食堂のおばちゃんに無理を聞いてもらい、アツアツの夜食を手にシヨは取調室に挑んだ。既に窓からは朝日が差し込み、眠らない街ウィスタリアRJの一日がはじまろうとしていた。 「なんや、ホンマにカツ丼出すんやな。テレビのまんまやないか」 「ウィスアリア分署名物、MARZ丼です。おいしいですよ」  シヨを出迎え席を譲る、刑事課職員達の沈黙が取り調べの進捗状況を物語っていた。小さなテーブルを挟んで、シヨはそっと丼の載るトレイを相手へ進める。辻斬りの片割れだった、トモエ=ハーレントへ。  狭い取調室は、部屋の隅で書記係がタイプを打つ音だけが響く。シヨの登場を合図に、今まで激しく詰め寄っていたであろう男達は、一服とばかりにタバコ片手に出て行った。 「トモエさん、そろそろ話していただけませんか? どうして、こんなことを」  トモエは黙して語らず、ただ憮然と箸に手をつけた。  書記係の溜息に背を押され、シヨは言葉を続ける。 「わたしは、背後関係とかを聞いてるんじゃないんです。その、バーチャロイド、嫌いだって」 「嫌いも嫌い、大っ嫌いや。お巡りさん、さっきも言ったやないか」  もそもそとMARZ丼を食べながら喋る、トモエの声にはもう力はない。擱坐した景清から引きずり出された時も、彼女は促されるままMARZに従った。景清を調べてる整備班の方では、どうやらバーチャロイド自体に、搭乗者の感情を増幅する機能があるとのことだった。  バーチャロイドに飲まれている……エリオンの言葉が今、シヨの脳裏を過ぎる。 「……おとんがな、めっちゃバーチャロイド好きやってん」 「はい」 「この仕事もな、そんなおとんがはじめてん。うちが小さい頃から、仕事ばっかりやったわ」 「それだけじゃ、ないですよね。それだけで、こんな」  トモエが箸を止め、じっとシヨを見る。その目はもう、以前の快活な光を灯してはいなかった。 「おとんが戦場の誤射で死んで、それでも会社は回さなあかんし、社員は食わさなあかん」 「だからって、辻斬りなんかしなくても」 「最初はバカなことやと思った。でもな、憎らしいバーチャロイドをたたっ壊すとな……」  じっと両の手を見ながら、トモエはへらりと薄い笑みを浮かべた。シヨは背筋を這い登る寒気に身を震わせる。 「スッとするねん。あの男の言うた通りやった……自作自演でも、何やえろう気が晴れてん」 「あの、男と、いうのは」 「ちんまいお嬢さんが一緒で、監督とか呼ばれててな。ポンと新型、くれてんで」  それっきり黙って、再びトモエは顔を丼で覆った。  幾度もちらつく敵の名を、確かにシヨは聞いた。  監督。あるいはDirector。それがいまだ姿を見せず、敵意すら向けてこない敵の名だった。しかし悪意は明らかで、ネット上でMARZを煽る一方、さまざまな事件の陰に暗躍している痕跡がある。  シヨはゴクリと喉を鳴らし、同時に背後の書記係がリタリーを呼び出す声を聞く。 「その、監督さんが、景清を。……いけないことだとは」 「そりゃ、解ってん。ただなあ、仕事作らなあかんのも現実やったしな。自転車操業やさかい」 「誰かに相談するとか、他にも道はあったんじゃ」 「そやな、他に道はあったかもしれへん。せやけど、ウチが選ばなかった。それだけやねん」  MARZ丼を平らげると、一息ついてトモエは頭の後に手を組み、ギシリと椅子を軋ませ身を反らす。その表情はたちまち、差し込む朝日の中に見えなくなった。  言葉に詰まり、気持ちが澱むシヨ。ただただ、余りに安易な選択が悲しかった。困ってるトモエに囁き、力を与えて数多の事件を起こさせた、その黒幕が憎いとさえ思った。ウィスタリアを震撼させた辻斬り事件の、その犯人の片割れは……自分と歳もそう違わぬ、一人の少女だったのだ。ただ父親が憎くて、父親が好きだったバーチャロイドが憎くて。何よりそんな父親が残した会社を支えるのに必死だった、そんな一人の少女だった。 「おまわりさん、ハイエナって呼ばれる気持ちは解りまっか?」  小鳥のさえずりを不意に、トモエの一言が遮った。 「あ、いえ。その……MARZの犬、ってのは、よく言われますけど」 「めっちゃ惨めやで。華の限定戦争の、そのおこぼれで毎日食ってく。正にハイエナや」 「でもっ、それも立派なお仕事です。それで助かる子が、バーチャロイドがいるんですっ」 「そやな、仕事やもんな。ハイエナ言われるとこまでが給料分やな」  それっきり会話が途絶えてしまった。シヨは背中で、書記係とリタリーのやりとりを聞きながら、目の前の少女を見詰める。決して眼を合わせようとしない、トモエが口を噤んで椅子を軋ませる。  沈黙を、ドアを開く音と共に破る者が現れた。 「よお。どうだ、シヨ」 「あ、ルイン君」  ルイン=コーニッシュは相変わらず眠そうな半目で、手には珈琲を二つ。その片方をシヨに押し付け、壁に寄りかかるや一方的に喋り出した。まるで今までの会話を、どこかで聞いていたかのよう。 「ハイエナな、シヨは見た事あっか? サバンナに生きる、本物のハイエナ」 「う、ううん。本とかでしか。ルイン君は?」  首を横に振って珈琲を一口すすると、ルインは逃げるように身を遊ばせるトモエを視線の矢で射抜いた。 「本物のハイエナは、自分で狩りをして獲物を食う。死肉漁りをするのは、餓死寸前の時だけだ」 「えっ、そうなの? だってほら、よくテレビだと」 「ハイエナは本来、群でちゃんと狩りをする動物なんだよ」  それがどうとは、ルインは言わなかった。ただ、その言葉がトモエの心に響けばいいと、シヨも熱い珈琲をすする。完全徹夜で睡眠不足の身に、カフェインの苦味が染み渡っていった。 「せやな……その話、されるの二度目やってん」  願いが通じたかのように、トモエが僅かに身を正した。  そこに悔恨の表れを感じて、それだけでシヨは僅かに安堵したが。そこからさらにルインの追求が始まった。聞き取り難い声でぼそぼそと、彼はトモエから真実を引きずり出してゆく。 「一度目が、その、監督とか名乗るふざけた野郎か」 「うんにゃ。ふふ、不器用な奴やってん。うちと似てたんやな、多分」  トモエの瞳に大粒の涙が浮かんだのは、ウィスタリア分署内にけたたましいサイレンの警報が鳴り響くのと同時だった。 《駐機場に侵入中の、黒いバーチャロイド! 機体を停止して下さい! 繰り返します――》 《分署敷地内に緊急事態発生、繰り返す! 緊急事態発生! バーチャロイド各小隊はただちに》  辻斬り事件はまだ終ってはいなかった。  まるでそれを知っていたかのように、ルインが珈琲を飲み干すや、紙コップを握り潰す。 「どれ、仮眠室のエリオンを叩き起こしてくるか」 「ル、ルイン君!?」 「取調べ、ずっと別室でモニターしてた。トモエ嬢の供述から俺ぁ、共犯者がいるってね」 「それじゃ、もう一人の辻斬りさんは」 「そういうこった。先に出る、お前さんは……今日は、もういい。ここにいな」  ポン、とシヨの頭を掌で軽く叩いて、一房伸びる紫髪をいらうと、ルインは足早に取調室を出て行った。扉が開け放たれたままの廊下からは、忙しく動き出した職員達の声が幾重にも折り重なる。 「生き方は選べないんや。うちら、似た者同士やったんやな」  力なく笑うトモエの手を、気付けばシヨは引っ張り立ち上がらせて。そのまま引きずるように連れて、取調室を飛び出す。書記係の声が、はるか後方へと遠ざかった。