『おとんがな、先月倒れて……逝ってもうたん。せやかて会社は回さなあかんしなあ』  そう言ってトモエ=ハーレントはからからと笑った。  その乾ききった表情が、普段の溌剌さから剥離していて、シヨに強烈な印象を刻んでいた。 『おとんなあ、バーチャロイドに首ったけやねん。言うなればバーチャロイド馬鹿やな』  細められた眼差しが遠くへと吸い込まれてゆく。  横顔を見詰めるシヨは、強い親近感に包まれ、トモエと共に想いを馳せた。今は亡き、有限会社ベルゲパンツァーの先代社長へと。バーチャロイド馬鹿という言葉は、何だか少し羨ましくもある。  自然と頬が緩む。 『そりゃもう、うちもおかんも完全放置で、毎日毎日バーチャロイドの回収回収……アホやろ?』  有限会社ベルゲパンツァーは、小さな小さな回収業者だった。社員数は両手で少し余るくらい。一機の回収用バーチャロイドと、何台かのキャリアーを保有している。その維持もそうだが、数少ない社員を養っていくのは大変だと、ド新米社会人のシヨでも想像できた。  トモエの威勢のよさは、裏を返せば不安からの逃避。  日々、伝票と手形に追い回され、秒単位で利潤追求を貪る市場の濁流に揉まれる。MARZという組織の中にいるシヨに比べるべくもなく、その暮らしは酷く不安定で不確か。ただバーチャロイドが擱坐するのをハイエナの様に待ち、ハイエナ同士で奪い合う。  ――だが、果たして待つだけの日々をハイエナは甘受するだろうか? 「シヨさんはどう思う? ……シヨさん? あのー、えーと、シヨさーん」  追想に意識を飛ばしていたシヨは、現実の時間軸へと思惟を戻す。  今、目の前にエリオンが手をかざして、上下に軽く振っていた。シヨは、ブリーフィングルームのデスクに座り、モバイルを前に硬直していたのだ。焦点が定まり、景色が輪郭と色彩を取り戻す。 「ほえ? あ、ああ、はい。ええと、その」 「シヨさん、疲れてる? 何か今、口から魂抜けてたよ」  慌てて口を押さえれば、エリオンが「冗談ですよ、冗談」と笑う。しかし、彼の背後で対峙する二人は、険悪な空気を練り上げていた。一触即発の雰囲気に、エルベリーデだけが静かに茶をすすっている。  今、MARZウィスタリア分署のバーチャロイド部隊隊員は、ブリーフィングの真っ最中。  勿論、懸案となっているのは多発する辻斬り事件である。 「ルイン、あんたね……大尉が、ノーマン大尉が辻斬りだっての!? 何の根拠があってそんな」 「少なくとも、動機はある。言うなれば自作自演だ。自分で壊して、自分で回収す――」 「それならある意味、この街の回収業者全てが容疑者でしょ! 話になんない」 「じゃあ、何であの会社はいつも、真っ先に現場に駆けつける?」  顔を真っ赤に唾を飛ばしていたリーインが、もそもそと言葉を紡ぐルインの長身に怯んだ。先程から二人は、この事件のまだ見ぬ真犯人を求めて、互いの推論を戦わせている真っ最中。そしてリーインは防戦の一方だった。 「勿論、証拠は押さえる必要があるけどよ。マークする必要、あるんじゃねぇかな」 「ノーマン大尉は辻斬りなんて、そんな卑怯なことはしないわ!」 「戦友の肩を持つのも解るけどよ……ここ数日、事件は続き、捜査は進展してねぇ。ここいらで」 「私情なんて挟んでないわ。ただ、単純に見過ぎてるって言いたいの。三流ドラマじゃあるまいし」  すんません、と気圧されたルインは、ぽつりと零した言葉に自分で頷いた。 「確かに三文小説だな、これじゃ。まあ、そゆのが好きそうな奴が、いるんだよ……この街に」  妙に確信を帯びた呟きに、エリオンが反応した。シヨは、交互に二人を眺め、その間で湯気を吹き上げんばかりに眉を吊り上げてるリーインを見詰める。  死線を共にくぐった、昔の上官との再会がリーインをナイーブにさせていた。 「エリオン、辻斬り事件の動画って、どうだ?」 「ああ、うん。結構UPされてるよ。……ちゃんと、編集されて」 「その、景清? とかいう奴が見えないように、か」 「そう、でもそのシルエットだけは栄えるように映り込んでる」  シヨは目の前のモバイルをネットワークに接続し、すぐさま検索してみた。大手動画サイトで、一番閲覧数の多い動画は、連日の辻斬り事件を取り上げたものだった。  無論、投稿者の名はDirector……今やネットワーク上で祭り上げられて称えられる、謎の観察者にして編集者。現在も刑事課が、血眼で追っている愉快犯の名である。 「兎に角、リーインさん。戦友さんの潔白を証明する為にも、皆で手を尽くしましょう」  再生された動画の中で、電子音声のDJがピエロのように歌う。いまや謎の辻斬りは、確実に存在する都市伝説だった。エルベリーデの声を聞きながらも、シヨは狭い画面を食い入るように睨む。  むー、と唸る先では、黒い影が太刀を振るっていた。十二機ものテムジンが、まるで時代劇の殺陣を見ているように、鮮やかに斬り捨てられてゆく。それがフレッシュ・リフォー直営部隊を狙った事件であることを思い出し、その現場で感じた違和感を確信へと変えて……シヨは椅子を蹴った。 「あっ、あの、犯人なんですけど。ええと、その……わたし、一つだけ、解ったことが」  たちまち全員の視線がシヨに殺到した。取り分けリーインの眼差しが痛い。  眠そうな目でルインが、いいから早くと無言で顎をしゃくる。エルベリーデも、静かにシヨの言葉を待っている。リーインだけがただ、拳を握って身を乗り出し、眉根を寄せてシヨを睨んでいた。横に寄り添うエリオンは、強張るその横顔を見上げている。  緊迫の瞬間を、典雅な声が断ち割った。 「タチバナ三査、報告を。有益な情報であれば、捜査は少しでも進展するだろう」  少しでも確かに……そう付け加えて、シヨのモバイルにMARZのシンボルマークが浮かんだ。どこから入り込んだのか、隊長のリタリーが姿を現したのだ。彼女そのものといってもいい立体映像が、楽器の様に響く声に合わせて明滅している。 「は、はいっ。辻斬りさんは、たぶん、きっと、恐らく……複数犯、です。……だと、思います」  重い沈黙が漂い、一秒が何倍にも引き伸ばされた。それが千切れて弾け、時間が流れはじめるや、皆がシヨへと詰め寄ってくる。あのエルベリーデでさえ、顔色こそ変えないものの、誰よりも前でシヨへと上体を突き出してきた。 「シヨさんは確か、現場の足跡を採取してましたね。それでは、敵性バーチャロイドは――」 「あ、いえ、景清とかいう子、一機種だけです。足跡、全部同じでした」 「では、何故?」 「歩幅とか、あと踏み込む強さとか、微妙に違うんです。2パターン、あるんです」  何度もリプレイされる動画を引っ込め、シヨはわたくたと纏めた資料をモバイルに表示させた。既に十件を超えた辻斬りの被害は、その足跡を起点に解析すれば……綺麗に二つに分類できた。  リタリーがタスクバーに引っ込んだ画面を、少しだけ得意気に仲間達へ向けるシヨ。 「ほぉ……ふうむ。シヨ、お前さん、これは……」 「まあ、ある意味、ねえ」 「シヨさん、えっと……」  お手柄。それも大手柄? 胸が弾んで頬が高揚する。キラキラと星が煌く瞳で、シヨは全員をぐるりと見渡し……手を組み頬をよせるなり、心の中で叫んだ。チーフ、わたしやりました――妄想の中で憧れの人が、キラリと白い歯を零して優しく微笑む。  が、現実は冷静で、何より実際的だった。 「辻斬りは二人いるのか……捜査を根本から見直す必要があるな」 「あーあ、一件目から洗いなおしましょ。とりあえずでも、二人組みなら大尉ってことも」 「それは解りませんよ、リーインさん。先入観は禁物です」 「ま、焦らずいこうよ、リーイン。僕でも、これは直感だけど……大尉さん、かなりの凄腕だよね」  ぱっと見、僕って解っちゃうんだ。そうなの? うん、こう、感じるっていうか。へえ、エースってな便利にできてるんだな。まさか、この子が特別なだけですわ、ルインさん。ちょ、ちょっと、この子って言い方、やめてもらえますか、エルベリーデさん。まあ、これは失礼しました……  シヨを置き去りに、仲間達は慌しく仕事へと戻っていった。  既に「御苦労」と一言残して、タスクバーのリタリーも姿を消している。 「あ、あれ? あ、あのー、これって、大発見じゃ……ね、ねえ、ルイン君」  辻斬り事件は新たな展開を見せ、対応を急かされる隊員達は慌しくブリーフィングルームから出てゆく。シヨは慌てて、相棒の背を引き止めた。 「ああ?」 「あ、あのね」 「! ああ、偉いぞ、よくやった。……こんなもんでいいか?」 「んー、何か違う。そりゃ、褒められたくてやってる訳じゃないけど」  わしわしと頭を撫でられ、一房の紫髪を揺らしながらシヨは唇を尖らせた。これでも、事件の度に現場で這い蹲って、入念な捜査を地道に一人でこなしてきたのだ。その努力の結晶なのだ。しかし反応が余りに薄い……期待する自分が子供と解ってても、面白くない気持ちがシヨにはあった。  そして捜査は進展というよりは、より混迷を深めて未だ続いている。 「まあ、シヨ。お疲れさん。ない胸を張れよ、いい仕事したじゃないか」 「や、やっぱり? ルイン君、そう思う?」 「ふん、二人組みね。まあいい、我に策アリだ。見てろよシヨ……辻斬り釣りのはじまりさ」 「何かあるの? 辻斬りさんを捕まえる手が」  ルインは無表情を僅かに歪めて、不敵に鼻を鳴らすや去っていった。  シヨは無自覚に平らな胸を撫で下ろしながら、その長身を見送った。