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「おいでメンチー、おいでおいでッス!」
「んもー!勝手に名前つけない!…こっちおいで、カー助」

 サンクがちらつかせる生ハムを振り切って。パタパタと小さな翼で、蒼い稚竜はメルへと向かう。飛ぶというよりそれは、辛うじて浮いている程度の飛翔。それでも彼は懸命に羽ばたき、育ての親の胸へと飛び込んだ。口々に違う名で呼ぶ、ハンター達の頭上を飛び越えて。

「ウホッ、大人気ダナ。ツーカデモイイノカ?ナァ、ぶらんかハドウ思ウヨ…」
「そうね…アスル、ってのはどうかしら?いい名前だと思わない?」
「…ぶらんか?」
「え?ええ、うん…良くないわね、あまり。良くないわ。そうでしょ?女将」

 カウンターの二人組みに苦笑を返す山猫亭の女将。メル=フェインはあの日、飛竜の卵を持ち帰ってはこなかった。そう、何も持ち帰りはしなかった…黒コゲになった友人と、生まれたての飛竜を連れ帰っただけ。そしてたちまち、メルの新しい家族は山猫亭のアイドルに…無論、パンチパーマになったサンクじゃない方が、である。
 だがしかし、今の状況を憂慮する者も居た。極めて珍しい火竜の幼体…それが今、山猫亭でハンター達に育てられている。しかもその鱗や甲殻は、普通の雄火竜とは明らかに異なっている。まるで古き伝説から飛び出てきたかのような、鮮やかな蒼。一目で亜種と見て取れるその存在は女将にとって、この上なく厄介な頭痛の種だった。そしてもう一人…

「勿論よろしくなくてよ?王城に知られたら事ですわ…ねぇ?いっちゃん?」
「…え?あ、うん…やっぱり良くないですよね」
「ふふ、メルを取られた気分?」
「!…そ、それもあるけど…」

 騒がしい酒場を人から人へ、様々な名で呼び親しまれる蒼火竜。それを取り巻く賑やかな仲間達を、一人つまらなそうに眺めるイザヨイ。女将やツゥ、ブランカの視線を感じて、その表情は何時もの穏やかさを取り戻す。だがしかし、つい先程まで…彼女は確実に、憂鬱そうな年頃の顔をしていた。

「嫉妬ダナ…俺ニハワカルゾ。角度デナ」
「いや、それは…ま、何にせよ大丈夫よ、いっちゃん」
「んー、私が困るのはね…これ」

 イザヨイはそう言って、手元を指差す。彼女が着こなすのは、ゆったりとした長袖のシャツ…その袖口はしかし、ぼろぼろに擦り切れていた。何事かと顔を近づけるツゥとブランカ。何かに噛み千切られたような、鋭利とは言い難い断面。それが誰の仕業かは、二人は容易に知る事が出来た。犯人が飛び込んできたから。

「あー、またー!いっちゃん、ずるいぃ〜」
「にゃはーんヂカラは偉大ッス」

 ガブリと袖に噛み付く稚竜。イザヨイが腕を上げても、それはシッカリとぶら下がる。いつも通り軽く振り回してみるが、いつも通り離れようとしない。諦めの溜息で見詰めれば、無垢な眼がイザヨイを映して輝いていた。既にもう彼女は、お気に入りを何枚も葬られている。今日もまた一枚。

「あら、懐かれてるわねぇ」
「そう見えます?クエスラさん…私ね、嫌われてるの。好かれても困るけど…」

 そう言って微笑むイザヨイ。その笑みに潜む僅かな翳り。だが、手元の稚竜にはお構いナシ。イザヨイに甘えるように身を寄せ、離れる事無くブランカを、次いでツゥを一瞥する。そして…クエスラと目を合わせた瞬間、彼はイザヨイの背中に隠れてしがみ付いた。人懐っこいこの竜も、決して山猫亭の女将には近付かない。何故か?それは…

「『血の臭いがするから』だそうよ?若い頃は派手に狩ってたみたいだし」
「あらブランカ…私、今でも若くってよ?でもね、昔はもっと若くて…その頃は砂漠や沼地も…」
「マタ始マッタオ…女将ノ昔話。大体、ソンナニぽんぽん銘入ガ倒セ…ン?ヨウ、オカエリ」

 ふと気付けば、酒場の入り口に見知った顔。褐色の肌が眩しい、長身に包帯の女性。手を振るツゥにバツの悪そうな、やや引きつった笑顔で応えて。続いて気付いた女将を見るや、その表情は完全に硬直した。依頼の完遂を信じて疑わぬ、女将の満面の笑み…それも直ぐに曇り、眉は押し寄せて額に皺を刻んだ。早過ぎる帰還者、ゼノビアの隣に…見知らぬ銀髪の少女が居たから。その胸に小さな命が、大事そうに抱かれていたから。

「ちょっと!どうなってますの?何でこんな…嗚呼、折角手を打ったのに」
「だ、だって女将、あの、その、途中で狡龍ゲリョスに襲われて…」
「だからって連れ帰らなくてもいいでしょ?ここに置かれても危な…」
「懐いてるんです!すっごく!…引き離せないじゃないですか」

 暫しのやり取りの後、女将は新顔の横顔を凝視する。珍しそうに周囲を見渡し、見知った顔を見つけて瞳を輝かせる少女。芯が強く利発そうな子だ…そう直感する。視線に気付いた少女はペコリと一礼。その胸では小さな雌火竜が、目と目が合うなりジタバタもがきだした。

「あ、でんこだ。ほらほらサンク、でんこがおるよ」
「おお!でんこちゃんじゃないスか!」
「あらメルちゃん、この子がトリムさん?」
「はっ、はじめまして!えっと、あの、あっ…蒼い子も居るんだ。んと、名前は…」

 ゼノビアに金貨袋を渡しながら。クエスラは悩みの種が倍増するのを感じていた。

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