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「おーおーおー…誰だったかのぉ」
「メルだよ、メル=フェイン」
「おーおーおー…腹減っとんのぉ」
「あんまし減ってないよ」

 紫色の夕闇を背に受け、酒場の庭に長い影。村長に再会したメルは、以前と変わらぬ好々爺に頭を垂れた。村の存亡の危機だというのに、村長は破顔一笑。まるで実の孫を迎えるように、何も聞かずに滞在を許す。村の家々から昇る煙が、夕餉の香りを運ぶ時間…穏やかな日常はまだ、普段と変わらぬココット村。ただ、村長以外の誰もが皆、一様に険しい表情で憮然と佇む。

「ね、ねぇ…何ですかぁー?この険悪な雰囲気はー」
「オレも詳しくは知らないんだけど…何だろ」

 村の古参ハンター達から、少し離れたテーブルを囲んで。雲行き怪しい酒場の空気に、思わずトリムの耳元へ口を寄せるゼノビア。ココットの常駐ハンターながらも、トリムにも詳細は解らない。何故なら、この村ではタブーだから…今やミナガルデの一流ハンターとなった、メル=フェインの過去については。

「めるちょは昔、この村周辺で乱獲の限りを尽くしたでする」

 気付けば、メル=フェインの同行者が隣に居た。相変わらず白い荷物を背負い、両手にはジョッキと肉。周囲の険悪なムードも何のその…軽く自己紹介を始める傍ら、彼女はせっせと食事を続ける。あっという間に肉は骨だけとなり、ジョッキは僅かに泡を残すだけ。ラベンダーという可憐な名は、二人に不思議な違和感さえ抱かせる。

「取り合えず御二人には、ウニって呼んで欲しいでする」
「むい…って、乱獲?メルさんが?それって…」

 それは、この村では語られない真実。そして、ハンターが犯してはならぬ禁忌。狩人たる者、大自然に対して簒奪者であってはならない。無頼の荒くれ者とて、越えてはならぬ一線があるのだ。幼いメルは嘗て、死の恐怖に抗うあまり…武具の強化に取り付かれて、無数の命を無闇に散らした。その事実は、メル自身の成長と旅立ちを待って、村長の名の下に秘匿されたのだが…大人達の多くに、強い嫌悪と恐怖を残す事となったのである。ハンターが作りハンターが住む、ココット村なればこそ。

「…チッ、村長は認めるつもりだぜ?ココット防衛への参加をよ」
「冗談じゃねぇ、誰が皆殺しのメルなんかと組めるかよ」
「俺等はミナガルデにも行けねぇ腕だけどよ…あのガキぁそれ以前の問題よ」

 トリムの中で急激に、周りの風景が色を変える。それは単に、宵闇を迎えたからでは無く。生まれ育った村の、秘められた過去を知って。気のいいハンター仲間が今は、これみよがしに罵りの言葉を吐き捨てる。酒場のウェイトレス達も、ひそひそと互いに耳打ちしてはメルを盗み見ていた。黒い霧が胸中を覆い、何もかもが豹変して見えるココット村。だが、以前と変わらぬ声が突如響く。

「村長の決めた事に文句言うんじゃないよ!それが御前等の流儀かい?」

 気風のいい啖呵と共に、一人の女性が怒鳴り込んで来た。工房から直接走って来たのだろう…バンダナを脱ぎ捨てると、豪奢な金髪に汗が光る。思いがけぬ姉との再会に、思わずメルも驚きの表情を隠せなかった。周囲のハンター達は一様に黙り、中には口笛吹いて誤魔化す者も。この村のハンターは皆、誰もが逆らう事の出来ない存在…鍛冶屋のナル=フェインは、じろりと一同をねめ回した。

「このっ…大馬鹿者っ!ほんっとに、何やってんだい!」

 居並ぶ屈強な男達は皆、身を縮めて目を瞑った。思わず条件反射で、トリムも頭を押えてしまう。だが、ナルの雷が落ちた先は…以外にも、村長の前に立つ少女。ゴチン!拳骨が奏でるのは星の輝き。一撃でよろけたメルはしかし、次の瞬間には抱き締められていた。呼吸も困難な程強く、豊満な胸の谷間に顔を押し付けられて。

「…疲れてるとこ悪いね、みんな。ちょいとフリックが呼んでるさね…行っておくれ」

 ぞろぞろと男達は、バツが悪そうに酒場を出てゆく。中には捨て台詞を残す者も。それを見送って溜息を付きながら…やっとナルは、窒息寸前の妹を解放した。見上げるメルが涙目なのは、息苦しいからでもタンコブが痛いからでも無い。

「ホント大馬鹿者さね…イザヨイと一緒に、砦に行かなかったのかい?」
「メルだって、これでもココット生まれのハンターだもん。ココットはメルの故郷だもん」

 やれやれとナルは苦笑いして、ハンカチを取り出し渡してやる。遠慮なく全力で鼻をかむ少女は、既にミナガルデの一流ハンターでは無かった。ぐしゃぐしゃの笑顔ではにかむ彼女は、間違い無くココット生まれのハンター。

「メルもみんなと村を守るよ…村の全部に嫌われちゃっても、村の全部がメルは好き」
「ありがとよ、メル…イザヨイも一緒なら、こんなに悲しくないのにねぇ」

 再び抱き締め、ナルは華奢な背中をポンと叩く。ラベンダーはその姿に大きく頷き、ゼノビアは大粒の涙を流してハンカチを噛んだ。村長だけが普段と変わらず、皺だらけの顔で笑っている。

「えう、えううー!駄目、私こゆ話弱いんですー…あれ?でんこ?」
「…よしっ!ウニさん、今日は家に泊まってって…ゼノさん、これ鍵っ」

 錠前の束を放り投げると、トリムは猛然と駆け出していた。柵を一足飛びに超え、村の表通りを疾走…一目散に目指すのは、フリック=セプター宅。込み上げる熱い想いが、理由無き衝動となって彼女を突き動かしていた。

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