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 真っ赤に焼けた溶岩が、重厚な音を響かせ流れる。それはまるで、地獄を渉る血の大河。地の底より吹き出る大地の血潮が、高い天井を赤々と照らしていた。ここは北エルデ地方に位置する活火山。麓の鉱山へ潤いを齎しながらも、定期的に噴煙を巻き上げ、烈火の炎で天を突く。そして、絶対に人を近付けぬ懐に、恐るべき脅威を抱え育んでいた。
 見渡す限りの死の世界に、ただ一つの人影。爛れた空気が揺らぐ中を、クエスラは確かな足取りで歩いていた。その歩みは僅かに、安堵にも似た驚きと共に早まる。洞窟へと踏み入れてから、何度も目にしたハンター達の亡骸…だが、今初めて生ある者に巡り会って。駆け寄り抱き上げると、ハンターメイルに備え付けられたマスクを外す。

「う…ああ、た…ガフッ!」
「喋っては駄目、肺が焼けてる…大丈夫、もう大丈夫ですわ」

 倒れていたのは若いハンター…まだ幼い面影を残す少年。苦しげに呻くと同時に、彼は黒い血を吐いた。汚れるのも構わずに、クエスラは抱き寄せ身を揺すって励ます。薄れゆく男の意識を、懸命にこの世へ繋ぎ留めながら。残念ながら今すぐの治療は無理だが、連れ帰れば助かるかもしれない…ギルドマスターより与えられた、討伐の刻限は差し迫っていたが。彼女は迷わず予備のクーラードリンクを取り出した。

「み、みん…ック!みんなやられちまった!奴はもう人の手じゃ…ゴホゴホッ!」
「もう喋らないで…貴方の仲間はみんな、この地にちゃんと弔いましたわ。寂しい場所だけど」

 既にもう、炭素の塊となっていた者。巨大な質量に押し潰され、岩盤の黒い染みとなっていた者。そして、それらより圧倒的に多い遺品…誰かが存在した事を示す、狩人達の生きた証。余りに多くの犠牲者にしかし、クエスラは貴重な時間を惜しまなく割いた。自然と闘い、自然より糧を得る者…その最期もまた自然へ。出来れば家族の元へと帰したかったが。

「あ、ああ…アンタも挑むのか?ヤ、奴に…」
「ええ、貴方を助けたら。さ、飲んで頂戴…飲まないと外まで持たなくてよ?」

 小さな瓶の封を切ると同時に、僅かに気体の抜ける音。ひんやりと冷たいクーラードリンクを、クエスラは少年の口へと近付けた。だが、振るえ怯える少年は、その手を取って放さない。瀕死とは思えぬ力で、クエスラの手甲に覆われた手を握る。あたかも逃れ消える我が身の生を、必死に繋ぎ留めるように。僅かに手の傷が痛んで、クエスラは端整な眉を僅かに顰めた。

「やめろ…アレに近付くな!奴は…奴は俺達が!俺達ハンターが育てちまったんだ!」

 見開かれた少年の瞳に、クエスラの白い顔が映り込む。それは大きく歪んで崩れ、遂には溢れる涙に押し潰された。少年は前にも増して激しく怯え、嗚咽に喉を詰まらせながら叫ぶ。高温のガスにやられた気管支が、擦れた空気を切なげに吐いた。滲む鮮血と共に。

「そうね、確かに…でも、だからこそよ。貴方達の過ちを正すのは、いつでも私の道だから」

 それは本来、自然界に存在しない概念。唯一絶対の摂理で生きる野生の、どこにも在り得ぬモノ。ドス黒く逆巻く負の感情…それは憎しみ。対峙する誰もが、マグマにも似た燃え盛る瞳を見て感じる。人間への激しくも明確な憎悪を。
 凱龍グラビモス…手負いの危険な銘入は、今まで数々のハンターを血祭りに上げて来た。その都度恐怖に駆られ、剣を突き立てる者は後を絶たず…その誰もが新たな犠牲者として墓標を並べる。途切れる事無き怨嗟の連なりが、恐るべき魔物を育んでしまったのだ。

「そうか…アンタ、征くんだな。ああ…じゃあこれも。これを奴に…」
「!…しっかりなさい!すぐに外へ連れ出しますわ」
「これを…奴の背に。へへ、俺の墓さクッ!ゲホゲホッ!」
「馬鹿言わないで!貴方を誰かが待ってるのよ?きっと…その気持ちが解りませんの?」

 少年は刃の欠けた剣を拾い上げ、それをクエスラへと託す。受け取る代わりにしかし、クエスラは強く少年を抱き締めた。身を焼くような熱気の中で、小刻みに震える命の炎…既にもう、いつ消えてもおかしくない。僅かに零れたクーラードリンクが、ジュウと音を立てて大気に溶ける。まだ年端もゆかぬハンターは、どこか息子に似ていた。

「そう、解らないの…そうね、じゃあ私が教えてあげますわ」

 耳元でそう囁いて、ゆっくりとクエスラは身を離す。

「私の店で…山猫亭で私を待ちなさい。奴を倒して必ず帰る…いい?私を待つのよ?」
「え…あ、ああ…俺が?うん…」

 優しく微笑んで、そっと少年の髪を撫でる。僅かに強張る表情が緩んで、少年は小さく頷いた。同時に意識を失い、その上体はぐらりと大きく揺れて崩れる。クエスラは急いで防具を脱がすと、クーラードリンクの瓶を唇へと近付ける。だが、清涼なる生命の雫は、虚しく少年の頬を濡らすだけ。

「お願い、生きて…私を待ってて頂戴。山猫亭のみんなと一緒に」

 あの子の代わりに…その言葉は噛み殺して。既にもう、躊躇っている猶予は無い。許されない。意を決して、クエスラはクーラードリンクを口に含むと、少年と互いに唇を重ねた。口移しで流し込み、小さく飲み込む音に喉が動くと、すぐに担いで走り出す。討伐の期限は刻々と迫っていたが、それ以上に少年の体力が心配。クエスラは僅かな焦りに自分でも気付かず、再びマスクを付けて無心で走った。その背後で蠢く溶岩の明かりが、巨大な影を岩盤に刻んでいるとも知らずに。癒えて尚痛む傷に、背の墓標を揺すって震えながら。凱龍の低い唸りが、地鳴りに混じって洞窟内に木霊した。

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