広いシミュレーションルームに、駆動音が二つ。それが重なり交わって奏でる仮想空間が、モニタリング用の大画面に映し出されていた。シヨはただ、呆然と目を向ける。だが、瞳に映る映像を彼女は、とても見てはいられなかった。 「なんつーか……テンパチって、あんなに動けんだな。俺が乗ったときは、もっとこう」 「おやっさん達もまだ手を入れてないデータだけど、ある意味MARZチューンだしね」  隊長であるリタリーが、忙しい勤務の合間を縫って設けた時間。それを使った、隊員全員とエルベリーデの模擬戦……今、最後の一戦をルインとリーインは、熱心に見詰めていた。  1on1、ウィスタリアRJの某管区を舞台にした90秒一本勝負。 「流石にでも、エリオン相手じゃ無理でしょ、ヴェステン……ええと、エルベリーデさんでも」 「さぁな。まあ、テンパチにタイムアップ負けしてるようじゃ、論外ってとこだろ」 「それはアンタもでしょ、ルイン?」 「すんません……視界がきけば、もう少しな。まだでも、バイザーは下ろせねぇ。それよか」  二人が揃って、自分を振り向く気配をシヨは感じた。それに気付き、慌ててシヨは拡散してゆく意識を掻き集める。また考え込んでしまう……落ち込んでしまう。そんな自分を奮い立たせて、少しでも前に進みたい。這ってでも進み、倒れる時は前のめり。旧暦時代のスポ根物の如く、シヨはぎゅっと両の拳を胸の前に握った。 「お、避ける避ける……足、粘るな。目配りもいいしよ、それに位置取りも上手ぇ」 「うーん、そうなのよね。決定打を叩き込めないまま、ズルズル……っと、エリオンが仕掛ける」  モニターの中に、互いの機動を牽制し合う二機のテムジン。その片方、改修作業がまだ完了していない為、いつもの見慣れたテムジン411号機が大きく動いた。頭部のカメラを保護するバイザーに光が走り、それが尾を引いて流れる。  手近な建物へと身を躍らせ、その屋根を転がりながらスライプナーで弾幕を張る。同時に滑り落ちるや、回避行動に移る相手の側面へと猛然とダッシュ。ハイチューンのVコンバーター特有の、甲高い駆動音が滑るように馳せる。  シヨは「上手いっ!」「詰みだな」という声に挟まれながら、側面をさらすテンパチに自分を重ねた。教本にはどうあっただろう? 自分ならどう避けるだろう? その答が出るより先に、画面上に結果が踊る。 「嘘っ、エリオンの踏み込みをいなしたっ!?」 「攻守逆転、だな。どうする? エースのエリオン」  スライプナーの弾着に、機体を地面に縫い付けられながらも……エルベリーデの駆るテンパチは、身をよじってギリギリでエリオンの斬撃を回避した。慣性を殺して制動をかける、テムジン411号機が背中をさらしてしまう。  旧式のテンパチで、あんなにも繊細且つ慎重な動きができる。シヨは両者が駆る機体のスペックを、数値で正確に把握しているだけに驚いた。それは口を突いて出ようとしたが、次の瞬間にはさらなる驚愕が言葉を失わせる。  右から大きく薙ぎ払いで斬り抜けたテムジン411号機が、相手も見ずに返す刀でスライプナーを翻した。  ビーム同士が接触。閃光、走る。  完全に背を向けたまま、テムジン411号機の右腕だけが、正確にテンパチの切っ先を捉えていた。永遠にも感じる刹那の光が弾け、両機は改めて仕切り直す。 「あっきれた、どーゆーモーションサンプリング入れてるのよ。バッカじゃないの!?」 「いや、あれ多分マニュアルだろ……ダッシュ近接自体もう、あいつは自分でやってんだな」  バーチャロイドの攻撃モーションは、予め設定されている。パイロットはM.S.B.S.を介して、それを呼び出しバーチャロイドを動かすのだが……デフォルトの物は、どのモーションも一長一短。故にバーチャロイドのパイロットは誰もが皆、モーションの改良には熱心で。それは勿論、ルインやリーイン、そしてシヨも同じだった。  しかしエリオンは違う……設定されたモーションデータを使わず、M.S.B.S.で直接バーチャロイドと繋がっているのだ。その動きは、操るエリオンの思惟を拾って、自由自在に変化する。 「エリオン君、凄い……あんなこと、わたしの持ってるモーションじゃ、絶対に無理」 「モーションデータを使うと、どうカスタマイズしても隙は消せねぇからな」 「あらルイン、あんたはでも、暴走してる時はあんなもんじゃないわよ。もうデタラメで」  はあ、と猫背のルインがぽりぽり頬を掻く。彼は今日も、バイザーを下ろして視界をバーチャロイドと直結せず、正面のモニターだけで模擬戦を戦った。シヨは少しだけ、あの暴走モードに入った"MARZの狂犬"ならどうだろう、と考えてみる。しかし、脳裏に思い描くだけで、その周囲をちりちりと舞う黒いもやが、シヨの胸中を冷ややかに焦がした。  そうしている間にも、攻守を入れ替えながら模擬戦は時間を刻んでいく。 「残り十秒切った! 判定は……やっぱり僅差でエリオンッ!」 「あんの馬鹿、逃げ切っときゃいいのによ。見ろよ、やる気満々だ」  身を乗り出すリーインの隣で、面白くなさそうにルインが溜息を一つ。シヨの目にも、残り僅かな時間で完全決着を挑む、テムジン411号機の姿が映った。それはどこか嬉々として楽しんでいるようにも見える。  小刻みにターボショットで距離を取るテンパチへと、テムジン411号機が翔んだ。 「この局面でブルースライダー!? ちょっとエリオ――んもうっ!」 《いきますよ、エルベリーデさん。MARZ戦闘教義指導要綱04番、『鉄拳制裁』!》 「いんや、こりゃエリオンの勝ちだな。あいつ、ホントに教本読んでんのかよ」 《大技に頼りすぎてはいけませんよ、エリオンさん。いくら貴方でも――》  僅かに身を屈めたテンパチの上空を、ギリギリでブルースライダーが擦過する。  その上に、テムジン411号機の姿はなかった。着地地点へとテンパチがCGSを構えた瞬間、側面をVコンバーターの金切り声が襲う。エリオンはブルースライダーを起動させるや、突進するスライプナーからダイブ。同時に全速力で回りこみ、左の拳を振りかぶっていた。  顔面に文字通りの鉄拳を受けて、テンパチが何度もバウンドしながら転がり……シミュレーションの終了を告げるアナウンスが両者の間に流れた。同時に、二基のシミュレーターが解放され、空気の抜ける音にパイロットの声が混じる。 「見事ですね、エリオンさん。残念ですが、貴方に関してわたくしから言うことは何もないでしょう」 「いえ、機体の性能差もありますから。また模擬戦、お願いしますっ! 僕もう、嬉しくて……」  親子程も歳の離れた二人が、仲良くならんで近付いて来る。両者共に涼しい顔で、汗一滴かいていない。これがバーチャロンポジティブに恵まれたパイロットなのだと、シヨは改めて驚き生唾を飲み下した。  エリオンはいつにも増して楽しげで、熱っぽくエルベリーデにあれこれ語りかけている。リーインはもう、階級云々を言うのは諦めたようで。当のエルベリーデ本人がそう望んでいるので、エリオンは遠慮なく懐いてしまっていた。  その事で最近、リーインの機嫌が悪いのが、シヨには不思議でたまらなかった。 「では皆さん、一通りお手合わせをして貰ったのですが。先ず、ルインさん」 「はあ」  改めてターミナル端末の前に全員で集合し、各々に椅子を持ち寄って円を作ると……今回の模擬戦のリザルトがはじまった。そこでのエルベリーデの言葉は、静かで穏やかな声音だったが、容赦がなかった。 「もうお解かりでしょう? そこは貴方のメンタルの問題ですので、わたくしはお任せします」 「……すんません」 「次に、リーインさん。今後は乗機の武装がスライプナーMk5になります。使いこなして下さい」 「はっ! ……あの、他に何かありませんでしたか? こう、私に足りないところとかは」 「あのレヴァナント・マーチを生き抜いただけの事はあります。総じてレベルは高いと感じました」  ただ、と前置きして、エルベリーデはシヨから珈琲を受け取った。そして、他のメンバーにも飲み物が行き渡る間、こと細かにリーインの挙動や操作に見られる改善点を朗々と詠う。 「後はやはり、貴女には貴女の問題が解っていると思います。ルインさんも……焦らずいきましょう」  そう言う声は優しいが、言われる両者は身を硬くした。その姿を見て、いやがおうにも緊張の度合いを強くするシヨ。一人楽しげにヘッドギアを抱き、珈琲を啜っているエリオンが別世界の人間に見えた。 「最後に、シヨさん」 「うぉい、エルベリーデさんや。そろそろ入れちまってもいいか? こっちも忙しくてよ」  来た、とシヨが覚悟を決めた瞬間。不意に部屋の扉が開いて、おやっさんことベンディッツ班長が姿を現した。その背後には、機材を乗せたキャスターと、何人かの整備班。  エルベリーデは立ち上がると、「よろしくお願いいたします」の一言。それであっという間に、シミュレーションルームは騒がしくなった。それも、シヨが使用するシミュレーターを中心に。何事かと驚くシヨは、説明を求めてエルベリーデを振り返った。  彼女は今日、パイロットの中で唯一……エルベリーデのテンパチに撃墜されていた。 「シヨさん、貴女は今まで教本を元に、一人で特訓していましたね?」 「は、はいっ。あの、みんな忙しいし……それにっ、わたし、自分の足で、みんなに、追いつこうと」 「残念ですが、貴女がやっていたのは『既に出来る事の反復』だったのです。お解かりですか?」 「えっ? でも、基本は、大事です……チーフだって、きっと」 「あの人が、基本の出来てない人間を実戦に送り出す筈がありません。シヨさん、自信を持って」  不意にエルベリーデが、シヨの手を握ってきた。温かく白い手は、シヨに母を思い出させた。 「今の貴女に必要なのは、戦う相手と……やはり、教える相手だとわたくしは思うのです」  エルベリーデは穏やかに微笑むと、視線を外す。その見詰める先へと瞳を向けるシヨは、自分のシミュレーターが大改造を受けているのを見た。  彼女専用のシミュレーターは、教習時代と同じ仕様の、複座型に変更されたのだった。