エリオン・オーフィルには、休暇という物の使い方がよく解っていない。  否、その表現は正しくない……余暇を楽しむ趣味の類が、彼にはないのだ。したがって、特殊任務を待つ今、彼はつかの間の平和を持て余していた。 「それで、こんな場所に誘われたって訳か」 「ええ、コーニッシュ少佐。って、また。すみません」 「そう、また。エノアでいいって。ま、好きにして貰うさ……彼女も喜んでる」 「はい、エノアさん」  エノア・コーニッシュの邸宅で歓待を受けつつも、出かけたい場所もこれといってなく。ただ、遠い姉が見せてくれるというので、エリオンはフレッシュ・リフォーの衛星軌道上支社を訪れていた。  リファレンス・ポイント所有の工房艦であるにも関わらず、オビーディエンス・オーダーの一等地にその社屋は広がっている。その規模が、無言で企業国家間の力関係を物語っていた。 「確かこの艦には、リーインの新しい赴任先があった筈だな」 「エリオンさん、こっちですっ! こっち! ほら、早くっ」  不意にエリオンは、手を握られ引っ張られる。同じマシンチャイルドのT.T.は、その見た目より何倍も幼く、ともすればロット番号的には後のエリオンよりも、年下に感じるくらいだ。背中でエノアの柔らかな苦笑を聞きつつ、エリオンは連れられるままに歩く。T.T.はずんずんと、まるで我が家のように、天井の高いロビーを歩いてゆく。  この、和装を着こなす妙齢の麗人には、エリオンは不思議な点が二つあった。  一つは、その容姿とは裏腹に、無邪気で無垢な心象である。自分達マシンチャイルドは、相応にして一般的な人間より、バーチャロンポジティブに優れる反面……どこか、欠落や欠如を抱えているものだが。例えば、エリオン自身が生活力や日常への興味を持てないでいるように。T.T.の童女のようなあどけなさも、それだと言えば、一応納得はできる。  納得できないのはもう一つ―― 「? どうしたんですか、エリオンさん。ええと、エレベーターは……あっ、あっちですっ」 「T.T.、あまりエリオン君をせかしちゃ悪いよ。君の大事な相棒は、逃げはしないさ」  エレベーターを待つ間、追いついたエノアが笑っている。 「早くエリオンさんを、あの子に会わせてあげたいんですっ」 「その、どんな機体なんですか? T.T.さんの相棒……あ、パイロットだったんですか」  口に出してみて、エリオンは自分の言葉の安直さに閉口した。  この世に、パイロットではないマシンチャイルドなど、恐らく存在しないだろう。自分がそうであるように、T.T.もまた、バーチャロイドを操縦する為、人為的に作られた人間なのだから。  だから、だからこそ、納得できないことがもう一つ。  エリオンはまだ、一度もT.T.に、バーチャロンで勝ったことがなかった。自由な時間など、どこにいてもエリオンのやることは変わらなかったが、その相手を買って出たT.T.は、一度もエリオンの勝利を許しはしなかったのだ。  チン! とエレベーターの到着をつげるベルが鳴った。 「来ましたよ、エリオンさんっ! 早く早くっ、乗り遅れちゃいますっ」 「ハハ、T.T.は相変わらずだなあ。……うかない顔だね、エリオン君」 「え? あ、いやあ、そういう訳では」  何やら訳知り顔のエノアに促され、エリオンはエレベータで足踏みするT.T.に続く。三人を乗せたエレベーターは、地下へと静かに下りていった。 「当ててみせようか、エリオン君。どうしてT.T.に勝てないか、って考えてないかな?」 「なっ……少佐っ、じゃない、エノアさん。どうしてそれを」 「毎日リビングで対戦三昧だったからね、君達。やっぱりバーチャロイドが恋しいものかい?」 「まあ、そうですね。その為に僕等は作られてますから。でも、どうして――」  不思議そうな顔で、T.T.が覗き込んでくる。その満面の笑みに応えながらも、エリオンはエノアの言葉を待った。しかし、フレッシュ・リフォーの少佐殿は、意味深に微笑むだけ。  T.T.もそうだが、エノアもまた掴み所のない人物だった。流石は、あのレヴァナントマーチを支えた部隊指揮官だけはあるのかもしれない。奇妙な安心感と、底知れぬ複雑さの同居に、少し戸惑う。  思えば、何故自分の休養が、この二人に託されたのかも、エリオンには謎だった。 「T.T.、エリオン君は、どうして君に対戦で勝てないか、不思議らしいよ」 「あっ、バーチャロンですか? うーん、ええっと、それはですね……」  T.T.は腕組みその場で天井を睨んで、眉根を寄せて考え込んでしまった。  その時、エレベーターの動きが止まって、目の前の視界が開かれる。そこはバーチャロイドの保管庫らしく、すぐに多種多様なタイプのテムジンが見えた。どれも試験機や実験機らしく、そのいくつかには作業員が何人か取り付いている。 「さっ、エリオンさんっ! こっちです、こっち! いきましょうっ」  ふと考えるのを忘れたかのように、エリオンの腕を抱えてT.T.は走り出す。彼女に引きずられるエリオンは、一機のテムジンの前へと押し出された。 「エリオンさん、この子がわたしの相棒なんです。ねえ、あなた! この子、エリオンさんです!」  あなた……親しみが篭る、その声音。  T.T.はエリオンの背後から、両肩に手を置きテムジンへと話しかけている。見上げるエリオンは、それが747Hであることはすぐに解ったが、どこか違和感をも感じた。細部が微妙に異なるし、白無垢の機体には、あちこちに実験結果をメモした走り書きがある。何より各所の"ex"のマーキングが、実験機だと無言で語っていた。 「あなた、また寂しがってるの? まあ、それは困ったわね……わたしも、出してあげたいけど」 「あの、T.T.さん?」 「あっ、ごめんなさい。でも、この子喜んでる。ね、あなた嬉しいでしょ? エリオン君と会えて」  擬似人格のAIを搭載したバーチャロイドには見えない。ただ、黙って立っているようにしか、エリオンには感じられない。しかし、その背後で声を弾ませるT.T.は、嬉々として語りかけていた。  困っているエリオンに、笑いながらエノアが助け舟を出してくれる。 「T.T.はバーチャロイドと話せるのさ。まあ、それが勝敗を分かつ要因じゃないけど」 「バーチャロイドと、話せる?」  そういうふうに接する同僚を、エリオンはMARZで一人知っている。しかし、実際に話してしまう人間には、ただただ驚くばかりだ。勿論、自分達がバーチャロイドにより近い、マシンチャイルドだとしても。  しかし現に、T.T.は嬉しそうに声色を彩りながら、エリオンから離れると、目の前のテムジンに手で触れ、頬を寄せている。その足元に身を預けて、彼女はご満悦の様子で振り返った。  その姿に肩を竦めながらも、エノアは静かに語る。 「エリオン君、君はMARZのエースだけど……彼女もまた、エースと呼ばれた人間なのさ」 「この、テムジンで?」 「そう。彼女が僕を、僕達の部隊を救った。あの撤退戦の、勝利の女神がT.T.って訳だ」 「えっ、じゃあ、レヴァナントマーチの――」 「広報のウォーライター、何と言ったかな? 君は読まなかったかい?」 「マビーナさんの……じゃあ、添削された部分にある、新型のテムジンって」  改めて、目の前の白亜の機体を見上げる。その足元で微笑む姉も。  マビーナ・トルケが記した、レヴァナントマーチ……いわゆる、テムジン敗走録。その中に確かに、大幅に削られぼかされているが、しんがりに投入された新型テムジンの噂があった。それが今、目の前にある機体だとエノアは言う。 「名前のない魔女……アダックスにそう呼ばれて恐れられた、747型の先行試作機」 「じゃ、じゃあこれが、あのリーネさんのライデンを擱座させたっていう」 「うん。僕は見てたよ。このハリボテのモックアップみたいなテムジンが、鮮やかに戦う瞬間を」  エノアは言葉を続ける。外見こそ747Hに準じているが、右肩のロケットランチャーは重量計算の為のダミー、携行武装のクラウドスラップMk1も、片方がダミー。ホールドアーマーもダミー……ダミー、ダミー、ダミー。全て製品版へ向けてデータを取る為だけの、ただそれだけの機体だと。 「勘違いしないで欲しい、エリオン君。君の資質は、彼女と全く変わらないと僕は思う」 「僕の……資質」 「そう、エースの資質だ。それが何なのか……それは、この休暇の宿題といったとこかな」  プラジナー閣下も難題を、と笑って、エノアはT.T.へ……名前のない魔女へと歩み寄る。共に死線を越えた二人は今、並んでエリオンの前で笑っていた。そうして、その輪に加わるよう、エリオンを呼ぶ。  エースの資質……それを己に問うエリオンは、やすらかな空間に一人、重い疑問を抱え黙った。