嵐の後の静けさにも似た、一瞬の静寂。  それを引き裂き、翳が吼える。 《エリオン・オーフィル、ホァン・リーイン両三査は待機。行くぞ、シヨ・タチバナ!》 「りょ、了解っ」 《待ってください、隊長! 私達も手伝います》 《ゲージ回復っ。隊長、行けます! 総出でかかれば――》  二機の747型テムジンを手で制して、煌く黄金の輝きが馳せた。ゆらりと身を震わせる翳へ、シヨを内包してフェイイェンが駆け抜ける。たちまち零距離に肉薄するや、その手は装備したレイピア「識者の裁定」を放り出す。  眩い光そのものと化したフェイイェンは、影と素手で四つに組み合った。  互いのVコンバーターが悲鳴を歌い、周囲を衝撃波が薙ぎ払ってゆく。関節が軋みを上げて、二体のバーチャロイドは互いに全力で圧し合った。 《新型のテムジンは温存する……連中を止めねばならん! タチバナ、思う存分振り回せっ》 「はいっ。……ルイン君を、返し、てぇーっ」  シヨは夢中でツインスティックを握り、ターボスロットルを引き絞る。我が身が削れてこそげるような感覚を置き去りに、強烈な横Gがシヨを襲った。シヨの意のままに、フェイイェンが翳にパワー負けしつつも、その横へと回り込む。  がっしり指と指とを絡めて組んだ、その手を引き剥がすや、シヨが念じるままにフェイイェンが躍動した。影へと密着すれば、その漆黒が僅かに侵食してくる。それに構わず抱え込むなり、フェイイェンが大きく後へ跳び反った。 《う、嘘っ! シヨ? シヨが乗ってるの? 隊長は――》 《バーチャロイドを、投げたっ!?》  同僚達の驚きを置き去りに、轟音を立ててアスファルトに光と翳が沈む。尚も荒れ狂う翳を大の字に地へ広げて、フェイイェンはその上を取る。全体重を預けて、押さえ込む。  その時シヨは、リタリーが止めるのも聞かずハッチを解放して外へ躍り出た。 「ルイン君、聞こえる? わたしの声が、聞こえるっ?」  シヨは黒く濁ったテムジンの装甲表面に降り立った。不気味に光を明滅させながら、まるで生ある生き物のように機体が脈動している。その震える表面をおぼつかない足取りで、シヨはコクピットハッチへと向かった。  ハイパーモードを発動したリタリーが全力で押さえつけているにも関わらず、翳は手足をばたつかせながら起き上がろうともがく。その足掻きに足を取られながらも、シヨは着実に歩を進めた。  再度、虹色の光が周囲の空間を染め上げたのは、その瞬間だった。 《私の名はリチャード・ラブレス! 白閃の騎士!》  定位リバースコンバートが発現して、白く輝くテムジンが姿を現す。背には羽をあしらったグリンプ・スタビライザーを装備され、専用の最新鋭スライプナーを水平に捧げている。またも747型のテムジンだが、その機体から発せられる高圧的なまでの存在感は、明らかに既存のバーチャロイドを凌駕していた。 《どきたまえ、MARZの! シャドウ現象の発生を確認した、即座に殲滅する!》 「白騎士さん……まっ、まってください。まだ中にルイン君が」 《私は以前警告した筈だ。非常時とはいえ貴官等は、その機体の封印を解いてしまった!》 「それは、でもっ、緊急事態だったんです。ルイン君だって最初は、視覚を同調させずに――」  ふわりと舞い降りた白騎士は、スライプナーを手に構える。たちまち銃身が変形して、ラジカルザッパーの発射体勢が完了した。それを優雅に片手で構えたまま、白いテムジンは真っ直ぐ翳を視線で射抜く。 《くっ、問答無用という訳か。タチバナ、急げ! こっちも長くはもたん!》 「は、はいっ、隊長。待っててね、ルイン君。今、助けてあげ、あっ」  その時、ついに翳が暴力を再び発散した。軽々と圧し掛かるフェイイェンを押しのけ、ゆっくりと立ち上がる。その表面上に張り付いたシヨは、必死で胸元にしがみ付きながら、どうにか胸部コクピットへとたどり着いた。  シヨはふと、翳となったテムジンの頭部を、そのバイザーで覆われたセンサーの向こう側を見る。  そこには、果てしなく深い闇が沈殿していた。 「……ゴメンね。君もただ、わたし達を助けてくれようとしたんだよね?」  翳はただ黙って、胸元のシヨを見下ろしながら呆然と立ち尽くす。  白騎士の銃口は、その姿を捉えたまま停止していた。 「わたしは君のこともう、助けてあげられない。けど、ルイン君は返して欲しいの……駄目かな?」  都合よすぎるよね、とシヨは気付けば涙を指で拭う。翳の駆動音は僅かにトーンが落ちて、徐々に静かになってゆく。まるで、シヨの言葉に耳を傾けているようだった。  誰もが唖然として、状況を無言で見守った。 「君と最後まで一緒に戦ってくれた人だよ? だからお願い……わたしの大事な仲間なの」 《シヨ! 危ないから降りなさい! 駄目よ、シャドウ化したバーチャロイドはもう――》 《待ってリーイン、様子が……まるで姉さんみたいだ。シヨさん》  同僚達の声も、シヨの思惟から遠ざかる。シヨはただ、両手を握って目を伏せ懇願した。哀願の言葉を紡いだ。  翳は静かに動きを停止し、膠着状態が生まれる。 「わたしの、わたし達のこと、赦してなんて言わない。けど」  か細い声でシヨは、一度だけ手の甲で涙を拭うと、テムジンの頭部を見上げた。 「ルイン君は赦してあげて。ね? 君の大事なパートナーなんだもの。一緒に戦った人なんだよ?」  まるでシヨの言葉に応えるように、翳と化したテムジンの胸部でコクピットハッチが跳ね上がった。驚くシヨは咄嗟に、静かに片膝を突くテムジンの上で振り向いた。コクピットへ上体をもぐりこませ、その中で固定されてるルインを見つける。  急いでセフティハーネスを解除し、シヨは全力でルインの長身を外へ引っ張り出した。  二人の姿が再び外に晒された時、分署からも同僚達からも歓声があがる。 「ありがとう。君は本当にいい子……まっててね。あ、あのっ、白騎士さんっ」  シヨはルインの脇に身を忍ばせ、どうにか支えてふらふらと立ち上がる。その眼差しは真っ直ぐ、先程から微動だにせぬ白亜の機体へと注がれた。 「この子、どうしても駄目なんですか? いい子なんです……こんなになっちゃったけど。こんなになってまで、一緒に戦ってくれたんです。シャドウ化しちゃったら、本当にもう駄目なんですか?」  短い沈黙がシヨには、ずっと長く長く感じられた。  その終わりを告げる返答は、短く鮮明で簡潔なものだった。 《シャドウ現象はこれを撃滅する。例外は認められない》 「で、でもっ。この子、今は大人しくなってます。もしかしたら、このまま――」 《漆黒の翳に呑まれた時点で、その機体は破棄せざるを得ない! それが我々の使命だ》 「そんな……」  尚も言葉を重ねようとするシヨは、その時厳つい手に視界を阻まれた。翳は今、優しくシヨとルインを両手で包むと、そっと大地へ下ろす。既にパイロット不在であるにも関わらず、その動作は先程まで暴れていた機体とは思えぬ位、穏やかだった。  もういいと言わんばかりに、翳はシヨとルインを降ろすと立ち上がる。 《パイロットの脱出を確認。シャドウを殲滅する》  白騎士の言葉が光を呼んだ。苛烈な閃光が迸り、ラジカルザッパーが翳を射抜く。  光の奔流に飲み込まれ、爆発にまみれたテムジンがシヨの目の前で崩れ落ちた。その暗く澱んだセンサーの奥に、一条の光が一瞬だけ瞬く。シヨにはそれが、最後の微笑みに見えた。  Vコンバーターを破壊され、巨大な火柱が天へと屹立した。 「ごめんね……ごめん。本当に、ごめん」  シヨはルインを抱えながらも、その場に崩れ落ちた。  白騎士リチャードを責めるのはお門違いだ。彼は、彼等はシャドウ殲滅の為に結成された組織であり、シャドウ現象が極めて危険なものであることも事実だ。  では、シヨのやり場の無い怒りは今、どこへ向けるべきか? 《シャドウ殲滅を確認》  白騎士の言葉だけが短く、波乱の去ったMARZウィスタリア分署に響いた。  その時シヨはまだ、白騎士がスライプナーを構えるその右手と逆に、小さなコンテナを抱えているのに気付けなかった。  シヨはただ、湧き上がる怒りと憤りを滾らせ、監督を自称する男にそれを向けるしかできなかった。