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「聞いたかおい、すげぇ死人の数らしいぜ?」
「ああ…もう誰も依頼を引き受けねぇ」
「ギルドマスターがもう、クエストの受注を禁じたらしい」

 普段同様に騒がしく、腕自慢の無頼漢で犇く山猫亭。だが、今日ばかりは少し違っていた。豪快に笑い飛ばす声も無く、武勇を称える歌も無い。誰もが身を寄せ合って、言葉少なげに背を丸め盃を傾ける。交わされる言葉の節々に、僅かに滲む怯えと恐れ。

「クソッ!どーなってやがる…まるで通夜か葬式じゃねーか」

 空になったジョッキを、苛ただしげにテーブルへ叩き付けて。口元の泡を拭いながら、キヨノブは周囲を見渡し毒づく。普段からデカい顔でのさばる高ランクのハンター達も、今日ばかりは大人しい…まるで借りてきた猫のように。今この店内では、唯一本物の猫だけが、元気良く走り回っていた。

「おいラムジー、何があった?普通じゃないべよ、こりゃ」
「フニャ?あー、火山に奴が…凱龍グラビモスが出たんニャよ」

 料理を運んできた黒猫の、その首根っこを吊るし上げるキヨノブ。テーブルで湯気を立てる、巨大な鳥の丸焼きに目もくれずに。忙しく動く猫目の瞳を、キヨノブは鋭い眼光で覗き込んだ。今日既に何度も、同じ答を繰り返しただろうラムジーは…何時に無く明るい空元気。
 まだハンターとして日の浅いキヨノブも、龍銘を冠する飛竜の恐ろしさは理解している。猛者揃いの山猫亭が、不穏な空気に包まれている訳も。強大な飛竜を前に、普段なら誰もが我先にと掲示板へ群がるのだが。あまつさえ銘入ともなれば、命を賭しても名を上げようという輩ばかり。だが、今回ばかりは勝手が違った。

「凱龍スかぁ…こりゃ受注禁止になるのも頷けるスねぃ」

 空いた向かいの席に、どっかり腰を下ろす見慣れたハンター。サンクは持参したジョッキを空にしてから、テーブルに鎮座する鳥へと手を伸ばした。慌ててラムジーを手放し、キヨノブも負けじと鳥の脚を掴む。辛気臭い店内で、普段と変わらぬ意地汚さを見せるサンク…そのふてぶてしさも今は、キヨノブにとってはありがたかった。無論、今夜のディナーを渡す気はさらさら無いが。

「お前さんはどうだ?奴とヤリ合って、勝つ見込みは…」
「無いッス!例え自分がフル装備で、準備抜かり無く四人でも…恐らく無理ッスよ」
「…女将ならどうだい?なぁ、ラムジー…女将は討伐に出かけたんだろ?」
「ウニャ、クェスなら楽勝ニャ。ギルドナイトに狩れない飛竜は居な…しまったニャ」

 慌てて口を押えるラムジー。その顔を見て、キヨノブも合点を得る。こうまで沈んだ空気が満ちているのも、この酒場の主が居ないから。山猫亭の女将がもし居れば、一同漏れなく尻を蹴り上げられてたかもしれない。今はもう宵闇が訪れ、本来ならば彼女の時間…気風の良いクエスラが、ハンター達の不安を一蹴してくれた筈。だが現実に、彼女は今この場に居ない。数日前からずっと。

「ンググ…狩れない飛竜は居ないスかぁ、ンゴッ!…どうスかね」
「ンギギ…放せってー、のぉ!ぜぇぜぇ…チッ!まぁ、待つしかねぇか」

 両足をキヨノブとサンクに引っ張られ、哀れな晩餐が股裂きで真っ二つに。手元に小さな腿肉が残って、キヨノブは舌打ちを零した。本体ごと腿肉を手繰り寄せ、サンクは舌なめずり。だがしかし、両者共に眼は笑っていなかった。互いの皿に肉を置き、互いに無言で見つめ合う。周囲と同じ空気が、二人の間にも僅かに漂い始めた。

「だ、大丈夫ニャ!今までだって…だから今度もフニャッ!」
「ラムジー!ちょっとキミ、聞きたい事があるんですけど?」

 不意に再び、ラムジーは吊るし上げられた。白く細い、綺麗な女性の手で。キヨノブとサンクが見上げる先に、碧髪を揺らすソフィの姿。凛とした表情は今、微かに強張り険しく見えて。有無を言わさぬ威圧感で、彼女は黒猫を覗き込んでいた。その迫力に気圧され、髭の先まで震えて縮むラムジー。

「これは…どゆ事かしら?どうしてここにまだ、あの剣があるの?」
「そ、それは、その、ニャんと言うか…クェスは何時もの装備で出かけフギャゥ!」

 固い床へとラムジーは落下した。その手を放したソフィは、そのまま一時硬直していたが。直ぐに気を取り直して、カウンターの奥へと手を伸ばす。先日運んで来た龍殺しの剣は、無造作にそこへ放置されていた。未だ封も手付かずのそれを、素早く背負う。

「もう討伐の期限を過ぎてるの…私、行くわ。手遅れにならない内に」
「…よしきたぁ!行こうじゃないの。正直もう待てねぇ…俺も、連中もな!」

 酒場のアチコチで立ち上がる男達。その気持ちを代弁するように、キヨノブも席を蹴った。実力が伴わないのは知っているが、もう澱んだ雰囲気に溺れるのはウンザリ。意外な顔で振り返るソフィも、初めて表情を緩めて微笑んだ。本来なら咎める立場にあっても、彼女は何も言えないで居る。完全にギルドの受注禁止令に違反していても。直ぐに普段の活気が舞い戻り、男達は皆武器を手に取った。苦笑を零して続くのは彼等を慕う女達…その複雑な心境の浮かぶ顔も、先程よりも生気に満ち溢れて。

「ま、待つニャ!凱龍に対する討伐行動は禁…」
「悪ぃなラムジー…ソフィさんとやらも。この店じゃ、誰もが女将を放っとけねーのよ」

 それは何処か、淡い恋心にも似て。ミナガルデのハンター達は皆、山猫亭の女将に憧れていた。例え一夜の一時でも…明日をも知れぬ狩人を、彼女は何時でも待っててくれるから。この店のあの場所で。気だるげに、眠そうな眼を擦りながら。それは恋人のようでもあり、姉のようでもあり…どこか母親のようでもあり。

「アズさん、ゆっきー叩き起こしてくれぃ!サンク、お前は…って、良く食うなこんな時に」
「自分スか?…自分、いかねス。誰かがここで待ってないと。女将は必ず帰ってくるスから」

 誰といわず掲示板へ受注票を張り、誰もが我先にと引き千切って行く。それを眺めながらサンクは、綺麗に鳥一匹丸々を平らげた。キヨノブの分も。呆れるキヨノブと、笑いを堪えるソフィ。だがしかし、取り戻した覇気は再び、戦慄と共に奪い去られる。アイルー達の荷車が、瀕死の少年ハンターを運んで来たから。その凄惨な状況に、再び酒場の空気は凍り付いた。

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