純白の頚城を解き放たれて、テムジン422号機が立ち上がる。そのコクピットから首を巡らす相棒を、シヨは不安げに見上げた。一歩、また一歩、外へと向かう、その機体を追って小走りに並ぶ。 「ルイン君、ほんとに大丈夫?」 「問題ねぇ、視覚さえ同調させなきゃ、な。それよりシヨ、お前さんも早くこいよ」  それだけ言って、ルインはコクピットの中へと消えた。ハッチを閉じたテムジン422号機の、Vコンバーターが徐々に駆動音を高める。その姿は、爆炎と硝煙に煙る、格納庫の入り口へと向かって走り去った。  外ではひっきりなしに、銃声と砲火が、絶え間なく聞こえる。  意を決して愛機に登るシヨは、意外な人物の声に振り返り、見下ろした。 「総員退避! 整備班は地下へっ! ええい、くそっ! 連中は何が目的だっ!」  そこには、丸々と太った巨体をゆする、署長の姿があった。はげ頭を真っ赤に茹で上げ、湯気を発散している。しかし、シヨが何より驚いたのは、パイロットスーツを着ていることだ。小脇には、ヘッドギアを抱えている。 「ベンディッツ! まだ使えるテムジンがあるな? ……くそう、コーニッシュの小僧め」 「署長!? 何をやっ……いけません! 411号機は、並みの人間では歩かせることすら……」 「オーフィル三査が置いていった機体だな? 稼働状況にはあるのだろうが!」 「それは、そうでもありますが」  順次、地下へと逃げてゆく整備員達の中から、ベンディッツ班長を捕まえるなり、署長は怒鳴った。確かに彼の言う通り、ルインが封印された422号機を持ち出しても、さらに一機、テムジンが残っている。それはだが、あまりに過度なオーバーチューンを施された為、もはや常人のバーチャロンポジティブでは、歩くこともままならない……そういう機体だった。 「歩けもせんだと? 結構! 這ってでもワシは出るぞ」 「署長……」 「ワシはこの分署の長だ。この分署を、職員を守る責任がある。歩けずば這ってでも、な」 「しかしっ――」  言い争う二人を見下ろす、シヨはポンと肩を叩かれた。見上げれば、整備班の青年が、親指でクイとコクピットを指す。どうやらリミッターの解除は終ったようで、シヨは彼と入れ違いにタラップを駆け上がった。  本来の力を取り戻した愛機へ、いざ滑り込もうとしたその時、シヨは典雅な声に振り向いた。 「署長、ご立派ですが、責任の所在は明らかにしておきたいと思います」  不意に、声を荒げる署長の手に、パイロットスーツの手首の端末に、MARZのシンボルマークが立体映像で浮かび上がる。ウィスタリア分署のバーチャロイド部隊を預かる隊長、リタリー特査だ。  激震に揺れる署内で今、彼女の声だけが不思議とよく通る。 「事件が終息後、責任を取る者が必要になります。署長、地下へ退避を」 「リタリー君! ワシとて時間稼ぎ位には……他の分署へは増援を頼んである」 「無理ですね。この東部戦線で、街同士の距離を考えれば、外は当てにできないでしょう」 「付近のコーポレートアーミーにも声を……」 「連中はMARZの台所事情に精通してます。実際、増援に対して対価が払えませんが」  リタリーは怜悧とさえ思える口調で、静かに署長を黙らせてしまった。  シヨはただ、コクピットでVコンバーターを始動させると、静かに二人を見守る。 「なら、尚のことワシが――」 「ベンディッツ班長、署長と地下へ退避を。署長の仕事は、事後処理ではありませんか?」  そう言い捨てるや、署長の手からMARZのシンボルマークが消えた。同時に、格納庫の奥から一台のバーチャロイドキャリアーが現れる。回転灯の真紅が、唖然とする誰もを赤く染めていった。  その巨大な車体から、再びあの声が聞こえてきた。 「私が直接、現場に、前線に出ましょう。少し連中に……教育してやらねばなりません」  MARZの流儀を、とリタリーは言う。その声は相変わらず落ち着いているが、えもいわれぬ凄みに、シヨは背筋を凍らせた。同時に、キャリアーに乗せられたコンテナへと視線を落とす。  あれは確か、エルベリーデのテンパチと一緒に来て、以降放置されていたものだ。 「リタリー君、ワシは……」 「署長、各々が義務を果たすべきかと。私は部隊を預かる者として、出撃します」 「……っ、頼むっ! これ以上、東部戦線の秩序を連中に乱させては……い、いやっ」  署長はベンディッツ班長と一緒に、格納庫を出る間際に一度振り返った。そうして言葉を切るや、尚も外へと走り出すバーチャロイドキャリアーへと叫んだ。 「リタリー君! 連中に舐められっぱなしで終ってはいかん! 手酷く痛めつけてやりたまえ!」 「了解です、署長。タチバナ、テムジン421号機もいけるな? 私は身体に戻る、援護を」  一際激しい爆風が押し寄せる、その外へとキャリアーは躍り出た。慌ててシヨは「了解っ」と声を弾ませる。コンディション、オールグリーン……普段と変わらぬモニターに、愛機の完調状態がデータとなってあふれ出る。  シヨはすぐさまヘッドギアを装着し、その視界を愛機に同調させるや、地を蹴った。 「シヨ・タチバナ、出ますっ」  地下へと逃げる多くの整備班の、祈りにも似た歓声を浴びつつ、それをかき消す轟音の中へとシヨは飛び込んだ。格納庫を出るや、頭上をアファームドタイプに襲われる。彼女の研ぎ澄まされた思惟が、その敵意を拾ってスティックを握らせた。  フルパワーを取り戻したテムジン421号機は、一撃でアファームドの胴を薙ぎ、ブリッツセイバーで切り捨てる。そうしてシヨは、視界を埋め尽くすアファームドの群れに、真っ白なガラヤカを探した。 《来たか、シヨッ! ざっと見で、彼我兵力差は1:80だ》 「ルイン君っ、頭を……このアファームドは多分、無人機だから。操ってるガラヤカを――」 《シヨさん、リタリーを援護してください。彼女の起動まで、キャリアーを》  エルベリーデの声に衝撃音が混じり、ノイズが交錯する。混戦する仲間同士の無線を聞き分けながら、シヨは懸命に件のバーチャロイドキャリアーを探した。そしてそれは、躍り出たままの速度で横滑りに、往来に停車していた。  たちまち群がる、トリコロールのアファームドの群れ。  シヨは援護のニュートラルランチャーを叩き込みながら、機体を最大戦速で前進させた。 「一つ、二つっ……駄目、間に合わないっ。コンテナが」  加速するテムジン421号機から、光の矢が迸る。その二斉射をまともに浴びて、一機のアファームドが吹き飛んだ。さらにはブリッツセイバーで斬り抜けて、もう一機を両断する。フルパワーのMARZチューンを今、シヨは完全に掌握して、乗りこなしていた。  しかし、それでも敵の数が多過ぎる。残る一機のアファームドが、ライフルを片手にコンテナに馬乗りになった。銃剣を脛から引き抜くや、逆手に握ってコンテナへと向ける。 《リタリー!》 《ええい、くそっ! 視界が……隊長っ!》  エルベリーデの悲鳴と、ルインの舌打ちが交錯した。その間もシヨは無言で、機体をターンさせるや、スライプナーを構えさせる。しかし、ウェポンゲージの回復が、シヨの操縦に追いついてこない。彼女は焦れながらも、歯を食いしばって眼前の光景に耐えた。  人の気配を感じさせぬ、人形のようなアファームドが銃剣を振り下ろす。  同時に、コンテナが解放されて弾け、中から真っ白な冷気が噴出し、周囲を塗り潰した。 《――全機、現状を維持。これ以上、連中の跳梁を許すな。一機でも多く……潰せっ!》  優雅で気品に溢れた声が、鋭く尖って吼えた。  同時に、白く煙る中心地のアファームドが、銃剣を振り下ろした姿勢のまま、持ち上がる。  その下から、鮮やかなマーズブルーの細身が姿を現す。華奢な体躯からは想像もつかぬパワーが、凶刃を避けつつ、アファームドを軽々と片手で天へと突き上げていた。  それはMARZの女神を思わせる、一機のフェイイェンだった。 《身体に戻ったのは久しぶりだが……少し運動をさせてもらう》  リタリーの声と共に、彼女そのものとなったフェイイェンが、手にかざすアファームドを宙へと放る。 《コーニッシュ、お前は視界が利かん。格納庫前で援護、索敵に徹しろ。エルベリーデは私の左翼に、タチバナは右翼……向かってくるもの、全てが敵だ。MARZの流儀を叩き込んでやれ》  穏やかな声音の、その奥に潜めた鋭さのごとく。フェイイェンは握る細剣で、宙から落下してくるアファームドを刺し貫いた。その爆発の光に煽られつつ、彼女は立ち上がる。 《フフフ……デバガメ風情が笑わせる。貴様等は限定戦争を荒らす愚か者で、私達はそれを鎮圧する番犬、MARZだ。そのことを、たっぷり教え込んでやろう》  ヒュンと剣を振るって、フェイイェンが構える、その横へと滑り込んで、シヨはエルベリーデと共に周囲を牽制した。静かに昂ぶり怒りに燃える、自らの隊長を挟んで。