突如訪れた静寂の中、荒く浅い自分の呼吸が耳朶に反響する。  エリオン・オーフィルは酸素を貪るように肩を上下させ、早鐘のような鼓動の音を聞いていた。マシンチャイルドとしての限界を超え、全身を刺すような激痛が走る。毛細血管が破裂したのか、迸る鼻血が止まらなかったが、それにも気付かない。 「エイスは……ガラヤカに大きな損傷はない。けどっ」 《オーフィル三査、落ち着いてください。生体反応を検出、パイロットは無事です》 《それよりエリオン、機体が……大丈夫、こっちで支えるから》  関節部から白煙をあげて、片手でガラヤカを抱いたままエリオンのテムジンが片膝を突く。その横に弱々しい足取りで寄り添うリーインの声は湿っていた。  だが、純白のガラヤカを安堵の溜息で囲むMARZの隊員達は、悪意が満ち満ちる音を聞く。  喝采、一心不乱の拍手が響いた。 《素晴らしいっ! 完璧だ、パーフェクトだっ! いやもうオタク、大したもんだ! グッジョブ!》  エリオンは仲間達と共に宙天を仰いだ。  そこには、全てを睥睨して見守り記録して、その内容に狂喜乱舞する異形の姿。  過度な改造で原型を留めぬバルシリーズが、毒々しい黄金の輝きを放って鎮座する。 《次はアンタよっ! 降りてらっしゃい! ギッタンギタンのボッコボコにしてやるっ!》 《頭上のバーチャロイドに警告します。直ちに武装を解除し、此方の指示に従って――》  風穴のあいたティルの胸元から身を乗り出し、リーインが拳を突き出しながら怒鳴っている。それに続く彼女の相棒の声は平静だが、心なしか口調は厳しい。  だが、事件の首謀者は二人の声を意に返さず、ただただ宙でとぐろを巻きながら、 《いやいや、お疲れちゃん! クランクアップってとこさ、オイラもう大興奮! 大満足!》  馬耳東風、聞く耳持たずに声を投げてくる。  否、会話などまるでする気がないように、一人法悦の入り混じる声を呟く。 《さて、それじゃオイラはこの辺で。この素晴らしい素材を編集して、ネットにUPしなくちゃ》  先程怒りを爆発させ終えた、エリオンのハートに新たな導火線が突き刺さる。その尻に火がつき、燐火を散らして燃え盛る。  既に戦力の大半を失いながらも、MARZには撃つべき敵がまだいた。  監督を自称する男をこそ、MARZの持てる権限全てを行使して実力で確保、拘束しなければいけない……それが今、エリオン達に残された真のラストミッション。 《じゃあ、オイラはこのへんで》 「待てっ! 逃がしはしないっ!」 《正義のヒーロー、火星と少女を救う……ベタだけど、それがいい。それがいいんだよ、ウシシ》 「リーイン、ティル! 警告はした、撃って! あいつを逃がしちゃ駄目だ」  エリオンが叫ぶよりも早く、再びシートへとリーインは身を沈めていた。そんな彼女がツインスティックを握るよりさらに早く、ティルが己の五体に鞭打ってスライプナーを構える。 《オタク等はほんと、無駄なことが好きだなあ》  嘲笑う声に反目するように、ニュートラルランチャーがゲージの限り天へと放たれる。  だが、やはり見えない壁が全ての射撃を無効化した。醜悪な毒蛇にも似た長大なバーチャロイドは、その異形を幽鬼のようにただよわせながら、徐々に高度をあげてゆく。 《端末の前でワクテカして待つんだね。オイラ、今回は張り切って編集しちゃうから。んじゃ!》  今まで空間の四隅に散らばっていた、ERL系と思しきビットが敵へと回収される。その長い長い胴体を構成する、コンテナの一つに収まる。そうして尾を翻すや、悪しき邪龍は無邪気な害意を乗せたまま、遥か天井の彼方へと飛び去った。 《地上に逃げるっ! させる、もんっ、ですっ、かぁーっ!》 《Vコンバーター出力全開、トリガーを三査殿に! 全ゲージ、解放》  絶叫するリーインを内包したまま、ティルが両足で大地を掴んだ。そのまま足を肩幅に真上へスライプナーを片腕で突き立て、行きがけの駄賃とばかりにばら撒かれる浮遊機雷の、その中央で逃げる敵影を捉える。  ――だが、巨大な光弾は虚しく機雷原に阻まれ、中空に炎の花を連鎖に爆ぜさせるのみ。  同時に全ての力を出し切ったリーインもティルも、言葉を失い制止に固まった。 《畜生っ! 畜生、畜生っ! アイツを逃がしちゃ、このくだらない茶番が本当に茶番で終るっ》 《三査殿、イメージ30%低下です。もっと言葉をお上品に。ですが同意せざるを得ません》 《あーもうっ、ティル! もう動けないの? こゆ時は気合と根性で動くのがお約束じゃない?》 《肯定です、三査殿。しかし現状、Vコンバーターのリスタートにしばし時間が》  その時、再度エリオンはキレた。  頭の中で何かが弾けて、感情と理性を繋ぐ太いケーブルが容易く切断された。普段から温厚で温和なエリオンは今、激昂に眉根を寄せて怒号を叫ぶ。 「リーインッ! エイスを……このガラヤカを頼む。ティル、スライプナーをっ!」  損傷著しい片腕のテムジンが、微細な震動に揺れながら立ち上がる。  残る左腕で、固まるティルの手から丁寧にスライプナーを引き取るや、エリオンは飛翔するイメージを爆発させた。たちまちスロットルを叩き込めば、ガタガタと揺れるマインドブースターから光が迸る。 《エリオン? ちょ、ちょっと》 《いえ、三査殿。ベストな選択です……オーフィル三査殿、グッドラック!》  武器を僚機のスライプナーに持ち変える。しかも左手に。エリオンは即座に光学キーボードを引っ張り出すや、素早いタッチで火器管制の設定を書き換えてゆく。その間もただ上を、前を向いてテムジンは飛ぶ。  火星の中心から地表に向けて、最後の敵を追いかけ浮上する。 「マッチング完了っ! 逃がさない……絶対にだ! 絶対に、逃がさないっ!」 《おひょーっ、追いかけてくるのかい? ボーナス映像でも撮ろうかな、オイラ》 「お遊びでやってんじゃないんだっ! 断固制裁、覚悟しろっ!」  入り組んだ坑道を右から左へ、縦横自在に。ゆるゆると飛ぶ敵を視界の中心に収めて、エリオンは全力でテムジンを飛ばせた。更に、手にするスライプナーを変形させるや、その上に飛び乗る。加速感が倍化してシートに埋まりながらも、白熱する装甲表面を感じながらエリオンは吼えた。  M.S.B.M.で処理しきれない意思が光となって、マインドブースターがオーバーロードに燃える。 「ぶち、当たっ、れぇぇぇぇっ!」  さらなる加速で巨大な刃と化したテムジンが、ブルースライダーで突貫する。  だが、敵はその外観からは想像もできぬ機敏さで、必殺の一撃を避けた。  エリオンは何枚もの隔壁をぶち破りながら、地表へと飛び出て―― 「……夜明けだ。アイツは……いたっ!」  払暁に燃える地平線から、巨大な太陽の下弦が離れんとしていた。燃えるような朝焼けを背に、空へ飛び出した隻腕のテムジンが身を翻す。スライプナーをマニュアルで無理に変形させ、本来は実装されてない片手でのラジカルザッパー発射体勢を取らせる。  目標はまるで楽しむように、ゆらゆらと眼下の穴から這い出て来た。 「こいつで決め――!? し、しまった、ゲージがっ!」  エース専用にチューニングされたエリオンのテムジンの、唯一の泣き所が露見した。全力全開で飛び、さらにそこから限界ギリギリのブルースライダーで迫ったのだ。既にもう、エリオンのテムジンに余力は無かった。 《はい、ざんねーん♪ エースの坊や、次はエンドクレジットで会おう! チャオ♪》  重力につかまったエリオンのテムジンが、真っ赤に燃える朝日の光に沈んでゆく。対照的に浮かび上がる長躯は、その尾で身をぐるりと取り巻きながら飛び去ろうとしていた。  だが―― 《先ずそうだな、最初の編集は……!? な、何だ? オ、オイラ今撃たれた? どこさ?》  エリオンも辛うじて知覚した。  真っ赤な太陽に小さな影が、此方へ向けて飛んでくる。正確な射撃で牽制を試みる、そのバーチャロイドは背に光の翼を羽撃たかせていた。  苦楽を共にし激戦を勝ち抜いた、懐かしい駆動音が視界に飛び込んできた。