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「お母様と…クエスラさんと何も話さず帰るのですか?」

 重い足取りで山猫亭を出たマーヤを、蒼髪の少女が呼び止めた。肩越しに振り向けばイザヨイが、気遣いの表情を浮かべ佇んでいた。その顔には、以前の諍いから来る蟠りなど微塵も感じられない。ただ、擦れ違う母子を案じる素直な気持ち。背後には隠れるように寄り添い、手持ち無沙汰な様子で蒼火竜の子を弄るメル=フェインの姿。

「…生きてたんだし。べっ、別に元々心配だってしてなかっ…」
「生きてらしたからこそ、ですっ!もうっ、素直じゃないんだから」

 似た者親子なんですね…そう言って僅かにイザヨイは微笑む。なる程確かに素直じゃない…泣いた涙も拭わずそのまま、母の胸に飛び込みたかったのに。何故かその気持ちも今は失せてしまった。それは諦めに近いと感じて、マーヤは苦笑を返して馬の手綱を手に取る。

「もう放っとこうよ、いっちゃん」
「メルッ!そう言う訳にはいかな…」

 突き放すように口を尖らせ、小石を蹴りながらメルが呟く。慌ててイザヨイが嗜めるより早く、マーヤは鐙に掛けた足を下ろし、馬から離れて振り返った。そのまま無言で二人の少女に歩み寄る。

「お、おっ?や、やんのか〜!こないだの続きか、この〜!」
「もうっ、メルったら。ごめんなさい、それよりも…」
「…お前、さっき泣いてたな。義母さんの為に泣いてくれたんだな」

 何やら喧嘩腰で身構えるメルは、マーヤの一言に面食らった。一方のマーヤは、その一言で改めて再確認。義母はやはり、この街のハンター達全員の心の拠り所なのだと。幾ら欲したところで敵わない…現に今日、目にしたから。生死の狭間を漂う狩人にとって、どれだけ山猫亭の女将が大きな存在かを。

「…マーヤだって泣いてたじゃん」

 今度はメルの一言に、マーヤが怯む番だった。思えばあの時、何故自分は泣いたのだろうか?義母が生きていた事への安堵?死の淵より生還した少年ハンターへの感動?違う…それも有るが、もっと生々しく暗い感情。マーヤはあの時、欲して得られぬ母の愛を、一身に受ける少年に…モンスターハンター達を前に、強い敗北感から涙を零したのだ。

「お前達ハンターには勝てない、って…ただそう思っただけさ」
「ホントにそんだけ?ねえ、変な意地張ってない?その…メル、上手く言えないんだけど」
「クエスラさんは私達ハンターみんなに優しいけど、一番優しくしたいのは本当は…」

 二人の少女が交互に、もどかしげに言葉を紡ぐ。それを遮り制しつつ、マーヤはもう、不思議と吹っ切れていた。そう思い込もうと力んで、僅かな望みを心の奥へと押し込める。メルやイザヨイが不器用に、しかし真摯に外へ導こうとするその想いを…深く沈めて忘れようと、マーヤは胸を押さえて掻き毟った。

「この間は悪かったな…その、もう来ないから。それじゃ」

 引き止める二人の少女を振り切って。再び馬に跨ろうと踵を返したその時。自分の名を呼ぶ声を、マーヤは確かに聞いた。大嫌いだと吐き捨てたあの日以来、二度と呼んで貰えぬのではと怯えた…しかし、彼が振り向くまで何度も、その声はマーヤの名を呼び近付いて来る。

「ん、メル…中に入ろっか」
「そだね、カー助もおいで」

 交わす言葉も解らず、探しても見つからず。謝罪か非難か、それともただ泣けばいいのか。しかし胸の奥より湧き上がる衝動に抗えず、マーヤは振り向き息を吸い込む。だが、彼は何も発する事が出来なかった。駆け寄る母はただ、力一杯マーヤを抱き締めたから。

「か、義母さん?」

 母の胸に顔を埋め、その抱擁に戸惑いながら。辛うじて搾り出した声。しかし、その後に言葉が続かない。久々に触れた母の匂いは、ほのかに血の香りがした。

「ごめんなさい、マーヤ…私、いい母親じゃ無かったわ、ずっと…ずっと」

 不意の一言にビクンと身体が震え、堰を切ったように再び涙が溢れた。自ら抑え付けていた感情が迸り、思考するより先に感じるままの気持ちが言の葉に乗って流れ出る。とめどなく。

「そうだ!ずっとそうだよ!仕事ばっかで僕の事なんか…」
「そうね、ええ」
「誕生日だってろくに…形ばっかで!何時も狩りだお店だ!オマケにギルドナイトで!」
「そうね…貴方には解れとしか私…それすら、言いもしなかった」
「なのにハンター連中にはあんなに…母親失格だよ!でも…でも僕の…」
「ごめんなさい…あの日、貴方の母になると誓ったのに。甘えて居たのは私の…痛っ!」

 気付けばマーヤも、力の限りクエスラを抱き返していた。母の小さな悲鳴に緩めた手は、微かに血が滲んでいた。僅かにうろたえるマーヤをしかし、クエスラは離そうとしない。

「か、義母さん…この間は嫌いって…その、あのっ!ごめんなさい…かあさん」
「だって私、悪い母親だっもの。ふふ、ナルにも怒られちゃった」

 マーヤの髪を撫でながら、クエスラは優しく囁く。これから少しずつ、いい親子になりたい、と。無言で頷くとマーヤは、久しく忘れていた温かさに触れ、人目も憚らず思う存分泣いた。道行く往来の人々も、思わず振り返る程に声を上げて。彼を今受け止めてくれるのは、山猫亭の女将でもギルドナイトでも無く。永らく探して彷徨った、最愛の母その人だった。

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