止と同時に振り向く。それはVOX系でも一番軽装な「VOX L-48 "Lee"」だった。VOX系で最も機動性と運動性に優れた――と言えば聞こえはいいが。それはようするに、スケルトン・ユニットを何も装備していないという意味だった。  あるいは、装備させてもらえない事情があるのか。 《武装解除? ぼけぇ、オレに解除する武装があっかよ!》 「と、取りあえずその銃を置いてください。それ、ミーロフですよね」 《あぁ、コイツか……へっ、まあ武装と言えば武装か。唯一の、な》  自嘲するような笑いを滲ませ、シヨの眼前でリーが手から「MLF-GS 106」を手放した。砂煙と共に、巨大な銃が火星の大地に横たわる。  武装解除は完了、次は拘束。 「ええと、機体は接収、パイロットは拘留の後、揃って所属部隊へ引き渡しま――」  シヨが終息を感じて手続きに勤しむ中、事件はまだ終ってはいなかった。そして今、シヨにとって本当の事件は発生した。  眼前のリーが身を屈めた瞬間、素早く前転しながら銃を拾う。咄嗟のことで対応が遅れたシヨは、先手を打たれてうろたえた。回避行動の遅れたテムジン421号機へと、ミーロフ・ガンシステムが火を吹く。光弾が迸り、その何割かを浴びながら……シヨは混乱しながらも愛機を慌てて操った。 《油断したな、MARZのお嬢ちゃんっ! その甘さ、戦場じゃ命取りだぜっ!》 「す、すみません。じゃないっ、抵抗をやめてくださいっ」 《やなこった! こっちだって生き残るのに必死、稼ぐのに死に物狂いよ!》 「だからって、どこの企業とも契約してないのにウィスタリアで補給を受けようなんて」 《補給? 馬鹿言え、オレぁ奪いにいったのよ! 在庫はあんだからよぉ!》 「それじゃ、泥棒と一緒です。いけないことなんですよ……そんなことにっ」  ダメージを負ったが、機体はまだ正常に稼動する。攻撃オプションは何も失われてはいない。即座に現状を把握するなり、シヨは意を決して攻勢に転じた。  初めて、自分から目標を……敵を攻撃する。その機能を無力化して、鎮圧する。  教本通りにパワーボムを放るなり、横っ飛びにシヨは愛機を加速させた。ドーム状の爆炎が広がるなり、バーティカルターンで目標へと突進。クロスレンジを伝えるダブルロックオンの表示と同時に、シヨは迷わずブリッツセイバーを起動した。 「そんなことにっ、その子を使わないでください。かわいそうですっ」 《じゃあ、戦争に……限定戦争になら使っていいのかよ!》  リーには攻撃オプションは一つしか無い。すなわち、主腕(最も、リーには主腕しかない)に握られたミーロフ・ガンシステムのみ。斥候や警備といった任務に特化した、軽装低コストの運用体型には、零距離での格闘戦は殆ど考慮されていなかった。あるにはあるが、使いこなせる者は少ない。  低い唸りを上げて発振されたビームの刃が、リーの装甲を溶かして食い込んでゆく。スライプナーの刀身が鈍い音を立てて裂け目へと食い込み、そのままシヨは大きく振り抜いた。  リーは裂けた胴の傷を手で庇うように膝を突き、そのまま沈黙。 「それは、その……飾って眺めて、それで満足してくれれば、いいんですけど」 《んなこたあるかアホォ! バーチャロイドは兵器だっ、玩具じゃねぇんだ》  それはシヨにも理屈は解る。ただ、シヨは一人のバーチャロイド好きとして、それが犯罪行為に使われる状況を打破すべくMARZに入った。では、犯罪と戦争は何が違うのだろうか? その答を人類は誰もが解りながら、戦争をオープンで公正なものにすることで解答を先延ばしにしてきた。  結果、限定戦争は人類史上類を見ないエンターティメントとして歪な進化を遂げたのだ。  言葉に詰まりながらも、自分の思いを伝えようとシヨは口ごもる。しかし手を伸べ近寄る彼女のテムジン421号機を、相棒の影が遮った。 《言い分は署で聞く。パイロットは速やかに降りて下さい、っと。シヨ、怪我ねぇか?》 「ルイン君……」 《護送車くっから、すぐ。どうだ? 初めての撃破だろ、シヨ……あんま嬉しそうじゃねぇな》 「うん、何か……よくわかんないや」  ルインのテムジン422号機が、完全に機能を停止したリーに近付く。その姿をぼんやりと眺めていたシヨは、ヘッドギアのバイザーを上げて溜息をついた。  初めて、バーチャロイドを自分の手で撃破した。その戦闘データが走る正面モニターには、擱座したリーの姿が映る。今になって込み上げる震えに、シヨは思わず手に手を握る。白い手袋は汗を吸って妙に重たかった。  シミュレーションではなく、本当の実戦。その感触は人間同士の情念が入り混じる、独特の生々しさがあった。その中で己の立ち位置が心許なく、息苦しさに制服の襟元を緩めるシヨ。 《まあ、いいからコクピット開けて。……そっちの会社のほうにも連絡いってっから》 《けっ、アイツ等のことだからこれ幸いと、オレの首を切るに決まってんだ》 《大体、何でスケルトン・ユニットなんか盗むの。しかも契約してないとこから》 《こんな素っ裸の箱で、本社は威力偵察しろってんだぜ? マイザーかっつーの》  モニターに映るリーでは、確かにその任務は少し辛いかもしれない。  元々、VOX系のバーチャロイドはスケルトン・ユニット各種を装備して一人前の性能だから。もとより偵察任務に特化したバリエーションのあるマイザーや、稀少ながらも機動力に定評のあるフェイイェンとは違う……例え自慢の装備を脱いでも、同じ土俵に並べはしない。  シヨは擱座したリーを見詰めて、自分がやったと思い知れば胸が痛んだ。事情がどうあれ、自分がバーチャロイドを破壊した。初めから解っていた未来が、やっと訪れたこの瞬間……シヨは動揺している自分に驚いていた。 《チッ、まぁいい……カツ丼くらいは出るんだろぉな! おいお嬢ちゃん!》  不意に呼びかけられ、ビクリと身を強張らせるシヨ。その揺らいだ心は、乗機を僅かに身じろがせる。 《お嬢ちゃん、アンタ……なんでMARZで戦ってんだ? かわいそうとか抜かしやがって》  その問いに今、即答できるシヨではなかったが。答える義務もないのに彼女は、未だ雑多な思いが混濁する中から掌ですくう。正しい答はまだ、砂となり雫となって指の間から零れ落ちるが。それでも手の中に残った今の答を、シヨは自分に言い聞かせるように呟いた。 「バーチャロイドが、好きだから。バーチャロイドでの悪いこと、防ぎたいから」  失笑にも似た音を響かせ、リーのコクピットハッチが開いた。