シヨが意識を取り戻した時、世界は傾いていた。そして、闇。震動の揺れに混じって、遠くに砲火と爆炎が感じられる。彼女を内包するテムジン421号機は、沈黙していた。バーチャロイドとして、その機能の全てを失っていた。 「ええと、わたし……そうだ、ルイン君を助けて。それで……ごめん、ごめんね」  バイザーを上げた目元から雫が零れた。今、シヨの愛機はダメージを告げることすらできぬ、ただの鉄屑と成り果てていた。その惨状を招いたのは、他ならぬシヨ自身だ。  だからこそ、自分の決断を無駄にせぬ為に。シヨは目元を拭うと、己を固定するセフティハーネスを跳ね上げる。傾いだコクピットから抜け出そうともがき、暗闇の中でどうにか、手動のインジェクションレバーを引く。たちまち炸裂ボルトが発火して、コクピットのハッチが吹き飛んだ。  流れ込んでくる外気に、Vコンバーターの駆動音と砲声、爆音、そして人の怒号が入り混じる。 「421号機、タチバナ三査の無事を確認! そっちは!」 「フェステンバルト一査も大丈夫だ、担架急げよ!」  分署地下に避難している筈の、MARZ職員達が働いていた。皆が皆、埃と粉塵に塗れながらも、熱気に炙られ爆風に晒されつつ懸命に動いている。その向こうに、擱座したテンパチが身を横たえていた。  縦横無尽に暴れまわるバーチャロイドの足元では、懸命の避難と誘導、救助が続いている。  そして―― 「各部、現状を維持! 署員は一般市民の避難誘導を最優先だ!」 「タチバナ三査、こちらへ! この場所は危険で――」  コクピットから這い出たシヨへと、年配の職員が手を伸べてくる。その声を遮り、目の前にアファームドが落下してきた。そのマッシブな身に馬乗りになる、黒い翳。シヨは唖然として、シャドウと化した僚機を、その禍々しい輪郭を見上げる。  赦しを請う同僚の声を乗せたまま、狂犬は猛り盛って暴れまわっていた。  その向こうに、白無垢の747系テムジンが一機。 「あれは……」 「オーフィル三査です。増援ですよ! 我々は、MARZはまだ……さあ、タチバナ三査」  促されるまま、男の手を取り避難を開始するシヨ。装着したままのヘッドギアは、耳元に広域公共周波数で交わされる敵味方の交信を拾っていた。自然とその声を追って、彼女は振り向き視線を上げる。 《装甲がなくたって! 当たらなければ》  黒いテムジンが暴虐に吹き荒れ、白いテムジンがその隙を埋めるかのように立ち回る。他に健在なのは、リタリーのフェイイェンだけ。たった三機の防衛ラインが、雪崩となって押し寄せる敵性部隊から分署を守っていた。  ただ見守るしかないシヨが、祈りにも似た激励の言葉を胸中に呟く。それが届いてか、三者は三様に善戦奮闘していたが、劣勢は見るまでもなく明らかだった。だたの暴力と化したテムジン422号機は、目の前に立ちはだかる全てに躍りかかってゆく。それをフォローするエリオンの747は、アーマー・システムが未装着の為、普段の思い切りの良さが見られない。リタリーですら、戦線を維持するので手一杯のようだった。 《少しは盛り上がったけど……勝負あったなあ。なんだ、最終ステージまで到達できず、か》 《解らない、それはまだ。動きがいいもの、あの白いの。早計ね、監督》 《エイス、一通りいい絵は取れたよ。オイラそろそろ引き上げるけど、連中がこのままなら》 《解ってる。……潰すわ、ここで。書き直すのね、シナリオは》  知った声が耳朶を打った。手を引かれ必死に逃げ惑いながらも、思わずシヨは足を止める。異形のバーチャロイドと、白亜に輝く純白のガラヤカ。その双方がやり取りする言葉を拾って、彼女の中で何かが撃発した。感情と言う名の撃鉄が火花を散らし、怒りの弾丸が口を衝いて出る。 「あなたって人は……こんなことにバーチャロイドを使って。監督さん、聞いていますかっ」 《おほ? ああ、お嬢さん。無事だったかい? さっきのは良かったよ、いい絵だ! グッジョブ!》 「エイスちゃんも、どうしてこんなことするの? いけないことだって、お父さんやお母さんに――」 《いないもの、そんなの。マシンチャイルド、私は》  目の前にまた一機、残骸となったアファームドが振ってくる。その震動と激風に足を取られながらも、シヨはヘッドギアのレシーバーに声を荒げた。  だが、まるで糠に釘を打つようにてごたえがない。  馬耳東風、馬の耳に念仏とはこのことだ。 《シヨさん? 無事で……ルインさんは、あれはシャドウ現象! ひょっとしたらもう》 「エリオン君? エリオン君なんだ、やっぱり……どうして? あ、それより、そうなの」 《この数、今はルインさんを助けられる状況じゃない。……ごめん、寧ろ頼れてしまうっ!》  数の不利を忘れさせる猛威だった。光を吸い込む黒い翳は、次から次へと敵を屠ってゆく。その乱れ咲く仇花のような攻撃に、無数のアファームドが飲み込まれていった。まるで獣のように獰猛に、スライプナーで断ち割り、切り裂き、蹂躙してゆく。蹴りや拳を交えて、荒れ狂う。  その撃ち漏らしを片付けるエリオンの声も、固く強張りシヨの耳に刺さった。 《兎に角、数が違い過ぎるっ! ……折角の747型が。せめて、アーマーがあれば――》  刹那、閃光走る。 《……およ? 今、オイラ、何を喰らった? 当たったよねえ、エイス。どこさ? 誰?》 《狙撃された、監督。空、上……来るっ》  後退し始めた敵の首魁の、その毒蛇にも似た巨躯を光の矢が掠めた。再度、戦場への新たな乱入者へと、誰もが首を巡らし空を仰ぎ見る。  蒼穹より尚蒼い、マーズブルーが点と見えた。それが飛んでくる、近付いてくる。  未だ遠い距離から、機種も特定できぬ、しかし色だけで味方と思しきバーチャロイドは続けて発砲した。精密な狙撃に、今度はガラヤカが回避行動を取ってふわりと浮く。 《――っ! この距離避けるかあ。しっかし、見るからに負け戦よね、ある意味》 《肯定です、三査殿。しかしながら、自分達の介入でMARZの分署防衛成功率が12%UPします》 《上等っ! あの馬鹿はシャドウになって、味方はそれも含めて三機で……思い出すわねっ!》  ――あの悪夢の撤退戦を、レヴァナントマーチを。  その聞き覚えのある懐かしい声は、確かに気勢と同時にそう吐き捨てた。その頃にはもう、シヨの視界にマーズブルーの747型テムジンが、地を抉りながら着地しそびえていた。目を庇いながらも、指の隙間からその頼もしい背を見上げる。747Aに見えるが、その腰にはオプションパーツだろうか? 小さなユニットが増設されている。 《そこの白いの! ええと、あとフェイイェンの人。ホァン=リーン三査、出向先で休暇中につき援護します! ティル、シャドウは放置。アファから順に片付けてくわよっ!》 《了解、全武装セフティ解除。ミリタリーパワー、マキシマム。全システム、オールグリーン》  リーインの助勢に、誰もが歓喜の声を上げた。隊長のリタリーですら、安堵の溜息を零す。  ハイチューン特有の甲高い駆動音を響かせ、リーインが駆る747Jが地を蹴った。たちまち取り巻くアファームドの群を、苦もなく蹴散らしてゆく。その機影はすぐさま、モノクロームの白黒コンビの間に割って入った。 《そこの白い方っ! 下がって、そんな紙っぺらな機体じゃ――》 《リーイン? どうしてここに……》 《ある意味当然よね……あんたが来るって知ってたもの。ねえ、エリオンッ!》  敵味方の区別無く、襲い来る翳をいなしつつ、リーインのテムジン747Jが身を翻した。その機敏にして精緻な動作を捉まえ損ねたシャドウは、そのまま力を持て余してアファームドの群れに突っ込んでゆく。見送るリーインの機体は、腰から例のユニットを外すなり、宙へと放った。 《エリオン、これを! あのトンチキ博士の作だから、保障はできないけど……裸よりマシかも!》 《これは……》 《腹部ハードポイントに装着して! 新型のアーマー・システムよ!》  言われるままに、エリオンの機体が空へと駆け上がる。中空で放られたユニットを掴むなり、それを腹部へ装着。途端に白いテムジンの腰部を、ぐるりと数列の帯が取り巻いた。 《! 何? あれは、監督……危険、墜とす。無防備、今なら……みんな、あれを!》 《まてエイス! もしや……全機体を停止、エイス。こういうシーンは見守るのがお約束だ!》  エリオンのテムジンは、謎のユニットから無数に飛び出し乱舞する、数字の群れに囲まれ球をなしていた。その発する光は、リバースコンバートの前触れだ。  シヨは漠然と、小さい頃に見た変身ヒーローを、目の前のテムジンに重ねていた。 《これは……このままリバースコンバートする? システムは、いける! 電脳虚数演算開始、リバースコンバート、プログラムリリース。全バイパス解放、コードを手動で書き換えプロトコルを制御、アーマー名……タイプ・クロスコード? 何でもいいっ――着装っ!》  瞬間、眩い光が迸り、リバースコンバート現象が発生して、エリオンのテムジンは輝きに飲み込まれていった。腹部のユニットを中心に、複雑な演算が走って装甲を形成してゆく。  シヨは、白無垢のテムジンがマーズブルーに染まって膨れ上がるのを、ただ呆然と見上げていた。