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「野生の飛竜を人の生活圏に持ち込まない…これ、ハンターズの掟ですよねぇ」

 やれやれと肩を竦めて、マーヤは呆れたように溜息。優位であればある程、彼の饒舌さは勢いを増してゆく。無慈悲な正論も今は、建前である以上に重い。模範的なハンターで通るイザヨイにとっては特に。故に誰もが、その言葉を待ちわびる。普段と同じく凛として、理路整然と論ずる声を。だが…

「そ、それは王城でも同じ事で…」
「屁理屈はいいですから。ほら、早く…大事になれば家名も傷付くだろうし」

 マーヤが一歩踏み出れば、イザヨイが一歩下がる。不思議そうに覗く幼竜の首を、その都度引っ込めさせながら。家の名が出て動揺し、反論の糸口も言い出せぬまま…身を硬くしてイザヨイは睨む。冷たい瞳の少年を。背丈も年も変わらぬ筈が、迫るマーヤが心なしか大きく見えた。

「生まれて育った家がある…いいじゃないですか。たかがトカゲでふいにしなくても」
「えっ…あっ、駄目ぇ!」

 一瞬の翳りと、零れた一滴の呟き。自信に満ち溢れた表情が、僅かに曇ったその刹那。イザヨイの細い身体を避けて、マーヤは幼竜の首根っこを掴んだ。後はもう、そのまま高々と宙へ吊り上げる。自分の迂闊さを呪いながら手を伸べるが…イザヨイが再び幼竜を取り戻す事は適わなかった。周囲から巻き起こる悲鳴と怒号。

「こらー!メンチを返すッス!こ、この…この…ええと、び?び…美少女小僧ー!」
「悪いコね…まったく!止めないでよ?ツゥ…少しお灸を饐えたい気分だわ」
「止メネーヨ。ツーカ、コノ人数ドウヤッテ止メルヨ?ン?ソレニ…俺も気に食わねぇな!」
「そうだそうだ!女の子に乱暴して!お前っ、それでも王国の騎…あっ、こら!」

 周囲から巻き起こるブーイングと非難。それも意に返さず、マーヤは用意された麻袋へと幼竜を放り込む。未だ現状飲み込めず、緩慢にモソモソもがく蒼い幼竜…その細い首を離したマーヤの手に、突如として激痛が走った。思わず顔を顰めて目を落とせば、手首に齧り付くもう一匹の幼竜。
 強靭な顎が齎す、焼けるように熱い痛み。失せてゆく感覚を見せ付けるかのように、白い服へ滲んでゆく鮮血。燃えるような瞳で睨みながら、シハキは少年の腕へ牙を立てる。慌てて駆け寄る周囲の騎士達の、その巨体をすり抜けて。トリムは自然と飛び出していた。その手を放れた友人を追って。

「マーヤ殿っ!ええいコイツ、放れんかっ!」
「少々お待ちを…今ひっぺがします!」
「っ!…いや、いい。大丈夫…ふぅ、女の子に乱暴…か」

 気遣う騎士達を制して、マーヤはそのまま右手を突き出す。今正に、飛び掛らんとするトリムの鼻先へ。未だシハキは、低い唸り声をくぐもらせて牙を剥く。流れ出した血は遂に、雫となって床へ滴った。未だ嘗て、見た事もない友人の怒り…手を伸べて思わずトリムは怯む。それは紛れも無く、気高くも獰猛なる竜の眷属。その手に抱いて共に暮らす、親愛なる友人の真の姿。

「シハキ、放して…本気で噛んだら千切れちゃう。オレ等、そんなに強くないから…」

 怒れる瞳がギロリと睨む、その先にトリムの哀しげな表情。それは確かに、ひ弱な人間を見詰める竜の眼。潜在的な野生が滾り、トリムすら敵意の色で一瞥する。それでも、おずおずと伸びる小さな手が触れ、シハキに馴染んだ温もりが伝わった。落ち着く呼吸に合わせるように、何度も瞼を瞬かせると…その牙はゆっくりとマーヤから放れた。

「姫殿下が仰る蒼い奴は確保出来た。今日はこれでよしとしなければ、ね」
「撤収!王城へ帰還する!…おい、こいつを持ってくれ。結構暴れるから気をつけろ」
「ワ、ワシがであるか!?よ、よよ、よし、任せるである…むぅ、結構重いのであるな」
「待って、お願い…連れてかないで…」

 僅かにテンションの落ちたマーヤは、それでも騎士達を伴いローブの裾を翻す。弱々しく懇願する、イザヨイの声を振り切って。暴れる幼竜を入れた、激しく揺れる麻袋を土産に。勝ち誇るように去り行く騎士団の面々を、ハンター達はただ睨んで送る他無い。

「待ちませんよ。この件は厳重に抗議します…ハンターズギルドと大蛇丸家へ。それでは」

 今正に、山猫亭の誰の手からも。蒼い火竜の子供が連れ去られようとしている。無論、普段から敬遠していたイザヨイの手からも。皆が皆口々に、思い思いに付けた名で呼ぶ中…蘇る追憶。去り行く翼の色は蒼。あの日泣き叫んだ名が、喉の奥から込み上げてくる。

「…戻って…おいで?ね?」

 暴れる麻袋は静かになった。それを誰も気付かせず、屈強な騎士の背に担がれてゆく。過去と同じように、理不尽に奪われつつある友人へ、イザヨイは手を差し伸べた。どうしてもっと早く、その名で呼んであげなかったのだろう?失う事を恐れるのは、何かを無くすと思い込むから。ただ全てが在るべき場所へ、在るべき姿で還るだけなのに。あの日はそうだったのだ…ただ今は、その時ではない。

「そっちじゃないよ…戻って…戻っておいで!蒼丸っ!」

 突如巻き起こる紅蓮の炎。驚く騎士の悲鳴と共に、音を立てて燃えあがる麻袋。その眩い光の中より、翼は空を裂いて舞い戻った。あの日の分も想いを込めて、懐かしい名で呼んで抱き締めるイザヨイ。彼女は間髪居れずに奪い返そうとする、大柄の騎士から身を丸めて蒼丸を守る。もう決して放さない…硬く眼を瞑る彼女の側で、弾かれるように吹き飛ぶ男。誰もが呆気に取られる中、シハキだけが溜息のように火花を吐いた。

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