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「チッ、あの馬鹿が…利き腕を」
「は?」
「いやいい、続けてくれ」
「…で、報告は以上です。あとは第二王子殿下の件ですが」

 少女然とした竜人族の女性が、額に眉を寄せ、ふむと唸って椅子に深々と身を預ける。その華奢な双肩に重責を担い、王国の未来を案じる王立学術院の長。筆頭書士エフェメラ=ブルーハートの姿をまじまじと見つめながら、トレントゥーノは黙って主の言葉を待った。

「もう少し泳がせる…確証が欲しい。警護とでも言ってスペイドを張り付かせておけ」
「解りました、ではそのように。お疲れのようですね、今お茶を淹れます」

 僅かに表情を崩して、自分を気遣うトレントゥーノ。その姿が隣室に消えるのを、机に頬杖衝いて見送りつつ。山積する難題から暫し逃避するべく、独り言の様にエフェメラは呟いた。

「伝説の蒼き飛竜…」
「少なくとも第二王子殿下は信じ込んでる様子ですが」

 鼻腔を擽る紅茶の香りと共に、トレントゥーノの声がエフェメラに届く。自分と同じ分析を聞かされ、彼女は深い溜息を吐いた。王国の次代を担うであろう第二王子殿下が、御伽噺の類を信じているなどと…あまつさえ、それに頼って野心を滾らせるなどと。王国の安泰を願うエフェメラにとって、頭痛の種以外の何物でもない。
 だが、伝説の蒼き飛竜を御伽噺と一蹴する理由もまた、無い事は確かで。その事がエフェメラを一層悩ませていた。王立学術院が世界の各地で得た、余りにも共通点の多い幾つかの神話や伝承。その中の一つに、伝説の蒼き飛竜の物語…俗に言う"唯一の翼"がある。

「唯一にして絶対の翼、その蒼き羽ばたきは世界を変える…か」
「焔龍の子は見たところ、普通の火竜亜種でしたけど。強いて言えば妙に人懐っこ…」
「エフェメラ!何やら珍しい、蒼火竜の子が巷に居るそうじゃな!わらわに詳しく話すのじゃ!」

 執務室の重々しい扉が、突如勢い良く開け放たれて。豪奢なドレスの裾を持ちながら、人形のような少女が飛び込んで来た。王立学術院の最高責任者を平気で呼び捨てにする、彼女こそこの王国の姫君。我侭で有名な第三王女その人である。エフェメラは頭痛を表現する擬音に、濁点が増えるのを感じた。

「これは王女殿下、残念ながら筆頭書士殿は今、激務で手が放せなく…代って自分が」
「誰でも良い、はよう聞かせい!よもや伝説の蒼火竜ではあるまいな?」

 来客用のソファに行儀良く座ると、お茶を運んで来たトレントゥーノを急かす第三王女。そう、本来ならば第三王女位の年頃の子供が、子守唄代わりに聞かされ胸をときめかせる御伽噺なのだ。世に言う"唯一の翼"…伝説の蒼火竜に纏わる話は。
 遥か昔、今では神話の時代と呼ばれる旧世紀の終わりに。世界の危機を救ったという蒼い翼…その真偽の程は、今となっては知る手立ては無いが。人の手による創作だと言い切るには、何の物証も得られていない。そして仮に事実だとするならば…世界を救うというその力は、一部の人間を熱烈に魅了するだろう。

「すると今、ミナガルデにその蒼火竜は居るのじゃな?」
「御意に御座います、王女殿下」
「大儀である!マーヤに命じて、是が非でも手に入れるのじゃ…こうしてはおれぬっ!」
「あっ、王女殿、下…行ってしまわれました、どうしましょう?エフィ」

 出された紅茶に手も付けず、第三王女は弾丸のように飛び出していった。余りにも突然の事に、呆気に取られて主を振り返るトレントゥーノ。エフェメラはこめかみを細い指で押さえながら、やれやれと首を振る。が、悠長に第三王女の我侭に困ってもいられない。何故ならもう、その我侭は一度叶えられかけたのだから。

「ぜぇ、ぜぇ…ああ、トレントゥーノ君!と、エフェメラ様。こ、此方に第三王女は…」

 さてどうしたものかと、顔を合わせて思案に暮れる二人の前に。開け放たれたままのドアから、赤毛の書士が息を切らせて現れた。恐らく第三王女を追い掛けて来たであろう事は、想像に難くない。少々頼り無いが…とエフェメラが目配せすると、トレントゥーノも阿吽の呼吸で小さく頷く。

「王女殿下なら先程までいらっしゃいましたが…」
「カロン、王女殿下をお止めしろ。我侭も大概にして貰わねば困るとな」

 カロン=バルケッタが重い足取りで、トボトボと出て行く。その背に受難を擦り付けて解決とし、とりあえずは胸を撫で下ろすエフェメラ。先日の一件以来、第三王女の若き騎士は、一心に剣に打ち込んでいるから。今、再びそんな話を持ちかけられれば、喜び勇んで飛び出して行くだろう。これ以上ハンターズギルドと王国の間に、不必要な緊張を作る事は避けたかった。

「お茶、冷めてしまいましたね…淹れ直してきましょう」

 ん、とだけ短く返事して。しかしエフェメラには、解決するであろう案件に安堵する余裕は許されない。第二王子の野望を突き止め、西シュレイド王国を守らなければならないから。何より、ナル=フェインより相談を持ちかけられた、王国全土を揺るがす大災害に関しても…王立学術院の長として、出来る限りの善処を尽くさねばならないだろう。ある程度の犠牲を払ってでも。

「無茶を通り越して無理、か」

 憂鬱の魔女の通り名を持つ、冷静沈着な筆頭書士は…その名の通り憂鬱な面持ちで、窓辺に立ち上がった。広がる城下の景色は平和その物で、これから訪れるであろう災厄を知る由も無く。ただ穏やかに眼下に広がっていた。

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