砲火の煙が霧散して消える、その瞬間の一秒一秒が引き伸ばされる。その無限に拡大された感覚の中で、誰もが息を奪われる。肺腑に呼吸を留めて、鼓動さえも止まるような錯覚。  銃創に塗れて小爆発を咲かせながら、崩れ落ちるテムジン421号機。  その背後から、漆黒の翳が身を覗かせた。 《エルベリーデ、現状維持っ! タチバナ、応答しろ! 返事をしろ、タチバナッ!》 《――っ! リタリー、でもあれは。やはり、感染していましたね……シャドウに》 《おっほー! エイス、これは番狂わせだ! 狂犬君はあれか、ダークヒーローがお好みか!》 《監督、危険……読めない、あれは》  周囲の声が広域公共周波数を通して、耳へと入ってくる。しかし、その言葉の意味を汲み取る思考が定まらない。思惟は削がれてこそげ落ち、理性に代わって野生が全神経を支配する。  今、ルイン=コーニッシュを支配するものは、純然たる怒り。  彼はまなじり張り裂けんばかりに見開かれた瞳を、ヘッドギアのバイザーで覆った。その瞬間から、彼のテムジン422号機は黒に染まった。全てを吸い込む暗黒に満ち、まるで脈動のように暗い光を不気味に明滅させる。シャドウ現象そのものとなったルインは、獰猛な咆哮と共に、我が身となったテムジン422号機を震わせた。  その脳裏を過ぎるのは、自らが演出する惨劇ではなかった。 『ルイン、どうして人並みの好成績しか残せない? 次席で卒業、これは確かに優秀な成績だ。だが、一番ではない。コーニッシュ家の人間ともあろう者が、これでは駄目だ。解るね、ルイン?』 『……ごめんなさい、父上』  黒いテムジンが、素手でアファームドの群へと躍りかかる。今しがた僚機を蜂の巣に変えた、冷たい殺意に灼けた暴力を叩き付ける。シャドウ現象を顕現させたルインは、脳裏に過ぎ去りし日の光景を刻みながら、見えない何かに操られるように、機体を駆り立てた。  ウェイト差をもろともせず、片手で敵機を吊るし上げるや、力任せに分署の建物へと叩き付ける。  狂ったように金切り声をあげる、Vコンバーターの出力を全開に、翳が吼えた。 『本当に……もう、少しはお兄ちゃんを見習ってちょうだい? コーニッシュの家に生まれた子が、武門の家の生を受けたあなたが、どうしてもっと高みへと飛べないの?』 『……すみません、母上』  既に外は、数の戦力差をご破算にする嵐が吹き荒れていた。  ルインはただ、闇に内包されて、取り憑かれたようにスティックを操る。黒いテムジンは次々と、まるで紙くずを千切ってゆくように、アファームドを触れた端から屠ってゆく。ただ操られるだけの敵は統制を乱して、荒れ狂う闘争へと巻き込まれていった。  炸裂する鉄拳に、アファームドが胴へ風穴を開ける。  組み付かれた機体はその両腕の中で圧縮され、腰から上下に両断される。  下がろうとした最後の一機は、高々と両手で頭上に抱え上げられたあげく、その背骨を真っ二つにへし折られてしまった。爆発しながら噴出すオイルを、まるで返り血のように浴びるテムジン422号機。 『ルイン、そう気にすることはないさ。MARZだって立派な組織、コーニッシュの名に恥じない戦いが待ってるよ。僕みたいにいきなり、フレッシュ・リフォー直営部隊の士官ってのも、結構面倒なものだしね。君はだから、君の選んだ環境でベストを尽くすんだ。何も、自分を責めても恥じてもはじまらないよ』 『……すんません、兄上。すんません……ほんと、すんません』  背後から襲ったアファームドの一個小隊を、文字通り消滅させたところで……ゆらりと翳は、居並ぶ敵の本体へと向き直った。だらりとぶら下がった右手をかざせば、吸い寄せられるようにスライプナーが飛んでくる。それを掴むや、穢れたような黒色は、またたくまにその刃に宿って染め上げた。 「すんません……すんません、すんません。すんません……」 《ルインさん、あれほど視覚を同調させてはいけないと。それより、早く脱出なさい!》 《コーニッシュ、機体を捨てて脱出しろ。精神汚染の危険がある!》  ルインの胸中を今、慙愧と悔恨の念が支配していた。それは、長年彼が溜め込んできた卑屈な鬱積を励起させ、強力な負の感情を巻き起こす。M.S.B.S.がそれを拾って具象化させる力こそ、シャドウ現象の根源に他ならない。  ゆっくり一歩、監督を自称するテロリスト達へと、黒いテムジンは歩み出た。 《リタリー、わたくしが。ハッチを外からこじあけま――》 《まてエルベリーデ! 不用意に近付くんじゃあないっ!》  何かが触れた。機体の感覚を拾って、それが肌の上に再現される。しかし、今のルインに、エルベリーデの声も温かさも伝わらない。気付けば反射のような速度で、彼のテムジンは僚機を逆に掴み返していた。MARZ特有のハイチューンを施された、エルベリーデのテンパチが軋む。  何の感慨もなく、触れたものを払うように。シャドウと化したテムジンは、テンパチの腕をむしりとるや、本体を敵の群へと蹴り飛ばした。轟音を上げてアファームドの中へと投げ出された、味方もろとも消し去るべく、その手はパワーボムを握る。 《コーニッシュ! ええいっ、通信は駄目か! よせ、エルベリーデが》 《お約束の暴走ってやつだなあ、うんうん……エイス、解ってるね?》 《捻じ伏せる、数で。みんな、さあ……あの、黒いのから》  そぞろに歩み寄る、黒に濁った翳のテムジン。その手のパワーボムは投擲されることなく、爆発までの時間を刻んでいる。駆け寄り制止を呼びかける、リタリーのフェイイェンを突き飛ばすや、ルインはそのままアファームドの群へと飛び込んだ。  爆音と爆風が周囲を巻き込み、最大火力のパワーボムがドーム状に光を膨らませる。  その中から毒蛇の如きバル系のバーチャロイドに連れられ、白いガラヤカが現れた。 《手当たり次第か、凄いねえ! 味方もろとも、自分ごとという訳かあ! ウシシ、燃えるねえ》 《――来るわ、監督》  何かが傾いだような、擦れるような不協和音が鳴り響く。四肢を複数のアファームドに拘束されながらも、それを歯牙にもかけず、テムジン422号機は……かつてそうだった翳が歩を進める。さながら悪鬼の如き修羅の闘気を巻き上げ、狂犬は牙も露に敵へと迫る。  幾重にも身を浴びせてくるアファームドを、片手で引っぺがしながら、真っ直ぐに歩く。  愚直にトライを目指すラガーマンの如く、タックルを受けても怯まず、アファームドを何体も引きずりながら歩く。その重い一歩一歩を踏みしめながら、翳は手にするスライプナーに光を灯した。 「……すみません。……ほんと、すみません」 『え? え、あ、はいっ、日本生まれの日本育ち、ですっ』 「……? 紫に、余る……? シ、ヨ?」 『あの、わたし二十歳です』 「あ、ああ……同い年か。その、すみません……シヨ? そうだ、シヨ。シヨ……シィィィヨォォォ!」  圧殺せんと押し寄せる、アファームドを次から次と引き剥がす。それでも尚圧しかかってくるのにも構わず、翳はスライプナーを掲げて切りかかった。目の前にとぐろをまく、巨大な毒蛇に。その下に佇む、純白のビスクドールに。  慟哭にも似た嘆きのような、一際甲高い駆動音をVコンバーターが張り上げた。 「そうだ、シヨが……お前らがシヨを。許さねぇ……許せねぇ! 兄貴より、親父より、おふくろより……何より誰よりっ! 俺と同じくらい、許せ、ねえええ!」  ブン、とブリッツセイバーの一薙ぎで、周囲のアファームドが吹き飛び舞い上がる。それらが全て往来に伏して落ちる間に、翳が踏み込み斬撃を放った。  筈だった。  だが、現実には先程に倍する数が、身を挺するように覆い被さり、質量に物を言わせて地へと組み伏せる。十機を越えるアファームドに圧し掛かられて、それでも尚翳は前へと、這いながら手を伸べていた。  ルインは、愛機に同調した視界が滲んで霞むのを感じた。 《制圧完了。次は? 監督》 《うーん、それがねえ。正統派ヒーローがいなくなっちゃった。オイラ、ちょっと困ったよ》 《テンパチは? さっきのやつ。それか、あのフェイイェンか》 《イメージというものは大事なんだよねえ。例えばそう、こんなピンチに颯爽と駆けつけ――》  すねた子供のような声は、閃光に遮られた。  突如、虹色の光に周囲は覆われ、全ての頭上に輝きは膨れ上がった。定位リバースコンバート……遥か衛星軌道上から、その機体は白無垢の無装甲で、それでも毅然と大地に降り立った。  同時に、隻剣のクラウドスラップが振るわれ、翳を縫い殺すアファームドが一蹴される。 《隊長、お待たせしましたっ! みんなも! さあ、ここからは僕が相手だっ!》  真っ白な747型の、裸のテムジンがそこには現れていた。 《……っ!? キター! そうだ、そういう感じの絵だ! さあ問うぞ、貴様は誰だっ!》 《お前達に名乗る名はないっ! 今すぐ機体を停止させ、こちらの指示に従え! 所属不明機!》 《おのれ、MARZの犬めぇ! ……ってとこか。いいぞう、確か……そう、エリオン君だよねえ》 《いい大人が、こんなことをして。エイス! 君はそこだね! さあ、こんな馬鹿はよすんだ!》  再び立ち上がる翳の横で、白い機体が銃口を敵へと向ける。  モノクロームの一対が今、尽きることない無邪気な害意へと立ちはだかった。  ルインの意識は薄れゆくなか、微かにその声を拾った。僅かに、しかし確かに。自らを庇って爆炎に擱座した、テムジン421号機の主の声を。