「おやっさん、もっとパワー出ませんか? 反応速度と追従性ももう少し」 「無理言うな、ボウズ……411号機はもう限界だ、これ以上は自己崩壊しちまわぁ」 「でも、もう少し……あと少しでいいんです。お願いしますっ!」 「現状でギリギリのギリ、それも超ギリよ。しっかし、ボウズがパワー不足を感じるとはな」  ――あれは、エリオン君の声だ。  忙しく整備員が行き来するハンガーの片隅でシヨは目を覚ました。身を横たえていた自分が不思議で、上体を起こせばブランケットがずり落ちる。  辺りを見渡せば間違いなく、ここはMARZウィスタリア分署のハンガーだ。その証拠に……すぐ目の前に、大破した愛機テムジン421号機が座り込んでいた。物言わぬ相棒はただ、沈黙をもってシヨの目覚めを迎えた。421号機だけではない……普段通り定位置に無傷で待機しているのは、エリオンの411号機だけだった。 「あれ、わたしどうして……夜だ。教えてテムジン……みんなは? 街は……ルイン君は?」  損壊して傷ついた機体は、黙して語らず。胸部は左側から大きく切り裂かれ、よくぞコクピットに達しなかったものだと……守ってくれたんだと、つい思い込んでしまう。左腕も肘から下が無く、何より無数の損傷が折り重なって愛機を蝕んでいた。  その傷一つ一つに触れるように、シヨは記憶の糸を辿って手繰る。  巨大な怨嗟と憎悪の暗黒洞は、まるで宙を漂うブラックホール。ゆっくりと、しかし確実にシヨの駆るテムジン421号機へと迫った。 「回避パターン、全投入……駄目、振り切れない。逃げるから駄目? むしろ、ううん、きっと」  意を決してシヨは愛機を翻す。  目の前まで迫る巨大な暗闇の雲へと、ターンと同時に全速突進した。接触の刹那、ヘッドスライディングの要領で地を滑る。砂塵を巻き上げる愛機の上を、呪音が唸って通過した。  やり過ごせてしまった――即座にイレギュラーなモーションが正常位置を取り戻す。  逃げるだけでは駄目だという想いが、シヨに蛮勇を与えた。遠くに擱坐する相棒のテムジン422号機が視界に映る。仇は、取る。シヨは精一杯の気持ちを心に叫んで、その気迫をM.S.B.S.が拾い上げる。 《ん? ああ、まだいたの……でもっ、キミには興味、ないっ!》  死神の翼が再び虹を纏う。同時に周囲へと無数の燐火が散った。その一つへと飛び込んでしまい、シヨの身を激しい震動が襲う。ダメージに足を止めた時にはもう、死神の鎌が一閃……視界が真っ赤に染まって空を向いた。  テムジン421号機は大の字に転倒し、シヨは仰ぐ夕焼け空に千切れた左腕を見る。 「まだ……お願い、立って。ごめんね、いつもわがままで。今回も……立って、テムジン」  軋み、傾いで、震えながら。主の懇願に応える様に、僅かに上体を起こすテムジン421号機。その視界でトドメを振りかぶるスペシネフを、ニュートラルランチャーの三斉射が地面へ縫い付けた。 《第一小隊、敵性部隊の第一波を撃退! 第二小隊の支援に入ります!》 《リーインは下がって……もうそっちの機体も持たない。ここは、僕がっ!》 《へえ、庇いあうんだ。仲良しだねえ。それより――遅いじゃないっ、エース様ぁ!》  フォローする僚機を離脱させ、エリオンのテムジン411号機が地を蹴る。そのハイチューンのVコンバーターが甲高い咆哮を響かせ、徹底して調整されたマインドブースターから光芒が迸った。  さながら地を駆ける流星のごとき疾さで、唯一無傷のMARZ保有戦力が吼えた。  同時に死神もまた、呪詛にもにた低い唸りで砂上を滑る。モノクロームのフレームに毒々しいピンクの燐光を輝かせると、スペシネフの翼が再び羽ばたいた。 《最初からボクを狙っておいでよね! 組織戦なら仲間を物のように、効率良く……基本だよ?》 《MARZ戦闘教義指導要綱01番、『一致団結』! それがMARZの流儀だっ!》  赤錆びた砂が渦巻く中、二機のバーチャロイドは互いに距離を探り合いながら向き合う。  見ているシヨには、何が起こっているのか解らなかった。何故撃たない? 何故斬り込まない? 互いに小刻みなターンを猛スピードで繰り返しながら、見えない制空権を意識で牽制する。飛び交う言葉だけが、ただシヨに理解できる全てだった。 《いいね、ゾクゾクするっ! フフフ、滾ってきちゃった……困ったな、これ》 《今すぐ武装を解除しないならっ! ……こうだっ》  エリオンがアクションを起こした。その思惟が巡る。テムジン411号機の頭部に光、走る。右手に握ったスライプナーを振りかぶった。すぐ足元へとソードカッター。  苛烈な光波が大地をえぐって、エリオンの機体は砂塵のヴェールに消えた。 《!? ……何を? 上っ!》  スペシネフが手にするアイフリーサーを持ち直すや、空間を縦に両断する。切り裂くイメージを象られた衝撃波が、砂の防壁を軽々と霧散させた。  そこにテムジンの姿はなかったが……もうモノクロームの悪魔は動いていた。隻眼が妖しく光る。 《パイロットが良くても、機体がね。発想は良かったけどっ!》  真っ赤に染まる空から、ブルースライダーでテムジン411号機が急降下してくる。舞い上がる砂と共に急上昇、技の軌道を読ませず急襲……だが、相手のスペシネフにはそれは「見てから追える動作」だった。  ウィスタリア分署で最もハイスペックな411号機でも、例えシヨには見えない動作でも……海賊の隻眼には、全て見えていた。  虚しく天と地の狭間で両者は交差し、双方激しく刃に粒子を飛び散らせる。眩い光を弾かせ擦れ違うなり、着地したテムジンに僅かな隙が発生。  その間隙に死神は忍び寄る。 「エリオンくんっ、後……だ、だめっ」  バイザーを跳ね上げ、コクピット正面のモニターに身を乗り出してシヨは悲鳴をあげる。その思いが通じたのか、首狩りの一撃を辛うじてブリッツセイバーが受け止めた。  無理な体勢で徐々にしかし、テムジン411号機が押されて膝を突く。 《非力だなあ、魔改造でも707系はっ! エース様もこの程度か……んー、ボク萎えちゃったな》 《お、押し返せない。ゲージは? パワーボム、絞っていける。ならっ!》  両手でスライプナーを支える、テムジン411号機の機体が大きく沈んだ。それは手放した左腕が、パワーボムを足元で炸裂させたから。威力を最小限に絞った、暴徒鎮圧用の閃光弾がシヨの、スペシネフの視界を塗り潰す。  苦し紛れに窮地を脱するや、再び距離をとるエリオン。操る機体に目立った損傷は皆無だが……これ以上取るべき戦術もまた尽きた。  虚しく回転するVコンバーターのテンションが僅かに落ちる。 《だから萎えるってば、エース様が往生際悪い……じゃあ、こうするとどうかなー?》 《! ――リーインッ、逃げ……やめろっ、その機体はもう停止しているっ!》 《一致団結、ね……ぬるくない? ボク等みたいに掟……じゃない、軍規で縛るほうが正解だよ》 「リーイン、逃げて。駄目――」  追い縋るテムジン411号機の加速を、やすやすと死神は振り切って。その手に鎌を構えるや、既に戦域を離脱して停止したテムジン412号機に襲い掛かる。  中で既にバイザーを外し、事後処理にあけくれていたリーインが―― 「っと、起きた? お疲れ、はいこれ」  追想に沈むシヨの目の前に、珈琲の缶が差し出された。引き戻された現実に、疲労の色が滲んだ……それでも毅然としたリーインがいた。ぼんやりとその姿をシヨが見上げれば、リーインは手に珈琲を握らせてくる。  その熱さが皮膚を通して浸透し、改めてシヨは生を実感した。自分のも、相手のも。 「今日はゴメン、私のミス……ある意味ね。離脱してから停止したつもりだったんだけど」 「う、ううん。違うよ、違う。リーインは悪くない。悪いのは」  動力を停止していたテムジン412号機は、虹のはばたきで躍りかかった死神の鎌に薙ぎ払われて……辛うじて上体を起こしていたシヨのテムジン421号機へとスッ飛んだ。そしてシヨは、意識を失った。  そう、悪いのは―― 「悪いのは、海賊さんだもの。リーインは悪くな――」 「それは違うわ、シヨ。いい? 戦場ではね……ミスは全て、自分が悪いの」  気丈なリーインの瞳が見開かれて、思わずビクリとシヨは身を正した。戦場と言う言葉に何故か、リーインは特別な感情を練りこんでいた。そう、今日の事件は正しく限定戦争……戦場だった。 「戦場では普通、誰も助けてくれない。頼れるのは自分。覚えておいて、それだけ」  その言葉を刻んだ胸が、しくしくと疼痛を訴えた。黙って小さくシヨが頷くと、リーインは手にしたモバイルからシヨに書類データ一式を転送し、足早に去っていった。  彼女の背中は、凍れる厳しさに強張っていた。  暴走したルインは訓告処分……そしてウィスタリア分署の戦力は壊滅に等しい状況で夜を迎える。  この週に略奪を受けた商社は後日倒産し、そのニュースを知った週にも海賊は襲ってくるのだった。