まるで口から泡をふくように、監督の喚き散らす声が聞こえる。その動揺が伝わったように、周囲を囲むERLが挙動を乱す。黄金の毒蛇は今、身をくねらし反らしながら身悶えていた。  しかし構わず、シヨは背後で相棒の声を聞く。 「グリンプ・スタビライザー、強制パージ。マインドブースター、オーバードライブッ!」  瞬間、ビクリと身を震わせたテムジンの背から、小さな羽根を象るグリンプ・スタビライザーが弾けて爆ぜた。同時に、限界を超えたオーバーブーストを命じられたマインドブースターから、光が翼と迸る。  二人のテムジンはビリビリと微動に空気を泡立てながら、光の翼を羽撃かせ浮かび上がった。 《くそぉ、カット、カットだカット! リテイクだ! MARZは正義の味方じゃなきゃダメなんだ!》  既に監督の声は半狂乱で裏返り、ろれつが回らなくなっている。  シヨとルインのテムジンを完全に包囲しながら、膨大な数の浮遊砲台兵器群は混乱していた。 「監督さんっ、わたし達は正義の味方なんかじゃないです。でも、でもっ――」  中空でくるりと身を翻すや、翼のテムジンがスライプナーを構える。同時にシヨは、愛機に同調した視線で次々とERLをロックオンしてゆく。すかさずトリガー。  群なす蜂のように周囲を取り巻いていた敵意が、次々に火球と爆ぜて炎の花を咲かせた。  いよいようろたえも露な眼下の敵影へと、宙でテムジンが向き直る。 「胸を張って言えますっ! これが、わたし達のお仕事だって!」 《むぎーっ! まっ、まだ言うかお嬢ちゃんっ! クソォ、とんだミスキャストだ! NGだ!》  取り乱す監督の狂気が伝播したかのように、残るERLの動きが過激で複雑になってゆく。バル・ズィ・ナーガの長い胴体から、まるで無限に沸くがごとく浮遊機雷が射出される。それらは全て、怒り狂った乗り手の思惟を拾って、悠々と空を舞うテムジンに襲い掛かった。  だが、それをいなすシヨは平静だった。  思考が冷静に澄み切ってゆくのに、身体の芯は燃えるように熱い。静かに穏やかに、シヨの中で炎が燃えていた。秘めたる情熱は解放されるや、外気に触れて鮮やかに燃え上がった。 「おいでなすったぞ、シヨッ! ターゲット選定OK、マーカー順に潰せ」 「了解っ。任せて、ルイン君」 「こっちは奥の手のオーバードライブまで使ってるんだ、残り時間は三分も持たねぇぞ」 「大丈夫……ねえ、君。大丈夫だよね。もう少し、だけっ、付き合ってっ!」  シヨの語り掛けに応えるように、その強い意志に呼応するように、テムジンが自在に空を駆け翔んだ。その軌跡をなぞる様にすがる敵意を置き去りに、真っ直ぐと巨大なバーチャロイドに突進してゆく。  突貫、突撃と言ってさえいい。  待ち受けるように、敵の全火力がMARZ最後の一矢に叩きつけられた。  あらゆる角度から襲い来る攻撃を、殆ど回避するシヨ。ルインが補正を加えたテムジンは今、彼女の四肢も同然に動き、空中ですら大地を掴むような安定感で飛び回る。シヨは無意識に流れ出た鼻血が上唇を濡らすのも感じない。集中力は途切れない。限界まで研ぎ澄まされた意識が機体を疾駆させる。 「活動限界までカウントダウン開始。征けよシヨ! MARZ戦闘教義っ!」 「指導要綱? なら今、13番しかないよねルイン君っ!」  多次元軌道を縦横無尽に躍るテムジンの中で、シヨの呼吸がルインに重なった。  二人を内包した機体が自然と、手にしたスライプナーを変形させる。 《そうだっ、これは王道じゃない、お約束でもない……なら、オイラは負けない筈だっ!》  もはやその声は悲鳴にも似て絶叫を奏でた。しかしもう、それを聞き入れるものは居ない。  マーズブルーのテムジンは巨大な刃に変形したスライプナーに飛び乗るや、ブルースライダーでさらに加速した。絶え間ないアクセラレートに、光の翼が雲を引く。 《ラスボスを倒すのはいつだってヒーローだ。正義の味方だ。それが仕事だからなんて――》 「全関節ロック、誤差軌道修正……いまだ、シヨッ!」 「えええええええいっ!」  刹那、雲一つない蒼穹を光の翼が切り裂いた。 「MARZ戦闘教義!」 「指導要綱……13番っ!」  ルインの声を追ってシヨ。輪唱を響かせる二人の気迫。 「いちぃ、げきぃぃぃぃぃっ!」 「ひぃっ、さぁぁぁぁぁぁつ!」  被弾を繰り返しながらも増速するテムジンの中で、シヨとルインは気付けば叫んでいた。  二人の愛機が繰り出す必殺の一撃が、身を捩る醜悪な大蛇を胴から両断する。激しい接触音は一瞬……そして、一閃。鋭利な切断面が上下に別れ、バル・ズィ・ナーガの長躯が真っ二つに裂けた。  今ここに、監督の無邪気な悪行は完全に断たれた。 《違うっ、こんなのは違うっ! もっと王道を! お約束を――》  のたうつ長い長い尾にも似た下肢は、内臓された火器が誘爆して業火を連鎖させた。みるみる爆発がふくれあがり、それが宙を舞う上半身を吹き飛ばす。恐らく激震であろうコクピットの中から、監督は気でも違ったかのように声を張り上げていた。 「はぁ、はぁ……やった、かな。どう、ルイン君。当たった?」 「命中だ。それとな、シヨ。お前さん、鼻血出てるぞ」  肩越しに振り向けば、いつもの半目で、しかし息を荒げたルインが指をさしてくる。自分でも自分の顔を指差し、初めてシヨは鼻血に気付いた。M.S.B.S.を介して限界までバーチャロイドの性能を引き出したシヨは、負荷に耐えられなかったのだ。粘膜の弱い鼻腔の毛細血管が破裂し、鼻血はとめどなく溢れてパイロットスーツを汚す。 「ん、ホントだ。っと、それより」  ぐい、と鼻の下を拭う。拭ったそばから血で濡れる。  それでも構わず、シヨは愛機に最後の想いを重ねて願うようにスティックを手繰る。既に全力全開を使い果たしたテムジンは、そのままスライプナーから飛び降りる。そうしてゆっくりと、地上に転がるバル・ズィ・ナーガの上半身に近付いた。  疾風の如く地を駆けるテムジンも、今は弱々しくただ重い足取りで歩く。 「Vコンバーター出力低下、マインドブースター停止。左腕大破、関節一番二番……全部駄目だな」 「君、よく頑張ったよね。ありがと。ルイン君、あとチェックよろしくね。わたし、行かなきゃ」  無造作に赤錆びた大地に、異形のバーチャロイドの残骸が転がっている。そのすぐ目の前で片膝を突くや、シヨとルインのテムジンは動かなくなった。  シヨは迷わず相棒の頷きを拾って、ハッチを解放させるやセフティハーネスを外す。  外へと飛び出したシヨを、抜けるように青い空からの風がそっと撫でた。ヘッドギアを脱げば、ピンと伸びた額に一房の紫髪が揺れる。 「は、はは……おかしいや、これは駄作だ。オイラが撮ったフィルムの中でも最低のデキだ」  明らかな肉声が共有する空気を伝わった。  残骸のコクピットからは、這い出た監督がシヨを見上げている。 「監督さんっ、あなたを拘束します。大人しくわたし達に従ってください」 「……お約束じゃない。全然っ、王道じゃない。しまらないなあ」 「え?」 「ラスボスはこう、ヒーローにやられて爆発するんだ。こう、派手にドカーンとさ」  ぶつぶつと呟く監督は、両の手の人差し指と親指で四角を作り、掌のファインダー越しにシヨを見詰めてくる。そして再度「絵にならないなあ」と呟き、唇の端を歪めて釣り上げた。 「鼻血出てるよ、お嬢ちゃん。ヒーロー、いやヒロインとしてダメダメだ。はぁ」  抵抗する素振りも、逃げるような態度もないので、シヨはただ黙ってその脱力した姿を見下ろした。  遠くからサイレンの音が聞こえ、MARZの車両が近付いてくるのが感じ取れた。火星に生きる人類は皆、今日という日を何事もなかったかのように迎える……それが"救うべき明日"と信じて戦った者を大半が知らずに。  ここに、監督を自称する男の演出した限定戦争喜劇が幕を下ろした。