《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》

「あでで…クソッ!折れてやがる!畜生っ!畜生畜生!」
「お、俺の腕ぇ!このアマ、何しやが…ひっ!ひいいいっ!」

 朝に夕にと賑わう市場も、深夜は一時静まり返る。日の出は遥か先なれども、すぐにまた労働の活気が戻ってくるが。それでも訪れる刹那の静寂を、男達の粗野な悲鳴が切り裂いた。ここは市場の外れにある、貯蔵庫が並ぶ一角。ミナガルデでも人通りが少ない空白地帯。

「まっ、まま、待て…待て待て!OK、取引と行こうぜ?無駄な争いはしないのがハン…痛っ!」

 最後の一人が今、交渉も虚しく地べたを舐める。雁首そろえた男達は皆、街でも評判の悪い小悪党。その全てを苦も無くあしらうのは、妙齢の女性ただ一人。降り注ぐ月明かりよりも白い肌に、琥珀色を湛えて輝く双眸。翠緑色の髪をかきあげるその顔を、その場の誰もが知っている。同時に、普段の彼女とのギャップに驚き…そして気付くのだ。その手に握られた大鎌と、その身を包む衣の意味を。

「ま、まさか女将…いや、違…ギルドナイト?噂は本当、だっ、た?」
「ギロチンの魔女!」「鋭龍殺し!」「ドラグライト・アーム!」
「殺人デンプシーげふぁ!」「怪力無双の売れ残ごふっ!」「ミナガルデのすっぽん婆がふぉ!」

 立て続けに男達の悲鳴が響いた。

「失礼しちゃいますわ…もっとこう、言い方にも気を使って頂戴」
「あニャ〜、事実だけに容赦無いのニャ。大丈夫かニャ?いい音したニャ」
「な、何故ここがばれ…!て、手前ぇか!ラムジー!」

 悪漢達の恨み言に怯んで、ラムジーは白いマントの影へ。それを羽織る女将は今、暫し夜の顔を緩めて苦笑していた。一部誇張があるものの、それらは全て自身を指す名…今では、どれも懐かしい響き。全て過去の遺物に過ぎないが、嘗てそう呼ばせた力は未だ、クエスラ=カーバイドをギルドナイトの座に君臨させている。

「ゴホン!…貴方達、夜明けまでに街から消えなさい。後は私が始末しましてよ?」
「始末?ハン、俺等があらかた引っぺがしたんだ…もう死んだも同然よイデデッ!」

 クエスラは処分を言い渡すと、男達を押し退け倉庫の前へ。重々しい扉を開くと、酷い腐臭が夜気に混じった。同時に零れる低い鳴き声…それは彼女にとって聞き慣れた、怨嗟と呪恨の吐息。
 最初に気付いたのは工房の年寄り達。ここ最近、明らかに一部の素材が出回り過ぎていたのだ。それ程稀少な品でも無い為、多くの者は気に留めなかったが…気に留めた僅かな者達の中に、山猫亭のコックを自称するメラルーが居た。恐らく誰かが禁を犯した。飛竜を連れ込み、過剰に剥ぎ取っていたのだ。

「女将、居たニャ!やっぱりバサルモスだったニャ」

 暗い倉庫の奥で、月明かりを反射する双眸が輝いた。僅かに身じろぐ岩竜は、重く滴る体液を撒き散らして唸る。夜目の利くラムジーは眼を凝らし、次いで余りの惨状に飛び退いた。まだ小さく、草食竜程の大きさしかない鎧竜の幼生。拘束杭を体中に打ち込まれ、全身の甲殻や鉱石を毟り取られたその姿…生きているのも不思議な程に凄惨な光景だったが、クエスラは眉一つ動かさない。

「…あの子達なら、何て言うかしらね」

 疲れたような独り言を一つ。続いてクエスラは、自問自答に一人笑う。メルやトリムならば、惨状を目の当たりにした瞬間にはもう…言葉より先に飛び出している。例え助からぬ命と知っても。猛々しく狩っては竜を打ち倒す、その一方で…彼女等若きハンター達は、飛竜への畏敬の念を決して忘れない。外で両の手を完全に砕かれ、ハンター生命を絶たれた男達と違って。

「イデデ…まだ子竜だし、あの通り瀕死だ…街で暴れる事もねぇよ…!?」

 不意に充血した目を見開き、バサルモスの咆哮が闇夜を震わせた。所々骨まで抉れたその肉体が、大量の体液を撒き散らして起き上がる。食い込む拘束杭に繋がれた鎖が、音を立てて千切れ始めた。深手に喘ぐ死に損ないながらも…ここに居るのは間違いなく、人類を遥かに凌駕する飛竜なのだ。それを忘れた愚か者は、どの道この街では長生き出来ない。

「ラムジー?扉、閉めて頂戴」

 純白のマントを翻して。クエスラは手にする巨大な大鎌…ダークトーメントを翳す。その眼差しが睨む先には、今正に縛鎖を抜け出んとする岩竜の姿。まだ子竜?あの通り瀕死?そんな言葉が通用する飛竜は、この世界の何処にも居はしない。死に直面して今、竜の子は選択した。座して死を待つより、その死に抗う事を。訪れた死とは即ち…同族達の血臭に塗れた、目の前に立つ人間の女。

「許しは請わないわ。でも…」

 ゴトン!一撃で転がる岩竜の首。同時に噴出す大量の返り血を浴びて。ふとクエスラは、最近若い連中が可愛がってる一対の稚竜を思い出した。竜は皆、人間より遥かに優れた嗅覚を持つという…だから決して、クエスラには近付かないのだ。長年に渡る狩人生活によって、体の隅々に染み付いているから。数え切れぬ同族達の血が。
 この日、ミナガルデのハンターが数人減った。否、元から居なかったのだ…生死に関わらず、素材目当てで飛竜を、人の生活圏へと連れ帰るのは重罪。それが解らぬ輩に、ハンターを名乗る資格など有りはしない。ただ、それを知り、解り感じながらも。稚竜を可愛がる若きハンター達が居る。ギルドナイトとして、何時かは決断を下さねばならない…クエスラの溜息は深く、深く深く月夜に溶けていった。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》