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「御主等!マーヤが此処に来ておらぬか?」

 突然の来訪者にしかし、動じる事無く落ち着いて。先ずは整理していた資料を丁寧に片付け、スペイド=アイザーマンは即座にネフェル=アイザーマンの口を塞いだ。言葉にならない声の妹を小脇に抱えたまま、小さなこの国の姫君に頭を垂れる。一介の書士にしては完璧過ぎる、臣下の礼を体現したその振る舞い。

「御機嫌麗しゅう御座います、殿下。残念ながら此方には…」
「そうであるか…では見かけたら、わらわが探していた旨を伝えてたもれ」

 よしなに、と言うが早いか。第三王女は踵を返すと、慌しく部屋を飛び出していった。うやうやしく見送るスペイドは、快活な声が駆けて行くのを確認して、静かに妹を下ろす。その口を塞いでいた大きな手が離れると、ネフェルは堰を切ったようにまくし立てた。

「スペイド酷いっ!これは姫様が、この世で数少ない自由に出来る持ち物なのに!」
「これこれネフェル、言い得て妙ですが言い過ぎですよ…さ、もう出てらっしゃい」

 小さく溜息を吐くスペイドに促されて。ネフェルが指差す本棚の影から、一人の少年が姿を現す。年端もゆかぬ書士見習いに、第三王女の持ち物呼ばわりされた彼はしかし、気にした様子も無く周囲を見渡して。遠ざかる主の声に安堵し、ほっと胸を撫で下ろした。第三王女警護隊の若き騎士、マーヤ=カーバイド。

「助かりました…この間から何故か機嫌ナナメで。俺、また何かやらかしたのかなぁ」
「呆れた、アプケロス並みのドンカン…だいたいお前、姫様がフガ、フガガ」
「それはそうとマーヤ君、珍しいですね…殿下のお使い以外で学術院においでとは。何か用事でも?」

 再び妹の口を押さえたスペイドに、マーヤは黙って剣を放る。思わず癖で、馴れた手つきで受け取って…おっといけない、と思い出したように落として見せたが。そんなスペイドに、噂が真実であると確信を得て、マーヤも腰の剣に手を掛けた。微妙な沈黙に、ネフェルの押し殺された声が響く。

「妙な噂を聞きました…王立学術院の書士に、騎士団の誰も敵わぬ剛の者が居ると」
「それはまた…確かに私達は危険な現地調査を行う事もありますが。さて、誰の事やら」
「とぼけても駄目ですよ、スペイドさん。是非お手合わせを…勿論、手加減ナシで」
「困りましたね…仮に噂が真実として、更に私がそうだと仮定して。何故です?」

 俺は強くなりたい!…剣が鞘を走り、マーヤの答えを反芻するように輝く。城内で騎士達が帯剣する、武器というよりは装飾品に近い代物だが。振るい手の覇気を宿して、その切っ先は驚く程に鋭い。鼻先に剣を向けられ、スペイドは黙って眼鏡のブリッジをクイと指で押し上げた。反射する光がその瞳から表情を奪う。

「ならば問いましょう、若き騎士よ。何故強さを望むか?誰が為に力を望むか?」

 突然突き付けられた問答に、面食らって黙るマーヤ。まだまだ騎士として未熟な彼は、その問いに対する答を未だ持ち合わせていなかった。深く考えた事すら無かった。誰が為に…暫し考え込むマーヤを見下ろし、相変わらず何か喚いているネフェルをそっと放すと。振るい手の内面を映す様に、揺れる剣先を指でつまむスペイド。

「その答を見つけた時…私は何時でも、本気で御相手しましょう」
「スペイドが本気出したら凄いんだからね、お前なんかメチャンメチャンのモガ、モガガ」

 剣を離れた手が三度、ネフェルの回りすぎる口を塞ぐ。スペイドが触れた剣は、マーヤが気付いた時にはグニャリと先が折れ曲がっていた。儀礼的なお飾りの剣とは言え、容易い技では無い。噂は本当だった…マーヤは取りあえず、立場や利害が勝敗を左右しない、絶好の修行相手を見つけたような気がした。が、相手になって貰うには先ず、にこやかに眼前で妹を嗜める男の問いに答えねばならない。

「何故ってそりゃ騎士だし…誰の為?うーん、ええと、それは…まてまて、それは違う!じゃあ…」
「マーヤ!ここに居ったか、探したぞよ?御主に今日は問い質したい事があるのじゃ!」

 どうやら学術院の建物を、上から下まで調べつくしたらしい…再び第三王女が再び部屋に飛び込んで来た時、マーヤは完全に虚を衝かれた。最早隠れる事も逃げる事も出来ず、ただ詰め寄る第三王女に慌てて頭を下げる。その時初めて彼は、第三王女の不機嫌の理由を叩き付けられる事となった。

「この間の女は誰じゃ!御主、随分親しい様子だったと言うではないか!」
「あー、工房でパパと難しい話してた…スペイド、あの人は」
「殿下、ナル=フェインはココット村の武器職人ですが。何か無礼でも?」

 質問の意味が飲み込めず、マーヤはおずおずと面を上げる。が、腰に手を当て頬を膨らませ、怒り心頭の主と眼が合い、思わず大きく後ずさった。何時ものわがままとは違った、有無を言わせぬ迫力が感じられる。
 件の人物は常に、姉の様にマーヤを陰ながら見守ってくれた。時には義母以上に母親らしく叱ってもくれた。淡い憧れと敬愛の念が混在する…しかしそれが何故、主の不興を買ったのだろうか?言い知れぬ理不尽を感じて、マーヤは困り果てて言葉に詰まった。

「…そうだ!アイザーマン博士に工房へ呼ばれてるんだった。殿下、この話はまた別の機会に」
「あっ、こら!待つのじゃマーヤ!ええい追うぞネフェル、付いて参れ!」

 返答に行き詰ったマーヤは、徐々にドア側へにじり寄ると。急用を捏造して部屋から飛び出した。慌てて第三王女も後を追い掛け、喜々としてネフェルが後に続く。騒がしい一団が書士達の悲鳴を連鎖させながら、遠ざかってゆくのを見送りながら。スペイドはやれやれと肩を竦めて、再び未整理の資料を机の上に広げた。王都ヴェルドは今日も、まだ平和だった。

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