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 それは"見合い"では無く"出逢い"だった。少なくとも彼女にとっては。だから結ばれ夫婦となって、望み望まれ母親になった。平凡だがささやかな幸せ…バルケッタ夫人は間違い無く、幸福の絶頂を享受し続けていた。愛娘が恐ろしい悪戯をしでかした時も、夫が王城にカンヅメになった時も。今日という日が来るまで、彼女の平穏を脅かす物は存在しなかったのである。

「麻痺しないッスね、アレ。あそこまでデカいと、きっと神経も超ニブいんスよ」

 屋敷の中央に位置するリビングを今、ドカドカと大股で歩く長身の大女。その身を包む甲虫製の鎧が、ガシャガシャと音を立てて揺れた。全身全霊で迷惑を訴え睨む夫人の、その険しい視線も何のその…テーブルのフルーツを勝手に掴むと、続く小柄な少女へ無造作に放る。神経ニブい事この上ないその振る舞い。

「っと、あんがと。落とし穴掘る訳にも行かないしね…こんな街中じゃ」

 真っ赤な林檎を受け取る少女は、それを軽く衣服の裾で拭きながら呟く。冷たい視線に気付くと、大きく開けた口を閉じて会釈を返した。無論それは、深い溜息で迎えられたが。彼女、メル=フェインもまた招かれざる客。サンクや他の仲間同様に。

「あらメル、つまみ食い?困ったコね…奥様、勝手口お借りします」
「目標、三丁目を突破。そこの角曲がったよ…二人とも急いでっ!」

 ブランカやイザヨイ…この者達はハンター。普段はミナガルデという辺境の町で、獣を狩ることを生業としている。それが何故今、王都ヴェルドへと赴いて来たのか?そして何故今、バルケッタ家に上がり込んでいるのか?夫人はその答えを求めて、思い出したように夫の書斎へ。その怒りも露に揺れる肩を見送り、ハンター達は勝手口から通りへと躍り出た。各々手には、麻酔弾を装填した、大小様々なボウガンを携えて。

「あなたっ!説明して頂戴!何ですの?あの連中。すぐ追い出してくださいましっ!」
「いやぁ珍しい!亜種でしょうか?この色、普通の雄火竜とは…あれ、どうしました?」

 堆く積まれた本の森に、その男は埋没していた。膝の上に蒼い稚竜を乗せ、ルーペ片手に観察中の様子…憤慨に湯気立つ愛妻へと、不思議そうな表情を返す。王立図書院に籍を置く彼は、カロン=バルケッタ。ミナガルデから腕利きハンターを呼び寄せ、好き勝手を許しているこの家の主。

「モンスターハンターなんか家に上げて!っとに野蛮で粗暴で…好きませんわ、あんな連中!」
「まぁまぁ、そう怒らないで下さいよ。アレを何とかしないと…ご近所にも迷惑ですし」

 ガタガタと小刻みに揺れる窓硝子を、顎でしゃくってカロンは諭す。物凄い剣幕で捲くし立てていた夫人は、何事かと窓辺へ歩み寄り…そして絶句。何故気付かなかったのだろうか?屋敷の前には、陽光を遮る山脈があった。それは地響きと共に、表の通りを闊歩する。

「大きな草食竜でしょう?市場で運搬用に飼ってるんです。どうも逃げ出したみたいで…」
「それでモンスターハンター達を?だからって家で好き勝手させて!」
「でもほら、大事な我が家と家族ですから。困るでしょ、壊されちゃ…ねぇ?ストラさん?」
「…嘘、まさか…アレ、この家目指して来てますの?」

 黙って頷くカロンは、眼鏡を外すと椅子に沈む。確かに件の草食竜は、塀に沿って通りを巡り…確実にこの屋敷の門へと近付いていた。残念ながらこの家には、バリスタも大砲も有りはしない。迫り来る竜は、備え付けのベルなど使う筈も無く…確実にあと数刻の後、その巨体で門をブチ破るだろう。

「アレは母竜なんです。ちょっとした手違いでどうも、彼女の卵が市場で売りに出されたそうで」

 あっ!と口に手をあて、心当たりを探り寄せるストラ。

「ストラさん、何でまた草食竜の卵なんか…しかもヘソクリまではたいて」

 妻がそれを買ったというのは、少し調べて直ぐに解った。上流階級の貴婦人達の間では今、美食と称して様々な味に挑戦する事が流行らしいが。だがカロンは、自分の妻に限ってそれは無いとは確信している。没落貴族の末娘として育ち、虚栄的なその手の暮らしに辟易していたのが彼女だ。そんな趣味は無い…筈。では何故?

「母親って、解るんでしょ?…大事な我が子ですから。ねぇ、ストラさん」
「あなたが研究に必要だって…でもなかなか手に入らないって。仰ってまし…!」

 不意に抱き締められた。突然の出来事に目を瞬かせるストラ。迫る巨竜の足音よりも、今耳に響くのは高鳴る鼓動。開放された蒼稚竜がバタバタと羽ばたき、ドアの隙間から逃げ出していった。直ぐに再び、囚われの身となり抱き締められるが。小さな小さな幼子は、両親を心配そうに見詰める。

「痛いですわ、あなた…ごめんなさい」
「そうでしたか…ありがとう、ストラさん。でも、返してあげましょう。母親に…ね?」

 胸の中で小さな頷き。同時にドアの外で、バタバタと駆け出す小さな足音。遠ざかってゆく愛娘は階段を駆け下り、同時にリビングが騒がしくなる。子供は日々の暮らしに敏感だ…何でもない日常を大人達が満喫していても、些細な変化を見逃さない。例えば、突然家に運び込まれた大きな卵とか。

「おねーちゃん、ママがね、かえしてもいいって!これ、かえしてあげて」
「良かったスねぇ、これでお家もパパもママも安心ッスよ!」
「優しいママで良かったね、エクラちゃん…パパはちょっと頼りないけど」

 卵を抱えたメルを伴い、巨大な草食竜が踵を返した。その横では、市場の責任者に頭を下げられながら、ブランカがあれこれ交渉して報酬を引きずり出している。危機は去った…それはただ、子を思う親の気持ちが具現化したに過ぎない。だから代々伝わる屋敷の、その由緒正しい門が半壊してても。バルケッタ夫妻は二階の窓辺に互いに寄り添い、目を細めて去り行く草食竜を見送った。

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