組織というものは、電脳暦に突入した今でも、旧態依然とした手続きにこだわる。  エリオン=オーフィル、ホァン=リーイン、両三査の異動は、掲示板へ告知用紙の張り出しという形で公表された。今、シヨが息せき切ってハンガーへと走るのは、それを実際目にしたから。 「いたっ、エリオン君っ。お、おーいっ、エーリオーンくーん」  カンカンと音を立てて、タラップを駆け上がる。シヨの目指す人物は、ハンガー内で修理を終えたばかりの、テムジン411号機コクピット前に立っていた。なにやら濡れた視線で愛機を見上げ、そっと手を伸べ装甲をなでている。  物憂げな表情もつかの間、エリオンは呼びかけに気付いて振り向くと、にこりといつもの笑みを浮かべた。 「どうしたんですか、シヨさん。そんなに慌てて」 「シミュレーションルームにいないから。修理終わったって、おやっさん言ってたし」 「うん、リーインには悪いけど、こっち優先させて貰ったんだ。でも、無駄になっちゃった」  細かな調整を残すのみの、テムジン411号機。その背後では、いまだ残骸として佇む、テムジン412号機の姿があった。無傷のスライプナーMk5だけが、チェーンで傍らに吊り下げられている。 「無駄?」 「うん。……連れてけないんだ。次の任務に」 「えっ、じゃあ、この子。でも、エリオン君じゃないと動かせないよ?」 「アチコチいじり過ぎたからね。でも、いや、だから……こいつは、僕の体も同じなんだ」  コツンと眼前のテムジンを軽く小突いて、次いでエリオンは額を寄せる。さらさらとカーボンファイバーのような銀髪が揺れた。  蒼翼の守護者はただ、無言で主を見下ろしている。 「こいつは多分、MARZの技研かどこかで、データ収集用に使われると思う」 「そっかー。でもっ、今までうーんと働いたから、少し羽根休めできるといいね」 「うん」  テムジン411号機……テムジン707S+。ウィスタリア分署のエースが駆る蒼翼の守護者として、数限りない激戦を戦い抜いてきた。幾度もWVCのトップニュースを飾り、暴走バーチャロイドや海賊、酔っ払いなど、さまざまな脅威から街を守ってきた。  それも、今日この日まで。  シヨはエリオンに並んで、そのマーズブルーに触れる。そっと呟く「お疲れ様」の一言に、隣で小さく頷く気配が続いた。 「エリオン君っ、次はどこに赴任するの? リーインが凄く、気にしてたよ?」 「さあ、どこだろう。でも多分、バーチャロイドのある場所、それも激戦区じゃないかな」  そう言うエリオンの顔には、無邪気な笑みが自然と浮かぶ。それがシヨには薄ら寒くすら感じた。エリオンが今、戦いを求めているように思えたのだ。  しかし、それも一瞬のことで、エリオンはいつもの表情を取り戻す。そうして身をクルリと入れ替えるや、愛機によりかかって頭の上で手を組んだ。 「僕はマシンチャイルドだから、所属する組織に、MARZには逆らえないんだ。行けといわれればどこでも行くし……それがバーチャロイドの生きる場所なら、望んで飛び込んでゆく。僕は、そういう生き物なんだ」  自分を語るエリオンを、シヨは初めて目の当たりにする。ルインとはまた別次元で、彼は泰然とつかみどころがなく、どこか雲のように飄々としていたから。そう、接していたから。 「こいつ等が、バーチャロイドがいる場所が、僕の居場所さ。だから……」 「だ、だから?」 「僕はまた、新しい相棒に出会うだろうし、こいつは、多分――」 「しっ、幸せになるよ。この子っ、寂しくて泣くかもしれないけど。ちゃんと、MARZのみんなが、役立ててくれるから。エリオン君以外乗りこなせなくたって、きっと、絶対っ」 「……うん。そうだといいよね。そう、してもらうよう、取り計らうよ」  微笑むエリオンの顔が、一瞬だけ真剣みを帯びる。彼はまっすぐシヨの瞳を覗き込むと、僅かに語気を強めた。気付けば吸い寄せられるように、シヨも向き直る。 「シヨさん、こいつ等は、バーチャロイドは僕にとって、兄弟みたいなものなんだ」 「うんっ」 「だから、僕には解る……シヨさんは、いつもバーチャロイドのこと、気にかけてくれるって」 「それは、その、わたし、へたっぴだし……みんな、やさしい、いい子だから」 「覚えてて欲しいんだ、シヨさん。こいつ等はみんな、シヨさんの想いを忘れないって」 「エリオン君……」 「こいつが僕を忘れないように、シヨさんのテムジンも。だから、信じて」  再度、エリオンは熱っぽく呟いた。信じて、と。それはシヨへ、もっと踏み込んでこいと誘う。M.S.B.S.を介して一体となる、もう一つのわが身……愛機の、更なる高みへと。 「しん、じる?」 「うん。こいつ等はみんな、シヨさんの気持ちで満ちてるから。もっと、頼れるよ」 「……うん。でも、わたし」 「シヨ・タチバナ三査、MARZ戦闘教義指導要綱05番!」 「え、あ、ええと、たしか……『一意専心』、だっけ、か」 「そう、それそれ。シヨさんが望めば、自分が思ってるよりずっと、こいつ等と一つになれる」  例え、生まれ持ったバーチャロン・ポジティブがなくとも。エリオンは微塵の迷いもなく、そういい切れる。なぜならば―― 「僕もまた、こいつ等と同じだから。だから、解る」 「エリオン君……」 「さーてっ、お別れだ! サンキュ、相棒っ! 過敏にいじくりまわしてゴメンな」  ポンと最後に愛機を叩くと、エリオンは軽快な足取りでタラップを降りだした。  心なしか、その小さな背を見送る視線を感じる。シヨの、その背後に、頭上に。振り返って見上げてから、シヨもエリオンの後に続いた。テムジン411号機は今、無言で主人に別れを告げた。 「あ。いたいたっ! エリオンッ、あなたちゃんと準備できてるの? 明日にも異動なんだから」 「わっ、イ、イーリン……い、いつからいたの?」 「ずーっと見てたわよ。それより、ほらっ! ロッカーの私物とか、オフィスのデスクも片付ける!」 「は、はーい」  待ち受けていたかのようなリーインに、たちまちエリオンはつかまった。そのまま二人は、仲のよい姉弟のように、オフィスの方へと消えてゆく。見送るシヨに、エリオンの首根っこを捕まえたまま、リーインが振り返った。 「シヨ、さよならは言わないわよ?」 「う、うんっ。リーインも、身体をいたわってね。無茶、駄目だよ」 「テストパイロットもいいかなってね。大丈夫よ」 「リファレンス・ポイントに出向、なんだよね」 「ふふ、何か面白いバーチャロイド見たら、データ送ったげる。だからシヨも」 「うんっ、電話するよ。エリオン君も。離れてても、わたし達、仲間だもの」  ふと、足を止めたリーインが振り返った。身を正すや、エリオンを手放す。エリオンも襟元をなおすと、リーインの隣で踵を鳴らして合わせた。  笑顔で敬礼する二人に、シヨもまた敬礼を返す。 「ま、心残りは412号機よね……ある意味」 「ごめん、リーイン。僕なんだ、おやっさんに」 「ふふ、大丈夫だよ、リーイン。わたしに、わたし達に任せて。安心して、行ってきて」  三者は三様に、表情を和らげ、声を上げて笑った。  一時の別れは、すぐそばまで確実に忍び寄っていた。