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「うし、行くか…女将、今日はツケ全部払ってくからよ」
「あらやだ、一回で払いきれるかしらん?身包み剥いでも足りなくてよ」

 靄に煙る朝のミナガルデ。ひっそりと寝静まった街は、何時もと変わらぬかに見えて。キヨノブは冷たい薄荷味の空気を吸い込み、ぐるりと周囲を見渡した。ハンターが居ないだけで、ミナガルデは灯が消えたかのような静けさ。普段の山猫亭は、早朝の狩りへと出掛ける狩人達の喧騒に満ちているが。今はただ、静かに静寂に沈む。無論、ハンター不在だけが原因ではない。
 前日の披露を色濃く残す、節々痛む我が身。着慣れ始めた狩人の武具が、今は嫌に重く感じられた。昨晩も長い事寝付けなかったが、キヨノブはココット村へ出発しようとしていた。それ相応の覚悟を胸に、決戦の地へと延びる街道をじっと見据える。その背を見守るクエスラは、小さな溜息を濃い霧へと溶かし込んだ。

「どした?アズ、行くぞって…何?どしちゃったのよ。そらぁ俺だって気は進まないけ…」
「まだユキカゼ様がいらしてません。もう少し…あと少しだけ待って下さい」

 折り畳んだヘヴィボウガンを背負い、予備のライトボウガンを数丁肩に掛けて。両手に荷袋を下げたアズラエルは、最初の一歩を頑なに拒んだ。その垣間見せた頑固さは、キヨノブを驚かせる程。年端もゆかぬ少年ながらも、屈強な体躯の持ち主であるアズラエル…その長身は今、テコでも動きそうにない。

「あのな、さっきも言っただろうがよ…ゆっきーは置いてくって」

 荷袋の片方をひったくり、もう一個もよこせと手を伸べるが…予想以上に荷物は重く、一つ持っただけでキヨノブはよろける。辛うじて踏み止まると、彼はもう一度はっきりと述べた。ユキカゼは連れていかない…連れてはゆけない、と。無言で抗議するかのように、アズラエルは荷を置きその上に腰を下ろす。

「すぐ来ますよ。疲れてるから少しお寝坊さんなだけです」

 助けを求めるように、キヨノブはクエスラへと視線を巡らす。いくら山猫亭の女将でも、今は首を振る他無い。昨晩宿へ到着するなり、ユキカゼは無言で部屋へ篭ってしまった。物音一つしない客室からはしかし、寝付いた気配も無く。短い休息の夜は瞬く間に明け、男達は再び旅立つ…筈だった。

「兎に角、だ…アイツは連れていかねぇからな!先走りやがって…死ぬ気かっつーの」
「ユキカゼ様には、そうならざるを得ない事情もあるのです。次は私がフォローしますから」
「死んじまうぜ、あれじゃ。なぁ、アズ…俺ぁアイツを死なせたくねぇ。何せ相手はだな…」
「それは私もキヨ様も同じ事です。それだけの相手なればこそ、何時もの三人で臨みたいのです」

 長らく様々なハンター達を見てきたが。お世辞抜きで、なかなかいい纏まりだとクエスラは思い返す。素人に毛が生えた程度の腕だが、キヨノブには無茶はしても無理をしない牽引力がある。控え目だがアズラエルは実力的には熟練の域だし、何より冷静な分析力が貴重。そんな二人の中で、ユキカゼの存在は一際大きい。キヨノブが押すと主張し、アズラエルが引くと主張した時。ユキカゼが居なければこのチームは機能しないのだ。
 だが、それは普段の見慣れた三人に限っての話。今はもう、どこか悪ガキ三人組にも見える彼等の面影は無い。破綻したチームワークは、チーム一人一人の命を危機へと曝す…まして渦中の人物ともなれば尚更。そんな現状を察しても、クエスラの中では不動の評価…やはりいい三人だと思う。苦境に立たされてこそ、チームの真価が問われるのだ。それを知るクエスラ自身は、ここ十数年一度も…誰とも組んだ事が無かったが。

「アズ…正直、俺ぁ逃げ出してぇけどよ。お前はどうよ?アレとガチでやりてぇか?」
「良く解りません。解りませんけど、行くなら三人でなければ嫌です」
「…ああ、そうかよ」
「…ええ、そうです」

 互いの過去は詮索しなかった。語るでもなく聞くでもなく…いつか語る日も来るだろうし、いつでも聞いてやりたいと思っていたが。間に合わないのはもう嫌だと、確かにユキカゼは言っていた…仲間の心に刺さった過去の楔が、気にならない筈も無いが。それでも今、戦える者は戦わなければならない。戦えない者に代って。そしていつの日か、仲間と語らうその時の為に。今日はユキカゼを置いて征く。

「でも、辛い時こそ一緒にいなければ…そうでなければ、私達は仲間を失ってしまいます」

 徐々に空は白み始め、徐々に街は動き始める。普段よりも静かで、どこか物寂しいミナガルデの朝。ハンターの大半が出払い、尚且つ住民の多くも避難していた…否、もう既に戻らぬ事を決めての退去。この街を老山龍が直撃する事は無いし、王都が壊滅してもこの地は平和。だが、経済と流通はズタズタに寸断され、実質ミナガルデは死ぬのだ。地の利を失えば、ハンター達もここへ戻って来る事は無い。何よりそうなれば…今からココット村へと向かうキヨノブやアズラエルは、どこへも戻る事は無いのだ。

「へっ、そうかよ…どっ、こい、しょ。ちょっと小便してくらぁ。朝は冷えるぜホント」

 荷物を手放すと、キヨノブは山猫亭へ踵を返す。その背を見送り、アズラエルは心の中で頭を垂れた。安堵にも似た溜息を零して、クエスラも朝日に眼を細める。三者が三様に揃いも揃って。本当にいい仲間を持ったものだ、と。

「さて、じゃあ私も…」
「お手洗いですか?」
「んま、失礼しちゃいますわ。仕事に取り掛か…あらベル、おはよ」
「女将さん、おはようございますっ!あのっ、ゆっきー帰って来たって…」

 アズラエルを小突こうとして空振り、ヒールの高いサンダルでよろけるクエスラの視界へ。白い息を弾ませ、一人の少女が飛び込んできた。恐らく自分の店からひっ掴んで来たであろう、頑固パンの塊を抱えて。彼女こそが渦中の人物にとって、友達以上で恋人未満な存在…市場の看板娘、ベルリネッタ。彼女の唐突な登場を得て、クエスラは仕事に取り掛かった。仕事と言うには余りに献身的に。普段通り落ち込むハンターの尻を引っぱたいてやる為、ベルリネッタの手を引き、彼女もまた山猫亭へと戻っていった。

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