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「ラァァァムジィィィィィッ!てめぇ、今日という今日はっ!もぉ許さねぇ!」

 響き渡るキヨノブの怒号。最低ランクの客室から現れた彼を、酒場の誰もが振り返った。そこにもう、王国の騎士を思わせる気品と礼節は感じられない…元からありはしないが。ここは荒くれ者のハンター達が集う、アウトローの吹き溜まり。今やキヨノブは、立派な新米ハンターだった。

「女将っ!あのクソ猫、何時クビにすんだ?」
「あらやだ、お下品…怒鳴らないで頂戴。クビ?どして?猫の手も借りたい程忙しいのに」

 眠そうに目を擦る女将へと、凄い剣幕で突っ掛かるキヨノブ。大げさな身振り手振りで彼が訴えるのは、山猫亭の従業員に対する不満。それを指差し見やって、酒場の常連は口をそろえて呟いた。昼間の女将に何を言っても無駄だ、と。ミナガルデの夜の女王も、昼間は退屈そうにクエストの手続きをこなすだけなのだから。

「めるめる、何か揉めてるスねぇ〜…うほっ!今日はカニ!?豪勢スね」

 真っ赤に茹で上がったカニの、細く長い足をもぎながら。サンクは舌鼓を打つ合間に呟いた。無論、彼女が酒場の騒ぎに興味を持とう筈も無く。一言触れるなり後は、凝縮された旨みを貪る作業に没頭した。何時の世も人は、カニを食べる時は無口になるものだ。

「むふ、お昼位静かに食べればいいのに…ありゃ?カニなん?ま、いっか」
「全くニャ!駆け出しハンターは余裕が無いから嫌ニャんよ」

 テーブルに座り込む蒼竜へと、カニの足を差し出しながら。ふとメルは、直ぐ隣に聞き慣れぬ声を見た。空いた席に図々しくも、一匹のメラルーがよじ登っている。彼は卓上のカニを良く吟味した後、素早く手に取って足をもぐ。馴れた手付きで殻を剥き始めるのを見て、メルは無言で蒼竜と頷きあった。

「痛っ!痛い!痛いニャ!ちょ、待っ…イタタタタッ!もげる、もげるニャ〜」
「んあ?どしたスか、めるめる…誰それ」
「ん、カニ泥棒」

 肉球に食い込む鋭い牙。蒼竜に齧られ、黒猫は涙目で悲鳴を上げた。だが、決してカニは放さない。その根性にサンクは共感を抱いたが、取り合えず無言でカニを取り返す。それが与えられる事で初めて、蒼竜は牙を引いて黒猫から離れた。

「カニ泥棒は酷いニャ…でも御嬢さん方。カニ、美味いかニャ?」
「んもぉ、最高ッス!」

 再び伸ばした歯型付きの手。それをメルにピシャリとはたかれながら。謎の黒猫は饒舌に語りだした。卓上に未だ多くの足を残し、更には上質なカニミソを蓄えた海洋甲殻類…エレファントタラバガニの魅力を。無論誰も聞いては居ないが。
 エレファントタラバガニは、北海に生息する希少種。その身は炎も凍るような極寒の海で、絶え間無く荒波に揉まれて締まっている。濃密な旨みエキスを凝縮した、深海の宝石箱…屈強な海人のみが狩り得るそれは、一杯で火竜の逆鱗と同等の価値があるとか。一口食して目を瞑れば、忽ち美食の楽園へと誘われるであろう。

「詳しいスねぇ…めるめる、ミソ食べていいスか?」
「お食べー、カー助も食べれ…あ、解った。コック?この猫」

 高らかに演説を打っていた黒猫は、メルの一言に不意に黙る。

「あれ?違うスか?」
「ああ、メラルーだからニャ」
「…メラルーなら仕方ないね」

 獣人族の中でも唯一、人間との共存が確認されているアイルー族。その中において、黒毛の種のみ別個に扱われていた。旺盛な好奇心を持ち、悪巧みに長けた黒い悪魔。狩人達曰く"死んだ黒猫だけが良い黒猫だ"…メラルー族とはつまり、人間にとってそういう存在。キヨノブの激怒もなにも、特別に大げさな事では無かった。本来なら、ミナガルデの街に居る事自体が特異なのだから。

「ま、まぁ…いつか立派なコックになるニャ。だから覚えておくニャ、我輩の名は…」
「ラァームジィー?ククク、ここに居たか…覚悟出来てんだろぉな〜?」

 哀れラムジー…首根っこを捕まれ吊るし上げられる。

「そかそか、ラムジーって言うスか…ん?どこかで会ったような…」
「キヨ、勘弁しなよ?外じゃ悪さするかもだけど、街じゃ黒毛も白毛も無いっしょ」
「メルちゃんよぅ、今日ばっかりは勘弁ならねぇ!俺の大事なカニを…カニを…おぉ?」

 甲羅をこじ開けるサンクの手が止まった。メルも言葉を失った。乾いた笑いを浮かべるラムジーの、その細い髭だけが僅かに揺れる。気まずい沈黙で互いを見渡す四者…午前と午後の狭間で、女将は大きな欠伸を零した。賑やかながらも平和な昼下がり、狩人達の日々は穏やかに折り返し始めていた。

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