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『その、ええと…大変申し上げ難いのですが…』
『里親を探そうにもちょっと…ええ、例えば施設とかなら…』
『何せ今までが今まででしたから。皆さん気味悪がられて…』

 難しい理屈を捏ねて、大人達が頭上で言葉を交わす。会話の節々に億劫な気持ちを滲ませながら。恐らくそれは、ハンターズギルドの職員だったと思う。俯き黙っていた当時と同じく、今のマーヤにも真実は解らないが。ただ覚えているのは、幼いその手へ伝わる温もり。責任を押し付けあうような男達を前に、彼の保護者は強く手を握った。

『つまり、ならず者連中の飼っ…育ててた子はいらないと。それがギルドの流儀かい?』
『そう目くじら立てないでくださいよ、ナルさん。我々としましても手は尽くしたんですが』
『大の男が簡単に、手を尽くしたなんで言うんじゃないよ』
『弱りましたなぁ…あ!これは助かった、なんていいタイミング!』

 男達は皆、足早に駆け寄り助け舟を請う。真新しい純白のマントへ翠緑色の髪を棚引かせた、一人の女性ハンターへ。今思い返せば、この時確かにマーヤは見ていたのだ…ギルドナイトの正装に身を固めた、後に義母となるクエスラの姿を。ただその時は、そして昨日までは。ギルドの紋章が刻印されたいでたちの意味が、全く解っていなかったが。

『…晴れてギルドナイト様かい?銘入を一人で倒したんだ、当然か…おめでとう、クェス』
『ええ。誰かさんの推薦もあったし、結局引き受ける事にしたわ…ありがと、ナル』

 擦り寄る男達と言葉を交わして、クエスラは憔悴しきった顔で前髪を掻き上げた。一流のハンターのみが迎えられる、狩場の秩序を護る者達…ギルドナイト。栄えあるその一員となり、限られた十二の席を一つ占める事となっても、彼女は疲れた表情で溜息を零す。その瞳は哀しみに曇り、この世の全てに興味を失ったかのよう。マーヤの知る人物とはまるで別人。

『嬉しい訳無いさね。ハンター生命を断たれたようなもんだからねぇ』
『いいのよ、どうせアイツと一緒になったら…ハンターは辞めるつもりだったし』

 失われたものは計り知れず、得られたものは虚しく侘しい。いつか訪れる日を覚悟していても、実際に訪れる瞬間を許容する事は困難。当時既に凄腕のハンターだったクエスラとて例外では無かった。それが今は思い出せる…始めて会った砂漠での表情とは、まるで別人の義母を。

『私にはもう、失うものなんて何もないわ…ふふ、坊やもそうかしらん?』
『…元から無い…何も。だから「なにも失くしてなんかない』…かぁ」

 よくもまぁ軽々しく、と。幼少のささくれ立った時期を思えば、今の自分でも赤面してしまう。だが、当時は本当にそう思っていた。今は…よく解らない。暗い自室に引き篭もって、追憶を掘り返してはその事ばかりを考えてしまう。昨日の出来事はどれもが、若き少年騎士をそうさせるには十分な破壊力。

「元から何も無い、って…良く言ったもんだ。ねぇ、ナルさん」
「まったく…ヤなガキだったさね。思いっきりひっ叩いてやろうと思ったよ」

 雷光虫を閉じ込めたランプが、不意にマーヤを照らし出す。以外にもまだ、ナル=フェインは王城に滞在していた。あたかも、彼の帰還を待っていたかのように。戸口に立つ彼女は、部屋の隅に膝を抱えるマーヤへ光を向け、溜息を零しながら近付いて来る。
 あれからもう、丸一日以上が経っていた。無様な敗北と同時に、叩き付けられた真実。義母は真の自分を隠し、第二王子はその真意を隠していた。ようやく築いた僅かな自信も粉々に砕かれた…自分と歳も違わぬ金髪の少女に。

「お生憎様、俺もう打たれましたから。初めてですよ…義母さんに打たれたのは」

 自嘲気味に笑うのは、いじけたマーヤの悪い癖だ。ナルは黙って傍らに腰を下ろす。

「そうかい。じゃあ覚えといで、マーヤ。殴る親も痛いんだよ…そういうもんさね」

 ランプを開け放つと、外気に触れて雷光虫が飛び立つ。番だったのだろうか…放たれた二匹の光源は、互いにじゃれあうようにぼんやり光って、そのまま見えなくなった。再び訪れた闇の中で、そっとナルはマーヤを抱き締める。同世代のハンター達に比べ、身も心も余りに華奢で未熟。

「どうしよう…僕、嫌いだって…義母さんの事、嫌いって…でも義母さんだって悪いんだ、だって」
「おや…『俺』はもうやめたのかい?しっかりおしよ、マーヤ。ホントにクェスが嫌いかい?」

 柔らかな胸に顔を埋め、僅かにマーヤは首を振る。今の今まで張り詰めていた空気が、まるで音をたてるように弾けて消えた。もう既に、期待のルーキー騎士ではいられない。震える背中を優しく撫でながら、ナルは黙って頷き抱き締めた。あの日、自分と同じ境遇…否、自分以下の境遇のマーヤを、クエスラは引き取ると言い出した。その瞬間から、ナルも決めたのだ。影ながら支え励ます、もう一人の母親に…母親ではない、それに相応する存在でいようと。

「そうかい、ならいいんだよ…さ、しっかりおし?強くなるんだろ?マーヤ」

 コクン、と小さく。だがしっかりと頷くマーヤ。その額に唇を寄せると、ナルはゆっくり離れ立ち上がった。

「あたしゃ明日帰るよ…ココットに仕事を残してるからねぇ。見送ってくれるだろ?ん?」
「えっ!?あ、明日!?…う、うん。じゃ、じゃあ今夜は…」

 慌ててマーヤが立ち上がる頃には、もう豪奢な金髪はドアの外に揺れていた。ナルは今夜の宿を城の外へ…マーヤが居ない間は客人として、あの第二王子に付き合わされて疲れたから。だがしかし、王城の工房や学術院を覗けたのは収穫だったが。久々に再会した筆頭書士も、快く相談に応じてくれたし…無論、結論は予想通り"無茶を通り越して無理"だったが。それほどまでに今、ココット村に迫る脅威は計り知れない存在。

「んじゃ、また明日…いいかいマーヤ。もっと強くおなりよ?剣士の強さはココで決まるさね」

 駆け寄るマーヤを優しく突き放し、その胸をドンと叩くナル=フェイン。

「強く…うん、俺っ!俺、もっと強くなるよ!強く…誰にも負けない位!」
「間違えずに頑張るんだよ…もっとイイ男におなり。そしたら…ふふ、楽しみにしてるさね」

 おやすみ、と互いに言葉を交わして。マーヤは惜しむその手で渋々ドアを閉じる。しかしもう、怯え落ち込む気持ちは無い…極めて明瞭にして簡潔な、たった一つの解決法を授けられたから。義母との拗れたすれ違いも、初めての苦い敗北も…自分も手駒に使った第二王子さえも。ただ自分が強くあればいいのだ。何者も寄せ付けぬ、比類なき無双の強さが。暗い部屋に残されたマーヤは、宵闇の夜に一人誓った。より強く高みを目指して、只管に我が身を鍛える事を。ナルの手が叩いた感触が、いまだ残るその胸に…ただ力を渇望する黒き炎を灯して。

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