その日は、朝からどのチャンネルも、あるニュースで持ちきりだった。とりわけ、WVCの特番は、繰り返し衝撃の映像を垂れ流している。  しかし、シヨが訃報を知ったのは、今彼女を走らせている人物ではなかった。  この東部戦線の何処のチャンネルよりも早く、その動画はネット上にUPされていた。 「マビーナさんっ」  シヨは職務中にも関わらず、相棒を振り切ることに成功して、サヴィルロウにたどり着いた。そうして、まだ客の一人しかいない、朝っぱらのバーへと顔を出す。相変わらずジェラルミン色の髪のバーテンダーが、無愛想な顔でシヨを出迎えた。  ただ一人の客、マビーナ・トルケは、カウンターで既に待っていた。 「やあ、お嬢ちゃん……」 「あのっ、ネット見ました。今、どこのチャンネルも事件のニュースで――」 「っと、そこの席は空けてくれないか。……そこは、彼女の席だ」  駆け寄り、しがみつく様に隣に座ろうとしたシヨは、やんわりとか細い声に遮られる。相変わらず男とも女とも知れぬマビーナの声はしかし、かなりの酩酊状態に見えて、よく通った。  彼の隣の席には、既に氷の溶けきったグラスが、琥珀色のアルコールを満たしていた。  ただならぬ気配のマビーナに、シヨは黙って席を一つ空け、その隣へと腰を下ろす。 「あの……」 「うん、ニュースは真実だよ。何より、私がじかに見てたからね……ウォーライターとして」 「じゃ、じゃあ、やっぱり」 「そうさ。紅蓮の魔女、朱色の魔女は……死んだのさ」  何杯目かも知れぬグラスを煽り、一息にマビーナは飲んで、口元を手の甲で拭う。 「私は見ていた、全て、最初から最後まで。彼女が、いかに奮戦し、善戦し、そして……」  アダックス直営部隊所属の出向指揮官、S.H.B.V.D.の最精鋭バーチャロイドパイロット……リーネ・リーネ中尉。否、二階級特進して、現在は少佐。彼女は今日の明け方、戦死した。そのニュースは朝から、ひっきりなしにメディアを騒がせている。東部戦線きってのエース、まさかの戦死。このセンセーショナルな話題は、シヨには人事には思えなかった。  何より、その一報をもたらしたのが、MARZとは浅からぬ因縁を持つ相手だったから。 「私が記事にするより早く、連中はネット上に動画をUPした……見たかい?」 「は、はい……わたしも、それで知って。あ、あの……」  マビーナは黙って、自分のモバイルを指で弾いた。それはカウンターの上を滑り、水滴に濡れる主なきグラスを掠めて、シヨの目の前で止まる。映されているのは、朝から何度も繰り返し見た、動画UPサイト上のものだった。  勿論、UPした人物のハンドルネームは――Director。 「彼女の部隊は昨夜、フレッシュ・リフォーの直営部隊と交戦、撤退中だった」 「最近は新型テムジンがいきわたって、攻守が逆転したってリーネさんが……」 「うん、まあでも、彼女は一流のエースだからね。よく部隊を纏めて、戦線を維持してた」 「わたし、そゆのは詳しくないんですけど、株価の下げ値が止まったって、ルイン君が」  限定戦争と呼ばれる、この電脳暦でも最高の事業にして娯楽。それを演じる人間有価証券は、明日をも知れぬ命に等しい。まさに、その身は紙幣か、証券か……ひとたび火がつけば、燃え尽きるまで僅か数秒。しかし、そうした限定戦争に納得して参加し、その中で命を散らすならば、まだ道理が通る。 「無事に撤退を完遂した、損耗激しいアダックス直営部隊を……謎の部隊が襲った」 「見ました……あれは、T型のアファームド。でも、あんなタイプはカタログには」 「私の目算では、ゆうに一個大隊規模のアファームドだった。機種は……お嬢ちゃんの方が詳しいね」 「はい。でもあれは……あんなアファームドは、トランスヴァールでも作ってないって」  目の前のモバイルに、問題の動画が映し出されている。撤退するアダックスの部隊を、突如急襲する謎の一団。目に痛いトリコロールカラーのアファームドが、群れなし部隊の後方へと襲い掛かっていた。外観からT型であることは明らかだが、右手に見慣れぬアサルトライフルを持ち、左手からパワーボムを投擲している。  たちまち画面の中は、逃げるVOX系と、それを追うアファームドの大混戦となっていった。  シヨが朝から、何度も見た光景がリフレインする。 「彼女は部隊長、そしてエースだ。私が今見て思い出しても、その対応は的確だった」  マビーナが語る通り、混戦する部隊後方へと、すぐさま真っ赤なライデンが駆けつけた。フラットランチャーを構えるそれはE1型に見えるが、去年にコンバートされたプロトタイプ、E0型と呼ばれるライデン……彼女だけに許された、紅蓮の魔女だった。火星戦線東部戦域戦功表彰機「砂の勲」に塗られた巨躯が、仲間を庇いながら、決死の反撃を試みる。  その動きは奇しくも、先年のレヴァナントマーチに際して、しんがりに立った"名前のない魔女"を彷彿とさせる。マビーナが書き記しながらも、企業の都合で大きく添削、削除されてしまった光景に、状況はそっくりだった。 「私は……ずっと、見てた。記事にしようと思って……ただ、見てるしか、できなかった」  血を吐くような声音で、マビーナが苦しい胸の内を吐露した。  シヨが唇を噛んで睨む画面の中では、次々とVOX系のバーチャロイドが離脱し、その都度、援護するライデンの損傷は激しさを増す。いかに高価な高性能機体、それも指揮官用の……エース専用の機体でも、その不利は明らかだった。  見ていて痛々しくなるほどの、圧倒的な数の暴力。 「アダックス側の損耗率は、僅かに14%……この数字は、レヴァナントマーチのそれを更に下回る」 「マビーナさん……」 「リーネ・リーネらしいやり方だ。彼女は最後に、リベンジしたのさ。あの、名前のない魔女に」  画面から一機、また一機とVOX系のバーチャロイドが逃げてゆく。しかし謎のアファームド部隊は、全く攻める手を緩めない。そして、その苛烈な猛攻へは、全て真紅のライデンが立ちふさがった。  思わずシヨは、既に網膜に焼きついた結末が怖くて、目を瞑って背ける。 「お嬢ちゃん、私達は最後まで見届けなければいけない……何度でも。彼女の、最後の戦いを」 「…………はい」  既に満身創痍のライデンが、バイナリー・ロータスを展開する。その最大出力の射撃で僅かに後ずさりながらも、光芒の中に何機ものアファームドを飲み込んでゆく。しかし、それでも数の不利は変わらず、ついに画面の中は、ライデンと無数のアファームドに占拠された。  瞬間、朱の花が鮮やかに咲いた。 「! ……リーネさんのライデンは」 「先だって、レプリカの返還と同時に、本来の乗機を取り戻してたからね」 「じゃ、じゃあ、あれが……朱色の魔女」 「彼女のライデンは、先行試作型のE0型だ。……当時は、まだあの機能が実装されていたんだ」  真紅のライデンがアーマーブレイクするや、その下から朱色に塗られた装甲が姿を現した。その影は朝日を浴びながら、鮮やかに多方面の弾幕を掻い潜り、射撃ポジションからレーザーを照射する。重バーチャロイドとは思えぬその機動はしかし、耐久力のほぼ全てを犠牲にした、最後の手段だった。  次々と、アファームドが駆逐されてゆく。しかし、その数は減らない。寧ろ、増えてゆく。  朱色のライデンは、その動きを封じられながらも、敵集団の中、遅滞戦闘を継続していた。 「エースってのは、ただの撃墜王では務まらない。エースの資質を、彼女は持っていたんだ」 「エースの……資質」 「エースは敵を墜とすだけでは駄目さ……仲間を守ってこそ、真のエースだ」  シヨはただ、黙って最期の刻に目を見張る。  懸命に回避と後退を繰り返すライデンへと、四方から火線が集中する。ライデンのスピードが鈍り、足が止まって、膝を突くや……並み居るアファームドは、手にするライフルの先へ、鋭い刃を着剣して襲い掛かった。  シヨはその時、画面の隅に小さく、純白のガラヤカを見た。  動画は、四方から銃剣で串刺しにされて爆発する、ライデンの映像で幕を閉じた。 「国戦公に問い合わせたけど、この時間帯に限定戦争に参加していた部隊は、存在しない」 「じゃ、じゃあ、このアファームドの集団は」 「完全なレギュレーション違反。まあ、私はこの後、補足されたんで逃げ出したんだけどね」  自嘲するように唇を歪め、その端正な顔をマビーナは翳らせる。そうして、バーテンダーが差し出すグラスを奪うように手にするや、肺腑の奥へと流し込んだ。  明確なルールの存在する限定戦争においての、利潤を無視した介入行為……それは、MARZが取り締まる対象に他ならない。 「私には、ただこのことを記事にするしかできない。お嬢ちゃん」 「……はい」 「この敵は……Directorとやらは、目的はなんだ? どうしてこんなことをする?」 「それは――」  楽しいから。  Directorは、愉快犯なのだ。  これは、趣味なのだ。  あらゆる企業国家が利益を追求し、その為の手段として先鋭化した限定戦争を……この惨劇を演じた者は、趣味だと断じる。そして、それを楽しんでいる。  シヨはただ、重苦しい沈黙に、言葉を噛み殺して泣くしかなかった。  朱の花は散り、偉大な魔女は伝説と消え……誰もが、大事な隣人を失った。