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「それにしても女将、アンタがギルドナイトだったとはな!」
「普通のオバ…ネーチャンじゃないと思ってたけどよ」
「しっかし凄ぇな、あの鋭い突きを素手でなぁ」

 更けゆく夜を彩る狩人達の喧騒。宵闇に光を零しながら、山猫亭の酒場は普段にも増して賑わっていた。その中心では珍しく、カウンターを離れて微笑む女将。周囲を囲むハンター達は皆、尊敬の眼差しを輝かせる。

「ニャハハ、照れるニャァ。ゴホン!そもそもギルドナイトとはニャにかと言うと…」

 主人の誉れが嬉しいのか、ラムジーはクエスラの包帯を巻いた手を掲げて、誇らしげにアレコレ語りだした。盛り上がる酒宴は次第に、我が身に残る傷跡の自慢へ…自称"名誉の負傷"を持つ者達が、我先にと脱ぎ出しては、有る事無い事語り始める。クエスラはそっとラムジーの手を離れると、かけられる言葉の一言一言に応えながらカウンターへ向かった。

「ほら、メル…クエスラさん戻ってきたよ?」
「う、うん…」

 イザヨイは立ち上がると、席を譲って人混みへ消える。二言三言交わした言葉の節々に、クエスラは少女の気遣いを感じ取った。蒼髪の少女に想いを託され、入れ替わりに椅子へ腰掛ける。微動だにせず俯く、メル=フェインの隣へ。蒼い幼竜がアギャアと一声…やはり怯えるように母親代わりの背中へしがみ付き、たおやかな金髪の中へと潜り込んでゆく。

「嫌ですわぁ…古傷なんか自慢しちゃって。ねぇ?メル」

 返事は無い。会話の取っ掛かりをしかし、焦らずクエスラは丁寧に探してゆく。勝手にカウンターの中へ入り込み、ボトルを物色しているサンクを見詰めながら。視線に気付いた酔っ払いは、赤ら顔をヘラヘラ緩めて戸棚へ手を伸ばす。どうやら女将の真似をしているらしく、グラスを二つ並べてボトルを置くサンク。

「…ごめんなさい」

 騒がしい店内の煙ったような空気へ、消え入るようにか細い声。じっと一点を見詰めて固まったまま、搾り出すようにメルは呟いた。膝の上で上着の裾を掴む、その小さな手に大粒の涙。

「いいのよメル…もう終わった事よ。ね?ほら、涙を拭いて」
「でもっ!クエスラさんの手…どしよ!メル、どしたら…」

 真っ赤に目を腫らして、何かに怯えるように。メルは叫んだ…泣きながら。我を忘れて獣のように、全力で繰り出した刃。明らかな殺意を込めた一撃は、結果的に誰の命も奪わなかったが。大事な人を傷付けてしまった。大事な人を守りたかったのに。言いようの無い後悔だけが、少女の心へ深く刺さった。驚き怯えた蒼火竜が、妹の所へと一目散に飛んで逃げる。

「クエスラさん、ギルドナイトなのに…利き腕、治らなかったらどしよ!」
「あら、コレ位平気でしてよ?すぐ治りますわ」

 気休めの一言にしかし、メルは納得しなかった。ただただ自責の念に駆られる少女へ、そっと手を伸べるクエスラ。抱く肩は小刻みに震え、その顔は血の気が引いて真っ青。普段の小生意気な笑みは何処にも感じられない。

「すぐ治る…ホントでしてよ?私が貴女にウソついた事あるかしらん?」
「…クエスラさん、いっつもウソばっかじゃん」

 根拠の無い自信に満ち溢れた、御馴染みの屈託無い笑顔。涙を拭いて鼻をすすり、メルはやっと面を上げる。泣きべそかいた酷い顔に、一筋の光明が差す。彼女の知る山猫亭の女将は、いつもお酒片手にウソばかり…時に北限の氷河で、時に南蛮の大地で。数多の飛竜を打ち倒し、多くの自然を踏破してきた昔話。今もう、その内容を微塵も疑う気にはならないが。確信の一言を強請るように、メルは何時もの口調で唇を尖らせた。

「あ、あらそうかしら…そうね、そうかもね。でも今度は大丈夫、ウソじゃありませんわ」
「…ホント?ウソついたらメル、怒るからね?」

 ええ、と頷き微笑んで。

「完治したら久々に、若いコに混じって狩りに出かけましてよ?メルやいっちゃん達とね」
「むふ、ブランク長いでしょ?メルが最新の狩場事情を…ん、でもクエスラさんって…」
「ギルドナイトは普通の狩りは駄目ニャ。そもそも正体が知れてもいけないんニャよ」

 穏やかな笑みに隠された、今後のクエスラを待つ道…それは無論、ギルドナイトの資格剥奪に他ならない。最愛の息子にすら、心苦しい思いを堪えて秘してきたが。もう、手の傷を気にする必要も無いのだ。長らく影からハンター達を守り、時に厳しく律して来た山猫亭の女将。その片翼はもう、失われつつあるのだ。気付いたメルの大きな瞳に、再び大きな涙が浮かび…クエスラは笑ってその柔らかな頬を抓る。

「ひゅえふらはーん!ひゃだ!ひゃっほ…やっと気付けたのに!守って貰ってるって!」
「ウニャ、こればっかりはしょうがないニャ…その内ギルドから通達がフニャ!何をするニャ!」

 誰ともなく手が伸び、突如ラムジーは皮袋に詰め込まれた。じたばたともがくそれは、蒼髪の少女に手渡され…固く口を紐で縛られた。日頃の鬱憤を晴らすように、猫詰め袋にドン!と肘を乗せて。にやにや笑ってキヨノブは声を張り上げた。イザヨイと目配せで頷きあいながら。

「で、誰がギルドナイトだって?俺ぁ都市伝説の類は信じてねーのヨ」
「ウホッ!きよタン気ガ合ウナ…ギルドナイト?ナニソレ、食エル?」
「何スかー!?食い物の話スかー!?どこ?なに?どこでなに?」
「クエスラさん、またメルにウソ教えてー!んもっ、メルは信じちゃうよ?むふ」

 うそつきー!と、笑って胸へ飛び込んでくるメル。その華奢な肩を抱き締めながら、クエスラは棚引く金髪に顔を埋めた。一滴の涙が見えぬように。女のウソはアクセサリー…ギルドナイトの存在などは、誰もが知らぬ振りを決め込んだ。ここに居るのは、ちょっと法螺話好きな宿屋の女将。皆が欲してやまないのは、それ以上でもそれ以下でも無いのだから。

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