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「あーもぉー!ホントついてないー!」

 荒地同然の街道を、ガラガラと音を立てて走る馬車。辺境の地ココット村への道程を今、ゼノビアは猛スピードで驀進していた。積荷は取り扱い要注意のコワレモノ。討伐や捕獲に比べて、比較的危険度の低い運搬の依頼。それでも彼女が不運を呪う理由は、頭上で不穏な影が羽ばたくから。
 舌打ちを零して鞭を入れると、太ったロバが速度を上げる。それはしかし、迫る脅威に比べて牛歩の如く。幌を揺らす突風に煽られながら、車輪を軋ませ逃げるゼノビア。その直ぐ上空を巨大な怪鳥が過ぎる。

「女将さん、こんなの聞いてな…!?ひ、人がっ!?」

 不意に視界へと、飛び込んでくる人影。小柄な旅装の少女を前に、思わずゼノビアは手綱を絞った。上空に気を取られての前方不注意…みるみる迫る少女の表情が、今はもう手の届く距離に。驚き見開かれた、ラベンダー色の瞳さえも。

「!?」

 突如目の前に現れた馬車。その瞬間、咄嗟にトリムは身を投げ出していた。逆方向へ逸れた馬車は、そのまま道を外れてひっくり返る。緊張感に欠けた嘶きを一声残して、留め具の外れたロバが一目散に逃げ出していった。眼下の惨状を嘲笑うかのように、毒怪鳥の翼が宙を舞う。見上げるトリムは自然と、愛銃を手繰り寄せて封を切った。銃身保護用の油紙を解くのも、仕舞い込んだ弾薬を手繰るのももどかしい。

「このっ、なんて悪い子!…今、笑った?」

 毒怪鳥ゲリョス…ゴム質の表皮を持ち、刀剣類に強い耐性を持つ怪鳥。個体数はそれなりに多く、田畑を荒らしたりキャラバンを襲ったりしては、ギルドに討伐の依頼が舞い込む。ココット生まれでココット育ちのトリムには御馴染みのモンスターだったが。今上空を旋回するのは、ギルドが渋々銘入へ認定した、狡龍ゲリョスの銘を持つ特別な個体。
 刹那の合間に交錯する視線。羽ばたくゲリョスと眼が合って、トリムは背筋に寒気を感じて竦む。不思議と敵愾心を感じぬ、しかし怒りを逆撫でするような笑み。僅かにクチバシを歪めてウィンクするその表情は、どこか悪戯に悪びれぬ子供のよう。

「っとに性質悪なぁー、これだから狡龍ってば…キミ、怪我ない?」
「いや、オレは…ってかオネーサン。血、出てます。すっごく」

 馬車から放り出されたのだろうか?少女の直ぐ側で立ち上がる声。激鉄を引き上げマントを脱ぎ捨てると、トリムはその声の主を振り返った。そこにはスラリと長身の女性ハンターが、腰をさすりながら見下ろしている。微笑むその顔は大流血。人の心配よりも先ず、ゼノビアは自分の心配をするべきだった。指摘されて額を拭い、その手にベットリの血を見て眩暈。

「と、とと、取り合えず止血を…オネーサン?大丈夫ですか?」
「え、ええ…それよりアレを何とかしないとー、まったくもぉー」

 空へと向けられるトリムの銃口。それを遮り下ろさせ、ゼノビアはポーチをガサゴソと探った。その顔には、うんざりした表情がありありと浮かぶ。なにも今回に限った事ではない…ハンターズの間では有名なのだ。その鬱陶しさと狡猾さは。凶暴さと屈強さだけが、脅威になり得るとは限らない。

「キミ、ココット村のー?駄目よー、マトモに相手しちゃ…そーら、おいでぇー」

 独特の間延びした声で、ゼノビアは空高く腕を伸ばす。その手に握られた石…マカライト鉱石が陽光を反射して光った。上空で狡龍の翼が翻る瞬間、大きく振りかぶるゼノビア。唖然と成り行きを見守るトリムの前で、彼女は貴重な鉱石を躊躇無くブン投げた。嬉々としてそれを追う狡龍…その姿は瞬く間に飛び去り、満足気な一声を残すのみ。溜息で見送るゼノビアの傍らで、開いた口が塞がらないトリム。

「悪知恵っていうのかなー?ああして人から鉱石をせしめてるのよー、ビックリしたで…おろ?」

 軽い貧血。傷は浅いが派手に出血しているのだ。加えて今、男性諸氏も顔負けの投擲を見せたゼノビア。遂に彼女は、大きくよろけて膝を付いた。我に返ったトリムが駆け寄り支える。危機は去った…ミナガルデのハンターズにとっては、旅先の不運程度の危機が。

「頭いいんだ…あの子。人間を襲って逃がせば、また石が手に入るもんね」
「そーそー…まぁ狡龍にとってこれは、ちょっとしたお遊び。あー!そんな事よりー!」

 積荷を…ゼノビアは大げさによろめいて、震える指で馬車を指し示す。横転した馬車は、まだ車輪が虚しく空回り。うるんだ瞳の無言の訴えに押されて、トリムは納銃と同時にそっと近付く。恐る恐る覗き込む幌の暗がり。どうやらこの中に、よほど大事な積荷があるらしい。ゼノビアの口ぶりから、脆く壊れやすい物だと推測するトリム。

「嗚呼、もし割れてたらどうしましょう…貴重な飛竜の卵なのに」
「卵?ん、どれどれ…オネーサン、ちょっと待っ…!?」

 何かが動いた。思わず身構えるトリム。暗がりに慣れ始めた眼が捉える楕円の輪郭は、小刻みに震えている。それは初めて見る飛竜の卵。その大きさは、話に聞くより遥かに大きい。焔龍リオレウスと后龍リオレイアの卵と知らずとも、圧倒的な存在感から特異な命と感じるトリム。緊張しながら手を伸べたその時…固い殻の表面に亀裂が走った。

「どーぉ?ねね、キミ…卵、無事だったー?何かあったら私、女将さんに怒られちゃ…?」
「え、えと…その、あの…無事生まれたみたいです」
「そっか、無事かぁー。無事生まれ…!?……………………………………うそぉん」
「出ておいで…そんな暗闇に居ないで」

 生まれたての命が、ゆっくりとその瞳を開く。目を指すような最初の光は、一人の少女の影を刻んだ。

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