晴天。蒼一色の空へ、長い尾を引いて飛行機雲が昇ってゆく。  それを見上げるシヨは、コクピットのハッチに寄りかかりながら、瞳を手でかばった。 「ねえルイン君。あのシャトルかな、エリオン君やリーインが乗ってるの」 《さあ、な。……見送り、行きたかったんじゃねぇのか? こんな仕事、俺一人でも別に》 「こんな、も、そんな、もないよ。仕事は仕事だもんっ。それに……わたし、得意だし」 《そっか》  足元で待機する現場指揮車で、相棒が小さく笑った。その声を通信越しに聞いて、シヨも頬を緩める。そうして、ヘッドギアのベルトを締めなおすと、彼女は開け放たれたコクピットへ滑り込んだ。  炎天下の往来、その中央に立って、テムジン421号機が再起動に震える。  同時に、広域公共周波数へと、シヨは定型文で呼びかけた。 「この通りは駐機禁止区域です。駐機中のバーチャロイドは、速やかに移動してくださいっ」  ずらり路肩に並ぶは、所属部隊を問わぬさまざまなバーチャロイド。どれもがその身を、窮屈そうに道の脇に寄せ、片膝を突いて並んでいる。ある機体は、足元で主人達の井戸端会議を聞き、またある機体は、主人の帰りを待って沈黙する。  しかし、そのどれもが駐機違反として、MARZの取り締まり対象だった。  何機かが慌しくVコンバーターを始動させると、そそくさと立ち上がる。それでも、大半がそのまま居座り続けた。通りの突き当たりに点滅する、駐機禁止の光学標識が虚しく光っていた。 《違法駐機天国だな、こりゃ。よし、やったれシヨ》 「うんっ」  言うが早いか、シヨは隣で佇む一機のダンへと、愛機の手を伸べる。接触の軽い振動を感じると同時に、彼女はコクピット内の光学キーボードを取り出した。ヘッドギアのバイザーをあげるや、前面のモニターに走る文字列を追う。ダンへの回線が繋がると、彼女は素早くキーボードを奏でた。 「はいっ、一機目終了。次いこっ、ルイン君」 《おーおー、お見事。つーか、やっぱりこゆのは得意なのな》  僅か数秒で、後方へと見送るダンへ、駐機禁止違反の信号を打ち込んだ。パイロットが戻り、機体を始動させた瞬間、コクピット内は罰金を催促する警告で満ちるだろう。  この手の作業に関しては、珍しくシヨには絶対の自信があった。  次はテムジン、その次はアファームド……片っ端から検挙し、違反者の烙印を電子的に刻んでゆく。 「次は……あれ? この機体って」 《どした、シヨ。あー、こりゃ、あれだな》  二十機ほど検挙し、何度か背後でパイロットの悲鳴を聞いたところで、シヨは作業の手を止めた。今、テムジン421号機が手を置くのは、真っ赤に塗られた厳つい巨躯。この東部戦線随一のエースを示す、『砂の勲』に塗られた戦功表彰機のライデンだった。  このウィスタリアで、このカラーリングのライデンを駆る者は一人しかいない。  その前に屈む、フレッシュ・リフォー監修カラーのマイザー・ガンマを見つけると、シヨは自然と足元に、顔見知りの二人を探した。同じことを考えているらしく、現場指揮車から降りたルインが、ぐるりと周囲を見渡す。 《これ、リーネ中尉のだよなあ》 「その奥は、マビーナさんのだ」  ここの通りは片面にずらりと倉庫が並び、ひっきりなしに補給を受けるバーチャロイドが出入りしている。しかし、その向かいに面する町並みは、乗機が補給中のパイロットを狙った、飲食店や書籍雑貨、床屋やサウナが軒を連ねていた。 《帰ってくる気配、ねぇな……あの二人、どこで何してんだか》 「うーん、よしっ。ルイン君、切符切るね」 《お、やっちまうのか? まあ、いいけどよ》 「うん。だって、これも立派なお仕事だし、これは立派なウィスタリア道交法違反だもん」  深呼吸を一つして、目を見開くと。シヨは気を取り直して毅然とキーボードを叩いた。  後はエンターを押下するだけ、そっと人差し指を置く。 《お前、結構変わったなあ》 「そう?」 《前みたいに、もっとこう、のろくさすると思った》 「ん、わたしもそう思う。でもね、できることからしっかり、片付けてかないとね」  そう言うと同時に、信号発信。続いて間髪入れずに、次のマイザーにも切符を切ってゆく。たとえアダックス直営部隊のエースや、フレッシュ・リフォー東部戦線広報課のウォーライターでも、容赦は微塵もしない。顔見知りだから、ちょっとは悪いと思ったが、迷わずシヨは二機のバーチャロイドを駐機違反に指定した。  その作業が終った瞬間、足元でルインの無線が聞き慣れた声を拾った。 《ちょいと、アンタがぼやぼやしてるから、切符を切られちまったじゃないのさ》 《おやおや、これはこれは……参りましたね。私達としたことが》  リーネ=リーネ中尉の声がよく通る。その後から、いつもの落ち着いたマビーナ・トルケの声が続く。二人はしかし、不平不満や抗議を口にすることはなかった。ただ、シヨの耳に《すんません》という、相棒の要領を得ない声が響いた。 「リーネさん。マビーナさんも。こんなところで何やってたんですか?」  ハッチを空けるや身を乗り出し、はるか下で見上げる二人へとシヨは声をかけた。表情を崩さずにこやかなマビーナと、僅かに頬を赤らめ顔を背けるリーネ。  それで何かを察したように、ルインが小さな溜息を零した。  だが、シヨには、その色めいた空気を読み取ることができなかった。コクピットから這い出て下を覗き込みながら、まるで職務質問のように追及を続ける。 「ここ、駐機禁止なんですよ。駄目です、エースさんがこんなことしちゃ」 「わ、解ってるさね。その……まあ、ちょっと、野暮用だよ」 「おや、私はそんなに野暮でしたか? つれないですね、リーネ=リーネ」  何やら急に、リーネがマビーナを口撃しはじめた。よくシヨには聞き取れないが、両の掌を盾に身をのけぞらせながら、マビーナは詰め寄るリーネをなだめている。  少しウィスタリア道交法の意義でも語ろうと思っていたのに、シヨには事態が飲み込めない。見かねた相棒が、そっとレシーバーのマイクに唇を寄せた。 《シヨ、この通りはあっち側が、各企業の補給庫になってるだろ?》 「うん。バーチャロイドの出入りも激しいし、だから駐機禁止区域なんだよね」 《まあ、そうだけどよ。んで、そっち側には、補給中のパイロットが暇を潰す店が、並んでるわな》 「そだね」 《お茶を飲んだり、一っ風呂浴びたり、本を買ったり……まあ、休憩できる訳よ》 「うん」 《あの二人も、だから、その、休憩してたんだよ。そういう店があるんだよ》 「え? 何で? だって、補給受けてた訳じゃないんだよね。駐機違反だもん」 《……察しろよ。お前は小学生か……いや、すんません、俺が悪かった》 「? 休憩なら、普通にサヴィル・ロウとかに行けばいいのに」  シヨが首をかしげている間に、リーネとマビーナのやり取りは終ったようだ。何やら二、三、釘を刺すように人差し指を突きつけた後、リーネは自分の機体へと帰ってゆく。勿論、始動させた瞬間、罰金請求のメッセージを彼女は聞く筈だ。 「やれやれ、意外に可愛いところがある。っと、そうだお嬢ちゃん」 「はい? 何でしょう、マビーナさん」  赤いパイロットスーツの背中を見送りながら、マビーナが口に両手を添えて、シヨに呼びかけてきた。何やら話があるらしく、シヨは降機用のケーブルに足を引っ掛ける。 「最近、景気はどう? ウィスタリア・ガードナーがでしゃばってるみたいだけど」 「えっと、ぼちぼちですっ。わたし達の仕事に、変わりはありませんから」 「はは、お嬢ちゃんらしいや。ま、腐らずやることだね。そうそう――」  以前大暴れした、三機目の景清が見つかった。  シヨがアスファルトに舞い降りた時、確かにマビーナはそう言った。瞬間、隣でぼんやり話を聞いていた、ルインの目が見開かれる。それも一瞬のことで、彼はいつもの半目をじとりとマビーナに向け、「どこで?」とぼそぼそ呟いた。 「サッチェル・マウスのウィスタリア支社に、送り主不明で返却されてきたんだ。これ、秘密ね」 「いっ、いいんですか? そんな秘密、わたし達に話しちゃって。マビーナさん、記事に」 「記事にはしないさ。代わりに、仕事道具のメンテ料が、当分タダってことで手を打った訳」  くい、とマビーナは親指で、自分のマイザーを指差す。抜け目のないことだと、関心を通り越してシヨは呆れてしまった。が、それより興味を強くひかれるのは―― 「なっ、何か犯人の手掛かりは、残ってなかったですか? パーソナルデータとかは」 「そう、それさ。例のDirectorとかいう、ふざけた愉快犯からの伝言が残ってたよ」  そう言ってマビーナは、モバイルを取り出し操作するや、シヨへと向けた。  勢いに乗った楷書体で、『第一部・完』の文字。  ただ、画面にはそれだけ大きく映っている。 「何ですか、これ……」 「さあ、何だと思う?」  ぽかんとするシヨの隣で、ルインが腕組み考え込み始めた。謎掛けを投じたマビーナもまた、そんなルインに期待のまなざしを注ぎつつ、楽しげに肩をすくめて見せる。  三人はただ、起動と同時に通りへ歩く、赤いライデンの影に飲み込まれた。